第10話 青春ビート
笠鳥先輩の部屋の扉を小気味いいビートでノックする。
「うどん男子先輩、太い青春しませんか?」
「久々だな、そのあだ名」
部屋から出てきた笠鳥先輩が苦笑気味に応じてくれた。
「鬼原井のベースが聞こえなくなったと思ったら弟子の方が来た。何考えているかは大体わかるぞ」
「ギターできましたよね?」
「持っていくから、お前の部屋で待ってろ」
「了解です」
トントン拍子に話が進み、俺は自室に戻る。
アイスを齧りながら鬼原井先輩のベースを聞きつつ愛機『ES―D7』で招田先輩から渡されているDTMの曲リストを開き、三曲ピックアップする。
部屋にやってきた笠鳥先輩が鬼原井先輩を見て片手を挙げた。
「お前の弟子、青春するらしいぞ」
「するんじゃないぞ、してるんだ」
鬼原井先輩はニヤニヤ笑って言い返した。
笠鳥先輩が床に腰を下ろし、ケースからギターを取りだして弦の具合を確かめる。
「ブルーローズの曲はずっと聞いてるからいくらかは弾けると思うが、お鈴とは比較にならねぇぞ?」
鈴じゃなくて凛だってば。
ピンと鋭い音を立てた笠鳥先輩が一曲弾いてくれた。
「……いや、普通にうまいじゃないですか」
「下手とは言ってないだろ。良くも悪くも学生レベルだ」
十分なんだけど、招田先輩がプロだし、比較されるのは嫌だよなぁ。
なんとなく鬼原井先輩を見るとVサインをされた。
「ギターは笠鳥でいいとして、ドラムはどうするの?」
「戸枯先輩を呼ぼうかと」
「メイメイかぁ。乗ってくるかな?」
「たぶん、乗ってくると思います」
戸枯先輩は別れの悲壮感を共有できていないから屋邊先輩に怒ったような人だ。
きっと、覚悟はできているし、現状のサクラソウの空気、人との関わりを避けようとする雰囲気にはもどかしさを感じていると思う。
問題があるとすれば、ドラムをやってくれるかどうかだ。
俺はピックアップした曲のリストの再生ボタンを押して、鬼原井先輩と笠鳥先輩に聞いてもらう。
「このリストを聞いて意見をください。俺は戸枯先輩を誘ってきます」
「あたしも後輩男子に誘われたーい」
「笠鳥先輩、その人のお相手をよろしくお願いします」
「守備範囲外だわ」
「同じくー」
だと思った。あんまり二人でいるところは見たことないし。
食べ終えたアイスの棒をゴミ箱に放り込み、俺は再び部屋を出る。
戸枯先輩の部屋を訪ねるのって初めてだな。
ちょっと緊張。
コンコン、と控えめにノックして中に声をかける。
「戸枯先輩、相談があり――」
「ちょっとニャムさん! 待って、タンマだって!」
中で何か騒ぎが聞こえたかと思うと、扉が開かれた。
どうやら、ニャムさんがドアノブに飛びついて自分で開いたらしい。開けた扉の隙間からするっと寒天みたいに出てきたニャムさんは八つ当たりでもするように扉に後ろ蹴りをかました。
さすがは在自のボス猫、素晴らしい学習能力と運動神経だ。
開かれた扉の向こう、部屋の中にはバスルームからニャムさんを追いかけてきたらしい戸枯先輩の姿があった。ホットパンツにオフショルダーシャツ、夏が過ぎて涼しくなってきた今頃にはなかなか見ない露出の多さだ。
「……ニャムさんを洗う途中で逃げ出されましたか?」
「……そんなところ。まさか、扉を開けられるとはね。今度からは鍵を掛け――いや、部屋の中で暴れられるのか。どっちがましかな」
「バスルームに鍵を掛けられませんでしたっけ?」
扉の下の方にスライド式の簡単な鍵があったはずだ。
「猫パンチで開錠されたんだよ」
「……ボス猫ぱねぇ」
屋邊先輩はどうやって洗っていたんだろう。
「首の後ろを摘まんでも後ろ足キックと体捻りで脱出されちゃうし本当にもう……。それで、榎舟はどうしてここに?」
「青春に誘おうかと」
「さっきから聞こえているギターの音と関係ある?」
廊下に出てきて俺の部屋の方を見た戸枯先輩が興味をひかれたように俺に視線を戻した。
そんな中、するりと足元を音もなくニャムさんが通って戸枯先輩の部屋に入っていく。自由だな。
「私に聞こえてるってことは、あれは凛じゃないでしょ。もしかして笠鳥?」
「正解です。戸枯先輩にはドラムをやってもらいたいんです」
「あぁ、見えてきた。ちょっと待ってて。着替えるから。榎舟にならともかく。笠鳥にこの格好は刺激が強いでしょ」
「あの、俺にとっても刺激が強いです」
「慧にあの距離でからかわれて受け流してるのに?」
鬼原井先輩はそういう生物だから。
部屋の前で待つこと三十秒、上に厚手のシャツを重ね着した戸枯先輩を伴って、俺は自室へと戻った。
鬼原井先輩と笠鳥先輩が曲順を巡って議論を重ねている。
「戸枯先輩を引っ張ってきました。このメンバーで文化祭当日、サクラソウの前で演奏しましょう」
異論はないようで、笠鳥先輩と戸枯先輩が同時に頷いた。
鬼原井先輩が座る場所をずらして俺が座れるスペースを確保してくれる。俺が隣に腰を下ろすと、鬼原井先輩がベースを差し出してきた。
ベースを受け取ると、鬼原井先輩は戸枯先輩を見る。
「メイメイのドラムセットは?」
「実家に置いてきちゃったから親に連絡して届けてもらうよ。それまでは詩乃のドラムセットを借りようかな」
楽器の話をしていると、笠鳥先輩が待ったをかけた。
「ちょい待ち。世界の方はどうなってるんだ、このメンバー」
「えっと、笠鳥先輩がB、Dで、戸枯先輩がA、Bですね。俺がA、B、Cです」
「つーことは、B世界ではフルメンバー、A世界で戸枯、榎舟のドラム&ベース、C世界で榎舟のベース、D世界で俺のギターか」
……メンバーの確保に目が行き過ぎていた。
今回の文化祭、D世界の文化祭ではブルーローズの演奏が期待されている。これに関してはもう実現が不可能なため明日にでもD世界の生徒会にブルーローズの解散を伝えないといけない。
しかし、ブルーローズの演奏を期待していたD世界の人たちにギター一本で笠鳥先輩が演奏する状況は酷だ。
笠鳥先輩が何とも言えない顔をする。演奏はしたいがブルーローズの後を引き取るのは遠慮したいという顔だった。
気持ちは分かる。
俺は現在パソコンで再生中のDTMで作った曲を指さす。
「これをBGMとして流せないこともないです。招田先輩に言われて各世界分を用意してあるので」
「それでも、ブルーローズの後釜に納まろうと必死な痛い奴にならねぇ? まぁ、ぜいたくは言えないか。笑い話にはなりそうだし」
苦笑気味にあきらめて、笠鳥先輩が紙に書きだした曲のリストをみんなの前に置いた。
「順番はこれでいいか? 全三曲に加えて、榎舟のソロ・ベースがオオトリ」
「俺がオオトリですか? というか、ソロ・ベースってこれ今日渡されたばっかなんですけど」
「言い出しっぺの法則だ。お前がトリを飾れ。というかな、俺と戸枯は前から聞いているとはいえ実際に弾くのは今日からなんだぞ。それでも三曲だ。これくらいお前ががんばれ。というか、俺と戸枯がトチっても終わりよければすべてよしにするためにお前にオオトリを任せるんだよ」
あるいは責任を全部負わせる気である。
でも、笠鳥先輩の言い分も分かる。
鬼原井先輩が笑いながら俺の肩を叩いてきた。
「この唐突に順応しないといけない感じは遍在者らしいじゃん。やったれ、愛弟子!」
「……分かりましたよ。でも、鬼原井先輩にも付き合ってもらいますからね」
「付き合ってあげよう。それじゃ、今から海に行こうか!」
わざわざ海に行くんだ……。
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