第8話  遍在者のジレンマ

 ネリネ会の会場はVR空間である。

 そんなわけで試作のお試しプレイを始めてみたわけなのだが、


「重っ!?」

「女の子に重いは禁句」

「体重の話じゃないって。なにこの超重量は? 世界が遅く感じるわ」


 ちなみに、お試しプレイなのでキャラクターは俺が過去に逢魔として作った女の子キャラクターを流用している。


「『Cloudy+Rain』は名作。異論は認めない」

「ありがとう。国内人気は高かったよ。同人誌も多いし」


 曇り空や雨で統一した一連の3D風景作品『Cloudy+Rain』は俺の作品の中で特に国内受けが良かった有料作品だ。人気の八割くらいをいま俺が動かしているアンニュイな少女が持っている。曇りや雨の中をこの子が散歩する作品なので、風景の方も見てほしいんだけど。


「このゲームエンジンってもともと重いのか?」

「そうでもない。フリーのVRゲーム制作ツールの中では軽い方」

「ためしに解像度を下げてみるか」


 一時的にでも軽くなることを期待してオプションメニューから解像度を下げてみたところ、エラーを吐いて強制終了した。

 これはプログラムを見直す必要がありそうですねぇ。


「紅茶でも入れて一息つくか。三時だし」

「おやつの時間」


 キッチンでお湯を沸かしながら、聞こえてくるブルーローズの曲を口ずさむ。


「文化祭まであと一週間か。忙しそうだな」

「蚊帳の外」

「俺たちは参加できないしな」


 クラスでの出し物の準備は俺も手伝ってるけど当日はサクラソウに押し込められる予定だ。


「七掛、去年の文化祭はどうだったんだ?」

「一日中、部屋で女子会していた」

「今年はブルーローズの演奏の手伝いがあるけど、それも昼過ぎからだしな。時間が大分あまりそうだ」


 外出もできないし、かなり暇になりそう。


「七掛も招田先輩に頼まれていたBGMは作り終えたのか?」

「完成品を昨日渡した」

「となると、もう俺たちに出来ることは当日の設営だけか。天気予報は?」

「B、Dは晴れの模様」

「A、Cも晴れだ。完璧だな。日差しが強いなら簡易テントを張ることも考えてるけど」

「倉庫にある。多分、奥の方」

「おやつを食べたら出してみるか?」

「賛成。穴が開いていないとも限らない」


 今日中に確認して、もしも不具合があるようならネット通販で頼めば当日までに届くだろう。

 ちょうどいい温度までお湯が冷めるのを待って紅茶を淹れる。

 立ち上るアールグレイの華やかな香り。七掛がクッキーの箱を冷蔵庫の上から取ってきて、テーブルに置いた。

 七掛がB世界の『ES―D7』を操作して、接続してある3Dプロジェクターの電源を入れる。マウスを動かして保存してある俺の3D作品を呼び出して壁に投影した。


「なにしてんだ、お前」

「ティータイムにふさわしい空間作りを……」

「見たいだけだろ。まぁ、いいや」


 壁に映し出されたのは紫陽花の咲き誇る庭園の風景。大きな手毬咲き紫陽花は一朶で時季折々の空を思わせる複雑な配色にしてある。


 3Dを作る際に空を表現するために半ドームを作ってそこにテクスチャを張り付ける。普段はドームの中から見るその天球を紫陽花に見立てて外側から観賞するのがこの作品だ。倒錯的な遊び心で海外人気が高い。

 七掛がティーカップを両手で包んで作品を見つめている。

 国内では「情報量が多すぎて混乱する。もっと自然美を楽しみたい」と酷評される作品なのに、食い入るように見つめている。


「その作品を気にいるなんて変人だな」


 睨まれた。


「怒るなよ。俺と感性が近いってだけの話だ。海外人気は高いしな」

「いくつもの空を違和感なく一望できるこの風景は素晴らしい」

「ありがと」


 やっぱり変な奴。国内で評価が低い最たる理由、情報過多を代表する部分だぞ、それ。

 まぁ、七掛は俺とはおつむの出来が違うから情報過多でも問題なく処理できるんだろう。

 七掛が壁に映し出された作品に目を戻す。


「私は、この作品を見て逢魔が遍在者だと思った」

「……あぁ、確かにそんな見方もできるな、この作品」


 複数の世界を観測できる遍在者は、見上げるだけで複数の空を見ることになる。世界間で風の強弱や雲の量、形、湿度による空色の違いなどがあるためだ。

 そんな遍在者の視点はこの紫陽花庭園の視点違い。空を見上げるのが遍在者であり、空を見下ろすのがこの作品の視点だ。


「これを作ったのは中学二年だったか。遍在者なんて存在も知らなかった頃だな」

「私も初めて見たときは何とも思わなかった。サクラソウに来て、ふと思い出して納得した。……でも、勘違いだった」

「その節はお騒がせしました」


 いや、俺は悪くないけどね。


「あれ、演奏が止んだ?」


 先ほどまで聞こえていたブルーローズの演奏が途切れている。

 また何か問題が起きたのかと思ったら、廊下を掛けてくる足音が聞こえてきた。

 俺の部屋の扉が一斉に開く。三つの音の重なりに、俺は驚いて扉を振り返った。

 ブルーローズのメンバーが三人、血相を変えて部屋に入ってくる。

 何事かと固まる俺と七掛に三人は一斉に口を開いた。


「――二人がいなくなった!」


 ……二人?

 誰?


「誰がいなくなったんです?」

「だから、二人が――」

「一人ずつ話してくれません?」


 三人の顔を見回して言い返した時、七掛が俺の服の袖を引っ張った。


「鬼原井先輩しか見えない」


 伏し目がちに見たままを言う七掛。

 七掛はB、Dの遍在者だ。ブルーローズは全員がDに遍在しているから、七掛には三人が見えていないとおかしい。

 にもかかわらず、七掛はB世界出生の鬼原井先輩しか見えていない。

 導き出される結論に頭の中が真っ白になった。

 招田先輩が俺の肩を掴む。


「ここに、慧と詩乃がいるの?」

「……テーブルの横にあるクッションの前に立ってください」


 俺が指差した場所に、三人が立つ。

 三人は接触することなく位置座標が重なった。


「……いま、ブルーローズ三人が全く同じ場所に立っています。三人とも遍在者ではなくなってます」


 もう予想はついていたのだろう。

 それでも認めたくなくて、三人を観測できる俺の部屋に駆け込んできたのだ。

 しかし、予想はついていても衝撃を受けないわけではない。

 仲葉先輩が涙をこらえて部屋を飛び出した。騒ぎを聞きつけて廊下に出ていたのか、由岐中ちゃんと戸枯先輩の驚いたような声が聞こえる。

 糸が切れたように招田先輩が床にへたり込む。

 鬼原井先輩が、壁に投影されっぱなしの俺の作品を見つめて静かに呟いた。


「もう、こんな見方が出来なくなったんだね……」



 ショックを受けている三人はそっとしておくことにして、俺は七掛と二人で研究員たちの元を訪ねた。

 ブルーローズの三人が同時に一般人に戻ったことを報告すると、各世界の研究員が食堂に集まり、俺と七掛を通訳に協議を始めた。


「事務的なことはひとまず脇に置いて、今回ののレアケースについて話し合いたい」


 D世界の研究員、初瀬さんの言葉を七掛と俺で通訳する。

 三人がまったく同時に一般人に戻るのはレアケースらしい。

 まだ詳しいことが分かっていない遍在者について解明が進む可能性があると初瀬さんが言い出した。


「複数人が同時に一般人に戻ったケースは海外の事例で報告がある。だが二人までだ。今回のように三人というのは聞いた事がない」


 B世界研究員、因場間さんが海外の事例をいくつか話す。

 どの事例においてもサクラソウと同じように遍在者を集めた施設からの報告だった。ただでさえ数が少ない遍在者が一か所に集まることはそうそうないから、施設からの報告しかないのは当然だろう。


 そして、いままで二人同時に一般人に戻ったケースも遍在者を集めているのだからそういったこともあるだろう、と偶然として片づけられていたようだ。


「しかしながら、三人同時というのは気になるね。サクラソウの記録を見た限り、今回の三人は入寮時期も異なるようだ。相互に何らかの影響を及ぼしあっていた可能性はある」

「他の遍在者に比べて期間が多少短いか?」

「誤差として片づけられる範囲ではある。一年で一般人に戻ったケースもある」


 一年か、早いなぁ。

 平均的には二年から三年とのことだけど。

 B、C、Dの研究員が意見を交わす中、A世界研究員である功刀さんは資料を見比べていた。

 功刀さんは俺と目が合うと、一瞬視線を逸らし、ため息をついてから再び俺を見た。


「過去の事例に共通点があります。一つは世界が重なっていること」


 七掛と一緒に通訳すると、研究員たちが資料を見て同意した。

 功刀さんが続ける。


「二つ目に、いわゆる遍在者の義務について同じチームに所属し続けていること。プライベートは分かりませんが、毎日一定時間は一緒にいたことがうかがえます」


 遍在者の義務を果たすのであればチームは固定した方がやりやすい。分担などで揉める心配もないし、閉鎖環形が完成していた場合は一般人に戻ったメンバーの分を補充するだけにした方が手間はかからない。


「三つ目に、同じ出生世界ではないこと」


 共通点を挙げ終えた功刀さんは一瞬のためらいの後、結論を口にした。


「仮説ですが、遍在者は遍在先の人間との交流を深めることで遍在者としての期間を短縮できる、のではないかと」


 功刀さんの言葉を聞いた時、俺は思わず口を閉ざしていた。

 功刀さんを観測できない他の研究員や七掛が俺を不思議そうに見る。

 功刀さんだけは俺に申し訳なさそうな目を向けていた。


 ため息もつきたくなるというものだ。それでも、言わなくてはならない。

 俺は功刀さんの言葉を繰り返す。


 B、C世界の研究員が功刀さんの仮説に信憑性を見出して検証方法を考え始めるのと、七掛が席を立ったのは同時だった。


「それ――それは、その仮説だと!」

「七掛、まずは通訳だ」

「……っ!?」


 怯んだような顔をした七掛が席に座り直し、泣きそうな声で初瀬さんに功刀さんの言葉を伝える。

 七掛を観測できる因場間さんが遅ればせながら、この仮説が遍在者に何を告げているのかに気付いて天井を仰いだ。


「ジレンマか」


 この仮説はジレンマだ。

 仮説が正しいとすれば、『誰かと仲良くなるほど一緒にいられる時間は短くなる』という遍在者特有のジレンマが発生する。

 言葉を交わしたいのなら、触れ合いたいのなら、距離を置かなくてはならない矛盾を生み出す。


 七掛が俯く。小柄な七掛がいつも以上に小さく見えた。

 少しだけ体温が遠ざかった気がした。


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