第21話 マリッジブルー

 夢から覚めても、俺はまだ自分の現実を受け入れられずにいた。

 

 どういうわけか、運命の相手が見つかったと言うのに嬉しいと言う感情もがっかりという感情もまるで芽生えなかった。

 

 浮かんでくる感情は疑問ばかり。あの最悪な出会い方からどういった経緯で恋仲になったのだろうとか。どっちから告白したのだろうとか、子供は何人いたのだろうとか、離婚はしなかったのだろうかとか。

 

 どちらにしろ、向こうにその気がない時点で考える余地はなさそうだ。

 

 俺は重い足取りで蒸し暑くなってきた歩道のない狭い通学路をひたすら歩いていく。チャペルの扉を開けるような気持ちで教室の中に入る。そこに、制服姿の花嫁がいた。

 

 佐々木は今日も人間には興味ないと言わんばかりに空想の世界に閉じこもっていた。それをいいことに俺は授業中もずっと彼女の横顔を眺めていた。しかし、彼女は一度も俺の視線に気づくことはなかった。なんだか俺だけが意識しているみたいで悔しいが、それも致し方ないのかもしれない。

 

 誰がどう見たって現在の俺はあんな素敵なお嫁さんをもらえて幸せ者ね状態だった。

 

 部活の時間が始まっても俺は覗き見をやめなかった。

 

 長机一台分挟んでいるとはいえ、さすがにこの距離では気づかれてしまうのは必然で、「何?」と怖い顔で睨まれた。


「別に」と俺は内心ドキドキしながら視線を逸らした。相手にするのも面倒くさいと佐々木は改めて読書に専念し始めた。


 それからしばらく文化部らしい無駄な時間を過ごす。


 宣言通り香織が部活に現れたのは佐々木が八ページほど読み進めた後のことだった。幽霊部員の登場に佐々木は驚きを隠せない様子だった。


 佐々木は訊いた。


「あなた、部活は?」


「部活なら来てます」


「ここじゃなくて、バスケ部のほうよ」


「仮病を使ってしまいました。部長として私もたまには活動に参加したいですもん!」


 佐々木は諦めたようにため息をつき。「別に参加してもいいけれど、何もすることないわよ」


「普段はどういった活動を?」


 副部長が答える。


「人生ゲームだよー」


「人生ゲームって、あの……?」


「そうだ。せっかくこうしてみんな集まったんだから、今日こそ四人で人生ゲームを」

 

 夏休み、親戚が遊びに来たかというくらい冨樫はテンションが上がりまくっている様子だった。ひょっとするとこの部を一番大切に思っている人物は幽霊部員の部長でも、完全に部を自分の私物化としている佐々木でもなくて、死神である彼女かもしれない。

 

 相変わらず空気を読むと言うことを知らない佐々木は考える素振りも見せず、そっぽを向いた。


「私はやらないわよ」


 そんなんだから友達がいないんだよと冨樫が小声で同意を求めて来たので俺は笑って肯定した。始めに悪口を言ったのは冨樫だというのに、あんたにだけは言われたくないんだけどと佐々木は意味ありげにこっちを睨んできた。


 私も遠慮させて頂きますと香織がこれに続いたので、冨樫は残念がるようにちぇっと可愛く舌打ちした。部長は続けた。「今日は、真面目な話をしにここに来ましたので」


 佐々木が訊いた。


「真面目な話って?」


「あなたと彼の関係についてです」


 と香織はいきなり核心を突いた。


 佐々木はちらっと俺を一瞥して。


「そんなのただのクラスメイトで、他愛もない部活仲間だけど?」


「それは現在のご関係ですよね? 今私が言っているのは将来のご関係についてです」


「ふーん」


 佐々木は開き直るわけでもなく、冷静に事実だけを受け止めた。


「それで、何時気付いたのかしら」


「あまり驚かないんですね……?」


「何時かはバレると覚悟してたし。重要なのはそこじゃないしね」


「重要じゃないって結婚がですか。この方はあなたの未来の旦那さんになる人ですよ」


「それが、どうしたって言うのよ。取るに足らない事実じゃない」


 どうして会話についていけない俺だけが間接的に傷つかなくてはならないのだろう。被害者をないがしろにしているとはこのことだ。


 おいと軽くツッコミを入れるも、案の定佐々木は俺の存在ごと無視して話を続けた。


「そうね、私は未来で彼と結婚するはずだった。だからと言って、私はその通りに歩まないといけないのかしら? 三日月と出会って、私は今を勝ち取る権利を得た。そこから私がどんな選択しようが勝手じゃない。あなたが死むことを選んだみたいに」


 香織は顔を下に向けつつ言った。


「けれど、あなたたちは将来を誓い合った仲なのにどうして……」


「そんな純粋だから騙されるのよ」


 いいと佐々木は力強く前置きしてから言った。「別に私は彼に惚れた事実そのものを否定するつもりはないの。むしろ、一度は惚れた男として信頼を寄せてるくらいある。ただそれが直接将来に結びつくか、結婚に結びつくかと言ったら、それはまた別の話。恋愛なんて所詮一期一会であって、運命の赤い糸なんてものは実際には存在しないわ。それを証拠にあなたに出会ったこの時間軸では、好感度の度合いで言ったら、私よりもあなたのほうが確実に高いはずよ。大事なのは過去の失敗を元に、今最良の選択が出来るかどうかってことなの。それが、私の今を生きると言うことよ」


「だから、私と修二さんが上手くいくように仕向けたんですか?」


「そうよ」


 佐々木はあっさり事実を認めた。


「そうすることで将来を犠牲にしてまで実現したい野望が叶うの。まあ、誰かさんが予定外の行動を取ってしまったから、こうして詰問される事態になっているわけだけど」


「誰かさんって俺のことかよ……」


「さあね」


 香織は尚もめげずに立ち向かう。


「それで、あなたは何をするつもりなんですか?」


「三日月の能力を借りる条件として私はあなたに寿命を分け与え、失われた青春時代を取り戻すことであなたを成仏させようとしている。その時点であなたとの取引は成立してるはず。それを一から十まで話す義理はないわ。けどそうねー。さっきから自分のことなのに終始蔑ろにされている前の旦那に免じて、何をしているかくらいは教えておいてあげる」


 はたして喜んでいいのだろうか。彼女は続けた。


「彼にとっての一番をあなたに塗り替えてやるの。そうすればようやく準備が整うの。過去を清算する準備が」


「単純に、俺と結婚する未来が受け入れられないだけじゃないの?」


「あら? そんなにあなたが私と結婚したがっているとは意外だわ」


「そんなわけないだろ」


 その言葉を待っていたかのように彼女は言った。


「じゃあいいじゃない。私が何を犠牲にしようと」


 部長は頼りの綱に視線を送った。


「三日月ちゃんはどっちの味方?」


「私はどちらの味方でもないよー。私はこの部の方針に従うまで。アスカたんの案でも一応等価交換は成立してるからね」


「そうですか。分かりました……。お二人がそう言うんだったらもう何も言いません。所詮私はただの幽霊部員ですから」


 そうは言いつつも納得しているとは思えない渋い顔をしていた。


 畳みかけるように佐々木が言う。


「心配する必要はどこにもないわ。結局決めるのは本人なんだから」


「好き勝手言ってくれてるけどさ、状況がぶっ飛びすぎてるだろ!」


 どっちも美女には変わりないが、出会う前からマリッジブルーになったも同然の未来の花嫁と未来そのものがない幽霊。


 先がないと言う意味ではどちらも似たようなものかもしれない。何より問題なのは、どちらも現時点では俺に対する恋愛感情が欠落しているどころか、芽生える気配すらないというところではないだろうか。

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