第6話 招かれざる客
明けない夜はない、と誰かが言った。
「試験明けだよ、おつかれさま!」
最終日最後の試験となった英語を終えて、隣の席の女子が肩パンチしてきた。うん、理不尽。
「肩パンチじゃなくてハイタッチとかにしとこう?」
提案してみるけれど、筆記用具を片付けながらお隣女子は「えぇ……」とノリ気でない様子。
「避けられたら嫌じゃん?」
「え、俺って避けると思われてるの? こんなにフレンドリーなのに? そもそも避けんし。一方的に殴られるのが嫌なんだが」
英語の試験直後でつい単語が飛び出る現象。
女子は俺の頭の具合を心配するような目を向けてくる。
「むしろ右の頬を差し出してくる勢いだと思ってたんだけど、殴られるの好きじゃなかったんだ?」
「語弊があるから今すぐ謝って、キリストさんに謝って!」
特殊性癖の人の教えみたいになってる。
「榎舟君はきちんとボケを拾って丁寧かつスピーディーに返してくれていいね」
「その視点で褒められたのは初めてだわ」
「最近はテレビでも雑なツッコミが増えていて嘆かわしい。いっそ二人でコンビを組んで動画サイトで生放送デビューする? ブイブイ言わせられるよ」
「ブイブイとか言っちゃう古いセンスで大丈夫かよ。コンビ名はダブリューでいい?」
「いいよ。はい、V」
「ほい、V」
Vサインを作った右手を横向きに差し出してくる女子に、同じくVサインを作った左手の側面を当てる。
「Wでーす」
話に一段落ついたところで手を戻し、俺は机に頬杖を突いた。
「……試験明けの変なテンションに名前を付けたい」
「Wでいいんじゃない?」
「じゃあ、それで。俺、いまダブリュってるわ」
「動詞にするんだ? 私もダブリュってるわ。今日は家で大人しくしておこうっと」
「同じく」
※
そんなわけだかどんなわけだか、俺はいつも通りに学校からサクラソウへまっすぐ帰ってきた。
試験明けの解放感を噛み締めつつ私服に着替え、招田先輩から頼まれている複製に取り掛かる。
試験期間中も勉強の合間の気晴らしに取り組んでいた事もあり、打ち込みそのものは終わっている。後はヘッドセットの左右どちらから聞こえてくるかの設定や反響音の設定などだ。全て招田先輩からもらった指示書があるから手間もあまりかからない。
時々、招田先輩から渡された元データを聞いて比較する。世界が違えば作曲ソフトも異なるため、どうしても微妙な差が出てしまう。差を埋めるのは結局のところ俺や七掛だ。
作業を続けているとブルーローズの演奏が聞こえてくる。勉強の邪魔にならないように押さえていた試験期間中とは違って遠慮のない演奏だ。
作曲ツールの音と被って聞き取りにくくなるので窓を閉めて音をシャットアウトする。
作業を終えてヘッドホンを外すと演奏が止んでいた。
時計を見ると午後五時に近い。夕食でも作り始めたのだろうか。
「そういえば、七掛が来なかったな」
七掛も俺と同じ作業をしているんだろうけど、ここ最近は毎日顔を合わせていたからなんというか、物足りない。
まぁいいや。演奏が止んでいるのなら、ブルーローズは手が空いているはず。完成したデータを届けに行くにはいいタイミングだろう。
マウスを動かしてデータを保存した時、部屋の扉がどんどんと強くたたかれた。
「榎ちゃん先輩、いますか!?」
由岐中ちゃんの少し慌てたような声に緊急事態の匂いを感じて早足に扉を開けに行く。
「――どうかした?」
扉を開けると狼狽えている由岐中ちゃんがいた。
「あの、さっき凛ちゃん先輩の友達って人が大勢訪ねてきて、制服違っておかしいなって思ったんですけど、サクラソウに来る前の友達というかクラスメイトだったらしくて」
「はい、とりあえず落ち着こうか。俺に助けを求めに来たのかな?」
ひとまず落ち着かせつつ、廊下に出て女子陣地の方に目を向ける。
招田先輩の部屋から仲葉先輩と鬼原井先輩が出てくるところだった。二人は険しい顔で何事かを相談し合っていたが、俺に気付くと二人して廊下を走ってくる。
仲葉先輩が走るなんて珍しい。由岐中ちゃんが狼狽えるのも分かる深刻な事態が起きているようだ。
「何かあったんですか?」
「詩乃ちゃんは由岐ちゃんをよろしく。事情は私が説明する」
「分かりました。由岐ちゃんのせいじゃないですから大丈夫ですよ」
仲葉先輩が由岐中ちゃんのフォローに回り、鬼原井先輩が俺の部屋を指さした。中で話すってことか。
部屋の中に案内すると、いつもの軽口も飛ばさずに鬼原井先輩は壁に背中を預けて説明を始めた。
「一時間弱前かな、由岐ちゃんがサクラソウにきたC世界の女子高生たちを中に通しちゃったんだ。在自の生徒じゃないし、許可証もない。けど、サクラソウへの部外者の立ち入りは原則禁止ってことを由岐ちゃんは忘れてたみたい」
「まだ日が浅いですからね。仕方がないでしょう。それで、そのC世界の女子高生たちって言うのは何人で、何者ですか?」
「三人組みで、凛ちゃんの元クラスメイト。私や詩乃からだと見えないんだけど、ほら、凛の部屋で練習してたから」
「鉢合わせに近い形になった、と」
「凛も元クラスメイトが来るなんて知らなかったみたいで驚いていた」
招田先輩なら、来客の予定があれば最初からメンバーに共有するだろうし、アポなしの訪問だったのは間違いなさそうだ。許可証を所持してないのも頷ける。
鬼原井先輩は腕を組んで続ける。
「C世界の女子たちの会話は聞こえないけど、凛ちゃんの発言ならわかるからさ。後でからかってやろうと思って、詩乃ちゃんと一緒に部屋に居残ったんだ。ただ、どうにも様子がおかしくてさ」
「招田先輩の様子が、ですか?」
「それもあるけど、多分、来客の方もだね。凛ちゃんの発言からの推測だけど、どうにも喧嘩別れに近い状態だったみたい」
「喧嘩別れ?」
由岐中ちゃんの慌て方を見た後だと、謝りに来たとも思えない。
鬼原井先輩も情報が足りないのか悩んでいる様子だった。
「事情はよく分からないけど、凛ちゃんがサクラソウに来たのって二年前の秋だったんだよ。ちょうど文化祭の季節でね。その時に前の学校で一悶着あったのは聞いてたんだけど……詳しくは分からんないんだよねぇ」
もどかしそうにそう言って、鬼原井先輩は腕組みを解いた。
「けど、どうやら凛ちゃんは煽られてるみたい」
「話が見えないですね」
「元の学校の文化祭の出し物に曲を提供しろって頼まれてるみたいなんだよね。凛ちゃんってC世界だとすでにプロだから」
「あぁ、タカリか」
うざいんだよなぁ。下手を打つと角が立つし。
けれど、そういうことなら納得だ。
背後の事情が何となく見えてきた。
「先輩たちは招田先輩とC世界の女子高生との間に俺を放り込んで事態の収拾を図ってもらいたい、と?」
「お願いできないかな? 私たちだと干渉できないんだよ」
「当然、協力します。ですけど、取っ掛かりがないです」
「――持ってきました」
部屋の扉を開けて割って入ってきたのは由岐中ちゃんだった。
持ってきたって何を? 取っ掛かりを?
「招田先輩の部屋の裏に回って情報収集してきました」
忍者か。
「で、どうだった?」
時間が惜しいのでツッコミを放棄して尋ねると、由岐中ちゃんは怒ったような顔で声真似をした。
「あの人たち、凛ちゃん先輩に『まだ音楽やってんの? 新曲はできたのかなぁ?』とか『ネットの音楽活動も音沙汰なしでしょ? みんな心配してたんだよー?』とか言ってました。でも、凄く感じが悪いです」
「よし、それが分かれば殴りようがある」
「暴力沙汰は不味いですよ」
「手は出さないよ。口を出すだけ」
ちょうど武器も完成したところだしね。
俺はC世界のUSBメモリを政府から支給されているC世界パソコンから抜いて、由岐中ちゃんを残して部屋を出た。
鬼原井先輩と仲葉先輩に作戦を伝え、先に招田先輩の部屋に入って作戦を伝えてもらう。
C世界の人間からは鬼原井先輩たちが見えないため、招田先輩へ伝達した作戦が漏れる心配はない。この点、遍在者としての特性を十全に使わせてもらう。
招田先輩の部屋の前に立ち、扉をノック。
先輩に懐いている後輩らしく軽めの声で、
「先輩、この間の曲データのコピーが終わったので返しに来ました」
返事は聞かずにさっさと扉を開ける。普段はこんなことしないけれど。
「あれ、来客中ですか? すみません。すぐ終わるので、お邪魔します」
さっと部屋の中を見回して敵の位置や表情を確認。
女子高生三人。俺を警戒しているけれど、後ろめたさを隠しきれてない表情だ。
けれど、俺が招田先輩の後輩、つまりは自分たちより年下だと遅ればせながら気づいたらしく、余裕を取り戻して嫌味な顔をし始めた。
中学時代の美術部員がこんな顔をしていたっけな、と変なところで懐かしくなった。おかげさまでどういう種類の人間なのかが判別できたのだから、よしとしようか。
「えっと、誰、この子。もしかして彼氏?」
「違うよ。後輩」
「なんだ。作曲なんかやめて彼氏と遊んでるのかと思ったのに」
なんだ、こいつら。作曲なんか、とか言ってる。
もしかして、招田先輩の曲を聞いた事もないのか?
招田先輩は不快感を隠そうともせずに女子高生三人に険のある眼差しを向けている。
俺は険悪な雰囲気を無視して勝手に招田先輩のパソコンを借りる。
パソコンの横にいた鬼原井先輩とアイコンタクトを交わす。情報共有は済んでいるらしい。
「曲データのコピーはバンドメンバーと共有しました」
「コピーってなに? 既存曲のアレンジでも作ったの?」
女子高生三人組の一人が口を挟んでくる。
俺は振り返って肩をすくめる。
「先輩がアレンジとかすると思ってます? もしかして、先輩の曲を聞いた事がないんですか? 普通にオリジナルですよ」
「え、なにこの子、感じ悪いんだけど」
引きつったような笑みを浮かべるその人を無視して招田先輩を見る。
「というか、先輩も先輩ですよ。来客があるなら事前に言ってください。メンバーとの打ち合わせが今日なの、忘れてたんですか?」
「メンバー?」
女子高生三人組が形勢の悪さを察して顔を見合わせる。
まだ音楽やってたんの、だのなんだの好き放題言っていたのに、ネットで公開してないだけで音楽を続けているどころかバンド組んでるんだから。
ねちねちと攻めていた言葉のすべてが的外れとなればどれほど滑稽か。
「それで、この人たちって何をしに来たんですか?」
「文化祭に楽曲を提供してほしいってさ。断ったんだけど」
「断ったって、もしかしてアポなしですか?」
「――ちょっとこっちの話にまで口を挟まないでよ!」
大声を張り上げる女子高生に「確かにそうですね」と同意して、俺はにこやかに告げる。
「その言葉、そっくりそのままお返ししますよ。先輩のバンド活動に口挟める関係ではないでしょう? 先輩の作曲活動に口を挟めるほどの貢献を何かしたことがあるんですか? 先輩の活動を応援する気もないくせに利用することばかり考えて口を挟まないでください――邪魔です」
はっきりとバッサリ切って捨てる。
女子高生三人組が口を閉ざして押し黙る。鬼原井先輩と仲葉先輩が唖然とした顔で俺を見る中、招田先輩が口に手を当て俯いた。
「榎舟君、きっついな」
「そういう招田先輩こそ、声が笑ってますよ?」
そう、招田先輩は笑っていた。手で口元を隠していても分かる。笑いをこらえるので精一杯だよ、この人。
招田先輩は不愉快そうな顔で睨んでくる女子高生三人組の前でしばらく笑いをこらえた後、目じりの笑い涙を拭った人差し指で玄関の方角を指さした。
「そういうわけだから、君たち邪魔なんだよね。こっちも忙しいからさ、これ以上構ってあげられないんだ。出てってくれる?」
「な、何よ、その言い方!」
「これでも優しく言ってる方だよ。そもそも話は終わってるよね。私と君たちは元クラスメイトで現赤の他人。君たちの文化祭に協力する義理なんてないの。それと、サクラソウに入るには本来許可証がないといけないはずなんだけど、三人とも持ってる?」
「許可証? 入り口の子はそんなことひと言も――」
「持っているのが当然だからね。君たち、気付いてないみたいだけどここは一応国立の施設なんだよ。警備に見つかったらお役所仕事で片付けられて、不法侵入の前科がつくかもよ?」
実際には警備員なんていないし、研究員がこちらまで来ることはめったにないからばれないと思うけどね。一応、防犯カメラが付いているけど、割と出入りは緩い。
けれど部外者の三人組が知るはずもなく、怯んだような顔をした。
何より、彼女たちにはもうここに留まる理由がない。楽曲の提供を断られ、何か嫌味を言っていたようだけどその嫌味すら的外れ、おまけに警備員に突き出すと遠まわしに脅されてもいる。
三人が立ち上がる。
「歓迎されてないみたいだし帰るよ」
「こんなところまで来てあげたのに、時間を無駄にした」
「ばいばい。赤の他人なら同窓会も来ないんでしょ。もう会わないね」
捨て台詞が小者だなぁ。
警備員が怖いのかすごすごと逃げ帰っていく女子高生三人組を一応玄関から見送って、俺は笑いを堪えている招田先輩を横目に見る。
「警備、呼んでおきます?」
「Cの在自高校の警備に連絡入れておいた。多分、麓まで送迎してもらえるだろうね」
「先輩も大概容赦ないですね」
「これくらいの意趣返しは許されるでしょ。二度と来てほしくないし。三人にも心配かけたね」
招田先輩が振り返った先に鬼原井先輩と仲葉先輩、由岐中ちゃんがいた。
「はらはらしました。中の様子は分からなかったんですけど、榎ちゃん先輩が何とかしてくれたんですよね?」
C遍在のため招田先輩の部屋に入れなかった由岐中ちゃんが尋ねると、鬼原井先輩と仲葉先輩が顔を見合わせた。
「まぁ、何とかはしてくれたんじゃないかな」
「怖かったですねぇ。榎舟君は怒らせちゃダメな人ですね」
「……榎ちゃん先輩、暴力沙汰はダメです」
「振るってないから。指一本触れてないから」
疑いの目で見てくる由岐中ちゃんに弁解する。
招田先輩が機嫌良さそうに空を仰いだ。
「正論という名の言葉の暴力を振るっただけだよね。痛快だった。最高の気分!」
「凛ちゃん先輩がいいならよかったんですかね?」
「あたしも一部始終を見ていたけど、この二人は多分、怒る所がおんなじなんだよ」
「前々から思っていましたけど、似た者同士ですもの。創作家さん同士気が合うんでしょうねぇ」
そんなに似てるところなんかあるかな。俺は招田先輩と違って鬼原井先輩の面倒なんて見れないけど。
不意に、招田先輩が俺の手首をつかんだ。
「散歩に行きたい気分になった。相真君もおいで」
「いきなりですね。試験も終わってますし、別にいいですけど」
「よし、決まり。いったん私の部屋に行こう。ベースを貸してあげるから海で練習。今日は私が見てあげるよ」
「え、いいんですか?」
現役学生プロから教えてもらえるのはうれしい。いや、鬼原井先輩も上手なんだけど、たまには別の視点も聞きたい。
鬼原井先輩が慌てる。
「ちょっ、あたしの愛弟子が!?」
「ははは、慧、悪いけど相真君は貰い受ける」
「寝取られたぁ! ……制裁が来ない、だと?」
いつもの調子でセクハラ発言をかました鬼原井先輩だったが招田先輩からの鉄拳制裁がないことに驚愕している。
仲葉先輩が頬に手を当てた。
「本当に機嫌が良さそうですねぇ」
「逆に怖くなってきた。相真君や、君の師匠はこの鬼原井慧、鬼原井慧であることを肝に銘じておくんじゃよ?」
「……うーん」
「すごく悩んでいる!?」
ぎゃーぎゃー騒いでいる鬼原井先輩を置いて、招田先輩と俺はベースとギター片手に散歩に出た。
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