第7話 依存症者の告白(7)

 2万、3万と失って、商店街を歩き、国道沿いにある高層マンションの10階あたりにいた。とりあえず、死ぬつもりだった。

 大学に行きたくない。といって、働きたくもない。そしてパチンコ屋でお金を失い、空っぽみたいな自分を、そこから飛び下ろそうかな、と漠然と考えた。

 3万円負けたこと。自殺の理由に、ちょうどいいと思った。自分は、3万円の生命なのだと思うと、滑稽で、この滑稽さに救われる気がした。


 自殺する人間に、明確な理由があるのだろうか? 何かをきっかけに、衝動的に自殺するなら、「これが理由で」となるだろう。私の場合、日常的に、すでにぼんやり、自殺を想っていた。パチンコを覚える前から、こんな自分はどうやって生きて行けるのだろうと考えていた。不安、自信のなさ。時が過ぎる焦り、未来への無希望。

 実家で、親と一緒に暮らしていた私は、仏壇の引き出しから1万円を盗んで、その日パチンコをしていた。1万円など、当たればすぐに返せると思ったのだ。


 午後2時からの新装開店で、どんなに期待に胸を膨らませて台に座ったことだろう! そして財布が空になれば、なんと悲惨な気持ちで店を出たことだろう!

 店も、大当たりしている人も、恨めない。こんなことをしている自分が悪いのだ…


 商店街を歩いていると、知らない男が「タバコ、買ってくれないか」とマイルドセブン2箱を私に差し出した。(ああ、この男もパチンコで負けたのか)と思った。関わりたくなく、断った。

 私は、私自身がパチンコになったのではないかと思うほど、世界がパチンコ中心に回っていた。桜の咲く季節には、桜の花がよく舞う画面の台を思い、道を歩いてスズメを見かければ、スズメがチュンチュン鳴いている台を思い出した。夏はお祭りの台、秋は木枯らしの台、冬は雪の降る台──


 そんなある日、いつものように打っていると、私の背後から、何かが飛び立って行った感覚を覚えた。正確に言えば、その瞬間まで私にずっといた守護霊のような、「私にずっといたもの」だった。ただ、それが私から抜けて行ったと感じるまで、その存在に私は気づいてもいなかった。いなくなって、初めて気づいたのだ。


 それは、「あとは勝手にやりな」とでも言うように、私から離れていってしまった。

 数日後、私は病院に運ばれた。寝ても覚めても、激痛が腹の辺りから離れず、耐え切れず親に助けを求めた。腎臓結石の疑いが掛けられたが、石もなく、結局原因不明のまま、痛みがなくなり、家に戻った。


  何かが、やめろ、やめろと言っていた。だが私はやめられなかった。やめたくない、やめられない、やめたくない。やめようと思ったところで、足が向く。一体、パチンコの他に、何が私にできただろう?

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