第7話 蛍

『I'd like to make myself believe That planet Earth turns slowly――』


 廊下を歩いていると、鳥のさえずりのような澄んだ歌声が聞こえて来た。どうやら、この美声の持ち主は旧校舎であるこのB棟に近づく者は教師を含め滅多にいないと油断しきっているらしい。


 創作でなければ、歌っているのは海外の歌のようだ。


 このまま壁越しに聞くのはもったいないと思った俺は忍び込むようにゆっくり扉を開けるも、案の定気づかれてしまう。


 美声の持ち主は、心を閉ざすように自らコンサートを中断させてしまった。


 俺は観念して、正体を現した。


「お前、昼休み教室にいないと思っていたらこんなところで昼食を取っていたんだな」


「悪い?」


 盗み聞きされたのが余程癇に障ったのだろうか、佐々木はすこぶる機嫌が悪かった。


「いや。ただ意外だっただけだ」


「何しに来たの?」


 彼女は不愛想な態度で言った。


「別に。俺はただここに来れば冨樫に会えるかなと思っただけだ。予想と違う人物がいてがっくりしたところだけどな」


「何を取引するのか決めたの?」


「まあ、漠然とな」


 ふーんと佐々木は興味があるのかないのか、曖昧な反応を見せ。


「残念ながら三日月は部活の時間にならないと姿を現さないわよ」


 長机の上に置いたままになっている赤いステンレス製の水筒と、チェック柄の風呂敷に包まれたお弁当箱に視線を向けて俺は言った。


「それに比べて、お前はここで一人寂しくぼっち飯ってわけか?」


「あなたも似たようなものじゃない。それに、同じ卓を囲んでいるからと言って友達だとは限らないわ。人間って生き物は、自分の寂しさを埋めるためだけに群れたがるものでしょ?」


 俺は苦笑する。「発言がぼっちのそれで、ただの負け惜しみにしか聞こえないんだが」


「自分は例外みたいな言い方しないでくれる?」


 へいへいと俺は適当をあしらって、ずっと気になって仕方なかったことを尋ねた。


「さっきのはなんていう歌なんだ?」


「別に。なんだっていいじゃない!」


「お前、可愛くねえなー」


「何よ……」


「ずっとつんけんしてて、接していても全然キュンって来ないわ。デレがあってこそのツンデレだってこと分かってるのか。お前二次元だったら没キャラも同然だぜ」


「ほっといてちょうだい」


 あっ、今のはちょっと可愛かった。


 そう言えば、彼女と二人っきりになるのはこれが初めてだった。良い機会なので俺はしばらく彼女のことを観察してみることにした。


 観察すればするほど吸い込まれそうになるほどの美少女だった。くせなのだろうか、髪をかき上げる仕草が妙に色っぽい。


 二分くらいそうしていただろうか。


 美人は何時見ても飽きないけれど、これ以上盗み見するのは自らの主義に反するし、今度こそ彼女の逆鱗に触れてしまいかねないので、ここは大人しく教室に帰ろうと俺はドアの取っ手に手をかけた。すると。


「あなたは現在を優先する生き方と、未来を優先する生き方どちらが正しいと思う?」


 佐々木がどこか物憂げな表情で尋ねてきた。


 俺は身体ごと振り返る。


「何だ、突然?」


「私はそのどちらでもないと思うの。なぜかと言うと、人間は現在でも未来でもなく、過去に思いをはせる生き物だからよ。人間の行動原理を一から紐解いた時にそこにあるのは過去の後悔と栄光どちらか一方しかないってこと。そうやって人は過去をヒントに損得勘定をする」


「何が言いたいのかさっぱり分からん」


「知らず知らずのうちに、人間は過去に縛られて生きているってことよ。あなたもそう思わない?」


「おめえだって語っているじゃねえか」


「ばれた?」


 おちゃらけた反応で彼女は肯定した。


 佐々木の普段見せないようなユーモアな一面に不覚にも俺はドキッとしてしまった。俺が求めていたツンデレとは少し違ったけれど、ギャップ萌えという意味では百点満点だった。


 佐々木は壁時計で時間を確認すると。「午後の授業が始まるまでまだ時間があるし、今からちょっと私に付き合ってくれるかしら」


「デートのお誘い?」


「笑えない冗談はやめてくれない。今からこの学園のアイドルである藤林香織に会いに行くの。あなたも私の目利きだけじゃ不安なんじゃない? 取引をする前に一度自分のその目で確かめておきたいでしょ? そうしたら、少しは部の活動に前のめりになってくれるかもしれないし」


「女の子が言う可愛いは信用出来ないって言うしな」


「ちゃんと私よりも可愛いから心配には及ばないわ」


 はたしてこれを謙虚と受け取っていいものなのか。とりあえず、大多数の女子を敵に回したことだけは確かである。

 

 生まれてこの方、女子にモテた試しがない俺は不安を口にする。


「でも、俺口下手だからうまく話せるかどうか……」


「あなたのコミュ力になど鼻から当てにしてないわ。だからあなた今ここにいるんじゃないの。ただどういう女の子なのか遠くから観察するだけよ。三日月がいれば段階なんて関係ないからね」


 推しメンがいる教室まで佐々木に案内してもらう。

 

 彼女よと指差すまでもなくどの子なのか分かった。耳元で結んだサイドテール、くりっとした目に色白の肌で柔らかそうな雰囲気の女の子だった。確かに男受けしそうという点では佐々木よりも彼女に軍配がある。現に今も見るからに陽キャラそうな男どもに囲まれてしまっている。


 佐々木は自信たっぷりに。


「どう、私の見立てに狂いはなかったでしょう?」


「ああ。そうだな……」


「何よ、その気のない返事は。あなた程度の顔面偏差値で文句を言うわけじゃないでしょうね」


「あなた程度は余計だ……」

 

 気を取り直して俺は言った。


「別に……。ただ、想像の上を行ってたもんだから、ちょっと臆病風に吹かれてしまっただけだ」


 当然ねと何故か佐々木は勝ち誇ったように言った。「けど、良いのは何も外見だけじゃないわ。努力家で成績は優秀。運動神経は悪いんだけど、バスケ部に所属しているわ。もし付き合うことになったら男を立ててくれる彼女になるはずよ」


「へー……」

 

 そこまで絶賛する女の子の処女をまるで人柱のように捧げようとする彼女の行動があまりに荒唐無稽すぎて話の内容が全然頭に入ってこなかった。

 

 どうもいわくつきの物件であることは間違いなさそうだ。

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