第20話 依存症者の告白(20)

 依存の本質は、自分をその対象に委ねる、任せてしまうことにあるように思える。

 パチンコの場合、どの台に座るかという選択にのみ、能動的な自己がある。あとは運任せ、成り行き任せ、すべてが受動的で、自己は呆けている。


〈生きているのか、死んでいるのか分からない〉


 そんな状態に慣れてしまうと、おそらく眼は死んだようになるだろう。あるいは、あさましくなるだろう。


 銭湯で仲良くなった老人は、常に穏和な表情をしている。「遊びにおいで」と言われ、お邪魔したこともある。彼は、個人商店の、日傘づくりの職人であった。

「今、あるものに満足せにゃいかん」

「僕は欲望の塊で」笑って言うと、

「うん、欲も、なくちゃいかん」

 87歳の老人は、ニコニコしながら言う。


 平衡感覚。

 たまに、思う。何も、パチンコはゼッタイしてはイケナイのだ、などと決めなくてもいいんじゃないか、と。

 私の数少ない友人に、タバコを辞めた人がある。

「べつに、辞めようと思って辞めたわけじゃないんだよね。ちょっと休もう、ぐらいで」

 しかし、完全に辞めたわけではないのである。

「目の前で友達とかが吸ってたら、もらう(笑)。でもその1本が、美味しいんだよなあ。年に、何本か」

 柔らかく、笑って言う。

「良い加減」を知っている人は、一緒にいて、とても心地良い。


 心の部屋は、多少、散らかっていて、いいのかもしれない。

 時に気楽に、時に気重に── 結局のところ、そのようにしか生きられないのだが。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます