第23話 夫婦水入らず

 今日は夫婦水入らずでデートをすることになった。

 

 寝る前はそうでもなかったが、待ち合わせ時間が近づくにつれ、俺は心臓の鼓動が高鳴っていることに気づいた。はたしてそれが罪悪感から来るドキドキなのか、緊張から来るドキドキなのか、自分でもよく分からなかった。


 はっきり感じられたのは行きたくないということ。少なくともこのデートが俺にとって心から楽しめるものになることはないだろう。


 優劣付けるようで気が引けたので香織の時と同様、俺は四十五分前に待ち合わせ場所の最寄りの駅前に到着した。


 夢の時と違い、佐々木は待ち合わせ時間ギリギリにライダースジャケットにデニムのショートパンツという如何にもな格好で現れた。佐々木は俺の顔を見た瞬間、明らかにテンションが下がったようだった。


 そういうこと、とぼそぼそ呟いて、佐々木は周囲を見回した。


「それで、この計画を企てた香織はどこにいるの?」


「それが、そのー……」


 俺は腹をくくって事情を話す。すると、佐々木の顔が見る見る青ざめていった。なんてことしてくれたのよと物凄い剣幕で怒鳴った。


「あれだけあいつをあの子に近づけないでよって念を押しておいたじゃないの!」


 事の重大さを理解できず俺は完全に惚けてしまう。


 今は怒る時間も口惜しいとでも言うように佐々木は。「どこ行くとか言ってた?」


「さ、さあ……」


 と頼りない返答を寄こす俺に愛想を尽かせたのか、彼女は明後日の方向に向かって歩み始めた。


 俺は訊いた。「おい、どこ行こうって言うんだよ?」


「探しに行くの」


 当然でしょ、と佐々木は俺とのデートを放棄した。そんな彼女の背中を俺は必死に追いかけた。


 こうして、気の遠くなるような人探しが始まった。今までの分を取り返すかのように俺たちはありとあらゆるデートコースを回った。


 ショッピングモールや水族館など、とにかく、思い当たるデートスポットを一軒一軒しらみつぶしに当たっていった。


 いくら美男美女と言ったって、この広い地球上で特定の誰かを見つけるなど不可能に近く、全て無駄足に終わった。一切休憩することなく探し回ったせいもあって俺は完全に息が上がってしまった。自分の子を捜すかのような彼女の必死っぷりに正直俺は心と身体が追い付かなかった。


 このままでは埒が明かないので、俺は彼女の腕を無理やり掴むことでこの終わりなきかくれんぼに終止符を打った。


「おい、ちょっと落ち着けって」


 はあはあ……、と佐々木は肩で息をしながら言った。「あなたは事情を知らないからそんなことが言えるのよ……」


「けどよー……、今冷静になって考えてみたんだけど、あいつの力で会うこと自体難しくなっているじゃないか?」


 彼女の肩からだんだん力が抜けていくのが分かった。


「ごめんなさい。少し冷静さを欠いていたみたいだわ。言われてみればそうかも」


 自分の無力さを噛みしめるように、佐々木は何も起こらなかったことを祈るしかないわねと呟いた。軽く唇を噛む。


 まだどこか諦めきていれない様子の彼女を俺は無理やり公園のベンチに座らし、その足で飲み物を調達しに行った。自動販売機の数あるレパートリーの中から俺は麦茶とスポーツドリンクを選んだ。


 佐々木は身も心もすり減っているようでありがとうと両手で麦茶を受け取ると、ごくごくとペットボトルを握り潰すんじゃないかというくらいの勢いで豪快に飲み始めた。


 悪かったよ……、と一呼吸置いて俺は正式に謝罪した。佐々木は首を振った。


「私のほうこそごめんなさい。いくらなんでもあなたの気持ちを無視しすぎたわ。反抗されて当然よね」


 紳士な態度を見せる彼女に調子が狂いつつも、俺は訊いた。


「あの二人何かあるのか?」


「もう隠していてもしょうがないから言うけど、実はあの二人恋人同士だったの、認めたくはないけどね……」


「そ、そうだったのか……」


 俺は激しく動揺した。


 佐々木は言葉を継いだ。「あいつのせいであの子の人生滅茶苦茶になっちゃったから、出来るだけあの男から遠ざけておきたかったのに……」


「それで、デートをしたり、いろいろ根回ししていたのか?」


「思わせぶりな態度を取って彼の気持ちを繋ぎとめていたの。自分の心を殺して」


「あの男のことを恨んでいるのか?」


「今更、あの男がどういう人生を歩もうが私の知ったことではないわ。これはあくまで私と彼女の問題だから。そこから逃れることは出来ない」


 佐々木はため息をついて、「とにかく、私が何してるのか明日洗いざらい話すからもう余計なことはしないでちょうだい」


 優しく諭すように言った。


 ああ……、と俺は頷いた。


 気づけばもう夕暮れ時だ。ここからは、酸いも甘いも嚙み分けた大人の時間だ。将来を犠牲にした俺たちには永遠に訪れることのない時間だ。


 佐々木は三分の二程度飲み干したペットボトルのキャップを目一杯締めると、ゆっくりと立ち上がった。


「今日は散々連れ回して悪かったわね」


「いや、俺のほうこそ……」


 取引先のお偉いさんを相手にするかのような気の遣いっぷりで反射的に俺も立ち上がった。


「別に。あなたはあなたで悪気があってやったんじゃないんだから謝ることはないわ」


 堂々巡りを嫌がってか、「また明日学校で」と佐々木は爽やかな別れの挨拶と共にその場を去っていった。


 対照的に俺は彼女との別れを惜しむかのようにしばらくその場に立ち尽くしていた。

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