第85話 生きていられることの喜び

—1—


 意識が戻ったコグマがスイを背負い、私たちは時間をかけてマザーパラダイスに帰ってきた。

 お昼前に出発したのに気がつけばもう夕方だ。


「あっ! ウシオ!!」


 マザーパラダイスの黒門を潜ると、最年少のハッチとアイラがウシオに飛びついた。


「2人とも良い子にしてた?」


 ウシオが2人を抱き寄せ、頭を優しく撫でる。

 そうこうしていると庭で遊んでいたスコップやキララたちも駆け寄ってきてウシオの取り合いが始まった。


 堀宮を倒すことはできなかったけれど、またこうしてマザーパラダイスに戻ってくることができた。

 みんなの顔を見られただけでも幸せだ。 


「おかえりなさいみんな。あら、スイは怪我をしちゃったのね。コグマ、スイの手当てをして布団に寝かせてもらってもいいかしら?」


「うん、任せてマザー! キノコも手伝ってよ」


「お、おう」


 キノコとコグマがスイの治療をするべく屋敷に入って行った。


「マザー、スイはどうしたの?」


「心配ないよアイラ。ほら、もう暗くなるからお家に入るよ。みんなも晩ご飯にするからお家に入って」


『「はーい」』


 種蒔さんの号令で年少組がぞろぞろと屋敷に足を向けた。


「それで、その様子だと堀宮は逃したのね」


 私とウシオ以外の全員が家に入ったことを確認してから種蒔さんが口を開いた。


「3人の護衛を倒すことはできたのですが、堀宮の異能力により意識を失ってしまい、目を覚ましたら堀宮はいませんでした」


「そう、わかったわ」


 任務失敗と聞いたら怒るかもしれないと予想していたのだが、種蒔さんは案外すんなりと飲み込んだ。


「ウシオ、玲於奈もお風呂に入って汚れを落としなさい。それと今日は疲れてるだろうから早く休むこと」


 種蒔さんが私とウシオの背中を押した。


—2—


 「疲れた体にはお風呂が染みる」なんていつかのドラマで中年の役者が言っていたけれど、まさか9歳にしてその感覚がわかる日が来るなんて思ってもいなかった。


 戦闘で疲れた心と体がゆっくりと温められていく。


「えっと、何?」


 シャワーを浴びていたウシオを浴槽から何気なく見ていると、ウシオは眉間にしわを寄せて不思議そうな表情を浮かべていた。


「ううん、ごめんなさい」


 両手でお湯をすくい、自分の顔にパシャリとかける。


「別にいいけど」


 ウシオが首を傾げた。

 ウシオの体には、今回の戦闘より前についたと思われる切り傷や打撲の跡が複数あった。

 その中には堀宮の異能力で見せられたウシオの父親によるものもあるのかもしれない。


 血液を操る異能力。

 強力ではあるけれど、異能力を使えば使うほど自身の体が傷ついていく。

 ウシオは仲間を守るために自分の体を犠牲にして戦っているのだ。


「ねぇ玲於奈、この施設は何かおかしいとは思わない?」


 シャワーを浴び終えたウシオが浴槽に足を入れてきた。

 私とウシオは足を折って向き合うようにして座る。

 ウシオが入ったことにより水位が上がり、首までお湯に浸かった。


「普通ではないと思う」


 大の大人が裏社会なんて危険な場所に子供を送り込み殲滅させる。

 これが正常であるはずがない。


「スイが話してくれたの。種蒔さんに私たちが何をされていたのか」


「そう。異能力の成長促進、私たちは毎日健康チェックという名目のもとに異能力の底上げをされていたの。玲於奈も今日わかったと思うけど、あのレベルの大人が相手でもほぼ互角に渡り合えることができるわ」


 自分の知らない間にあれほどまでの威力の攻撃技が出せるようになっていたとは。

 スイに話を聞かなかったら私が知ることはなかっただろう。

 そう考えると恐ろしい。


「そもそもの話になるんだけど、なんで種蒔さんは私たちに危険なことをさせようとしているの?」


「それは私にもわからない。ただ、命令に背けばマザーパラダイスの仲間が消える。過去に任務を拒否した仲間が突然いなくなったことがあるわ」


「それって」


「マザーの仕業だと思う。他にも任務中に命を落とした仲間もいる。私はあの悪魔から大切な仲間を守りたい。だから強くなった。でも、私の手の届く範囲には限りがある。それを今回思い知ったわ。だからお願い。玲於奈、あなたも強くなって私たちと一緒に仲間を守ってほしい」


 ウシオの髪の毛から水滴が湯船に落ちる。

 マザーパラダイスに加入したのが1番最後だとはいえ、私はウシオと同じく最年長だ。

 それに全てを失った私にはもうここしか居場所がない。


「わかった。私にウシオの戦闘技術の全てを教えて」


「ありがとう。それじゃあ早速明日から始めるよ」


 私とウシオは浴槽の中で固い握手を交わすのだった。


—3—


「玲於奈、こっちこっち! お星さま、きれいだよ!!」


「ちょっとアイラ、走ると転ぶってば」


「ほら見て!! お星さまキラキラー!!」


 最年少のアイラに手を引かれて窓際までやって来た私は、そのあまりにも綺麗な光景に目を奪われた。


 夜空に浮かぶ無数の星々。


 マザーパラダイスは住宅街の外れにあるから周囲に灯らしい灯はない。

 それに加えてアイラの演出なのか室内の照明が全て消えている。


 今日1日で多くの血を見たり、痛みを知ったり、命のやり取りをしたりとあまりにも心が疲弊してしまっていたのだが、この綺麗な星を見ているとなんだか心が落ち着いてくる。


「へへーっ」


 私が星を見て感動していると、アイラが満足そうな笑みを溢した。

 アイラは子供らしく表情がコロコロ変わるので一緒にいて楽しい。

 それでいて人の気持ちを読み取ることに長けているため、常に仲間の誰かを喜ばせようと振る舞うことが多い。


 聞くところによるとアイラの異能力は『愛』らしい。

 人に愛を分け与えて幸せな気持ちにさせるという優しさに満ちた異能力だ。


 私もマザーパラダイスにやって来てからアイラの優しさに救われている。


「あれ、どうしたの2人で」


「隠し事か? ダメだぞ、マザーパラダイスの仲間に隠し事は!」


「スコップあんたはうるさい!」


「痛ッ!」


 キララとスコップがいつも通りじゃれ合いながら部屋に入ってきた。


「アイラに星が綺麗だから一緒に見ようって誘われたの」


「星? あっ、本当だ。綺麗……」


 キララが空を見上げ、目をうっとりさせる。


「女子ってキラキラした物とか可愛い物とかにほんと弱いよな。でも、確かにこれは綺麗だな」


 自分はそんなものに興味無いと言いたげなスコップだったが、自然の美しさの前では正直になるものだ。

 窓際に吸い寄せられ、大人しくなった。


「みんな騒いでどうしたの?」


「屋敷中に響いてたぞ。夜なんだからもう少し静かにしろ」


 コグマとキノコの2人も話し声を聞きつけてやってきた。

 いや、2人だけではない。

 部屋を見回すと別室で寝ているスイを除いた全員がこの部屋に集まっていた。


「みんなでお星さま見よ!」


 アイラがこっちこっちと窓際の方に手招く。

 それを受けて壁に寄り掛かっていたウシオがアイラの隣に腰を下ろした。


「あー、あー」


「どうしたんだよキララ」


「星を見ていたらなんか歌いたくなっちゃって」


 普段ならスコップも余計な一言を言うところだが、今回は黙って視線をキララから夜空へと向けた。

 歌えばいいんじゃないというスコップなりのサインだろう。


「〜〜〜〜♪」


 夜空に浮かぶキラキラと輝く星たちが私たちを見守っていて、その星に歌声を届けるべく私たちは声を揃える。

 歌詞としてはこんな感じだ。


 とても短い歌だけど、今の私たちが置かれている状況と重なって思えて感情が揺さぶられた。


 私たちを見守っている星というのが、マザーパラダイスで命を落としていった顔の知らない仲間たち。

 その星に歌声を届けようとしているのが、今マザーパラダイスにいる私たちだ。


 ふと横に目をやると、ウシオが唇を噛み締めていた。

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