二幕 黒と青

 過去に“同僚殺し”の噂を持つ尚が、同僚であった男を撃った。しかし今回は最初から壬生に対する射殺命令という大義名分が出ていた事と、同行していたニュートンの証言もあって前回のように取り沙汰される事は無かった。

『あの場に居た誰かがやらなければならない事だった。“それ”が出来なかった僕の代わりに、弥生さんがあの人を撃った』

 ただそれだけの事だと。固い表情でなされた報告は、この上ない説得力を以てヤードに浸透した。

 あの略式執行の直後、病院に運ばれたニュートンはどうやら気絶から睡眠へと意識を落としていたらしい。中々に大物だと半ば呆れにも似た感想を抱く。結構な数の隊員が尚と同様に思っていたらしいというのはまた別の話だ。

 雨夜の凍てつく空気の中での略式執行も、ヤードでは珍しくもないブライトの処理として片付けられた。

 尚がある女性に声を掛けられたのは、そんな件の略式執行から一週間も経っていないある日の事だった。

「こんにちは。少し宜しいかしら?」

 休憩室で一人遅い昼食を取り終えたばかりの尚に向け、女性は青い瞳を細めてみせた。初対面の相手では無かった。彼女の顔は知っていたし、数度だが会話を交わした事もある相手だ。

 ニュートンの母親、彼女もまた『ヤード一家』の一員で、長年に渡り都市捜査官を務め続けてきた女傑だ。目覚めたニュートンが彼女に盛大に絞られたというのは最近のヤードにおける笑い話の一つになっている。但し、ヤードという組織に対して冷酷な尚としては、あまり歓迎したい相手ではないのだが。

「構いませんよ。私に何か御用ですか?」

 問いかけの形こそ取ったが、大凡の見当は付いている。彼女の息子の初陣に同行したのは他ならぬ尚だ。察されている事は彼女も承知の上だったのだろう。「息子が世話になったみたいだから、そのお礼」とあっさりと言ってのけた。

 正面の席に腰を下ろした彼女は真っ直ぐに用件の続きである問いかけを尚に投げかけた。

「まずは、ありがとう。それと……あの子、どうだった?」

「……若い、ですね。良くも、悪くも」

 今回の略式執行が初めてで、それを差し引いたとしても不安定であったのは否めない。壬生の初撃を受けてそのまま倒れそうになったのは事実だ。彼のフォージの力が無ければ、あの場で息絶えていた可能性すらあっただろう。

 荒削りで、甘い。しかしそれと同時に、壬生相手に見せた連撃と気迫も事実だった。あの死闘を経て、それでもヤードに留まるというのだから中々に根性が据わっているとも取れる。

 初戦は捜査官の任務の中で最も殉死率が高い。それを生き抜いただけでも骨があると見るべきか。尤も、あくまでそれは捜査官としての通過地点であって、その後の道が決して楽なものであると保証されるものではないけれど。

「経験不足は誰もが通る道ですから、それを言っても始まりません。これから先は御子息次第でしょう」

「貴方がそう評価するって事は、ある程度期待は出来るってことかしらね」

 笑みに、どこか複雑な色が混じる。捜査官として期待できる事と、実の息子が茨の道に足を踏み入れていく事。相反する二つを前に、かの女傑と言えど些か複雑なものを感じているようだった。

 けれどその葛藤は、尚にとってどうでもいい事だった。声色に、内心を悟られないように気遣う色を滲ませる。

「今回のブライト、壬生 司を追い詰めたのは確かですから、筋は悪くないでしょう。心配も、尤もな事だと思いますが」

「そうね。でも、それがヴィンセントの選んだ道だから。それにあの子のフォージは……」

 最後は、どこか呟くように零された。その先を耳で捉える事はしなかった。

 あの戦闘で彼も――厳密にいえば彼のフォージも癒える事の無い傷を負った。未来と希望を冠する花章を授けられた彼らがそれに対して何を思ったのか、それは尚の預かり知らぬ所だ。

「あぁ。それと」

 何かを思い出したらしい口調で、それまでの空気を払うように彼女は軽く手を打った。少し申し訳なさそうな笑みを浮かべてみせた、その仕草は彼女の息子のそれとよく似ていた。

「今回の件で、ヴィンセントは貴方に懐くだろうから。その時は適当に遇ってやって頂戴」

 それは尚にも察しはついている。鬱陶しくないと言えば嘘になる。しかしニュートンという『ヤード一家』との縁は、尚が請け負うもう一つの――本来の任務において有益なものだ。無闇に断つのは惜しいという冷酷な打算が働いた。

 彼個人に対して抱いている感情と言ったものは特別なかった。

 強いて挙げるのならば。もしもまた共闘する機会に見舞われたのなら、その時には今回以上に戦える者に成っていればいい。その程度だった。

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