170 夢の終わり
「おっと、抜け目ないね」
学園長は空けていた右手で顔面に投げつけられたナイフを受け止めた。
そして続くように、酷くゆっくりとした足取りで桜井が学園長の下へと歩いてくる。
彼の瞳は虚ろで意思の光がない。そしてその症状は桜井のみならず、学園長の鳴らした音を聞いた天内達もまた同様に意識を失い棒立ちしていた。
「……ぁ、ぅ」
「意志があり、知性があり、音が聞こえるならば私の『
そう言って学園長は目の前にやってきた桜井の眼前でもう一度指を鳴らす。
これによって桜井の意識は完全に学園長の支配下に置かれ、歩みが止まり彼の胸元に倒れていく。
戦闘は始まる前に終わりを告げる。
彼の発した音を聞いた全員が今や夢の世界に旅立っているだろう。
冒険者学園の学園長。
原作ゲームにおいて名も明かされぬこの男性は戦いを挑むことこそ可能だが、どのような手段を使っても打倒が不可能とされた無敵の対人特化幻覚術士である。
彼が扱う技は一つだけ。
それは使用条件を『学園敷地内にいる場合』に限らせ『自身は一切の武装をせず』『行使目的は学園または学生を守るために限り』『その対象を人類のみとする』という縛りを設けた上で行使される幻覚魔法。
指鳴らしというたった
「元気なのは良いことだが元気過ぎるのも困りものだな。さて、どうやって運び出したものか」
魔法の腕はあれど腕力はそうでもない学園長は扉の前に転がる人々を見て、ついでに入り口に寝かせている2人を思い出して困ったように呟いた。
学園内で見かけた『魅了』状態の生徒たち。そこに異常を感じ取り、魔力の痕跡を辿ってここまでやってきた。
単独か、複数か。いずれにせよ使用する幻覚魔法の性質上味方を対象から外すことが困難であることや、そもそも現在の学園において人員を引き抜けるほどの余裕が無かったが故の単身。
犯人の移送に困るという点は見越していたものの多くて3人程度と想定していた彼はその倍以上の数にため息をついて、その面々を見回した。
神の娘アイリス・ニブルヘイム。地方からの麒麟児たる天内 隼人に赤野 玲花。
元聖女候補エセル・タイナーと元風紀委員長の檜垣 碧。
『黒曜の剣』から寝返ったルイシーナ・マテウス。
そして今年度最大の問題児であり、あの『剣聖』の愛弟子。
冒険者学園内における『最狂』こと桜井 亨。
誰もが例外なく望む夢の世界へと落ちている。
あるものは満ち足りた微笑みを浮かべ、あるものは穏やかに眠り、なんか1人だけ自分の胸元でだらしない笑みを浮かべている奴がいる。
ともあれまずは一番近くにいるこの少年を運び出すとしよう。
そう考えた学園長はまずは最も近くにいる桜井の肩に手を起き――。
――幸せな夢を見ている。
学園長の幻覚魔法『
友や家族と過ごす笑顔の絶えない日常。互いに思い合う愛するものと営む暖かな家庭。
解放された母と歩む豊かな旅路。尊敬する師と送る修練の日々。何が起きるかわからない刺激的で自由な世界。
そして、無尽蔵に湧き出る敵との不眠不休の”
「ヒッヒッヒッ、ハッァ! ヒャァーッ! ハッハッハッハッ!! アハハハハハハッ!!!」
殺して殺して殺して回る。
悪鬼羅刹に魑魅魍魎、魔物に神に人に老若男女一切の区別無く。
目に入る全てが敵、目に映る全てが餌、目に捉える全てが経験値。
人、物、森羅万象を純粋な歓喜と感謝を込めて蹂躙する。骸の山を築き上げ、血の大河を作り出し、その源流として全身を血に染めて。
「エヘッガヘッ、ゴフッ! ガッハハハハハッハ! ハァッ、ハァ!」
傷つけるならば傷つけられる。攻撃すれば攻撃される。
欠損は笑い声とともに再生し、重症程度では止まることがない。桜井の全身を染める”赤”は彼の血と返り血が混ざり合ってできている。
経験値の質は高ければ高いほど良い。だからこそ敵にも相応の質を求める。
一度それを
故に終わりなきレベル上げは際限なく激しさを増していく。
今や桜井はかつての強敵たち、幾人にも増えたバビ・ニブルヘイムやヨゼフ・アサナガとその軍勢。
檜垣を筆頭に知る限りの戦える者たちを相手にたった一人で大立ち回りをし続ける。
顔見知りだろうがなんだろうが、桜井の振るう剣に一切の迷いは無い。斬って斬って斬って、その全てを経験値へと変えていく。
「ウヒッ、ハハッ! ハーハッハッハッハッ……あ、そうだ」
ふと思い出したかのように物を作る。料理を衣服を家を像を、突如として作り始める。
時には『隠密』スキルのレベル上げをするためにかくれんぼをしたり、いつの間にやら商人に身をやつして商談に励んだり、鍛冶に励んだり。
周囲の全てがそれに追従する。闘争を望めば闘争を、創作を望めば創作を、遊びを求めれば遊びを。
思うがままの行いによって積み上がっていく経験値という名の数値を前に桜井のレベル上げは加速し続ける。
そしてついにその時が訪れる。
何処からともなく響き渡るファンファーレに聞き入って、心底嬉しそうに破顔して笑い声を上げる。
それが終われば桜井はまた戦い始める。経験値が入ればレベルが上がり、レベルが上がればまた経験値を稼ぎ始める。
日々の営みに終りがあるとは思わぬように、暖かな家庭に永遠あると信じるように。
未来永久にもわたると見紛うレベル上げを桜井は楽しみ続ける。
この幻覚世界を自分の意志で抜け出す手段は存在しない。学園長が施した幻覚魔法とはそういったものだ。
「お、おぉ……! おぉぉぉ!! おっヒャはっはははははは!!」
しかし唯一つ、桜井をこの望んだ世界から目覚めさせるものがあった。
それは桜井が耳にする一風変わったファンファーレと共に生まれ、彼に至上の喜びと強い達成感を与える概念。
それこそが――
「――よっしゃァぁあ!! カンストォッ!!」
レベル上げには終わりがある。
レベルアップというゴールを目指すその過程こそがレベル上げなのだから。
逆説的に言えばそこには
この世界が彼のよく知るゲームのそれと同じであるからこそ。
才能が無い故に、自身のレベル上限に頭を痛めたからこそ。
そこに至るまでの過程を楽しみ続ける人間だからこそ。
『
「う、ぐぅ」
「……ん? え? あれ? 俺、今まで何を……? え? なんで学園長倒れてんだ?」
もっとも、夢が終わった主原因はカンストの喜びと共に夢の中で全力で振り上げた拳が現実の肉体と連動し、その間近に居た学園長の顎を完璧に殴り抜いたからではあるが。
この後、理由はともあれ学園長に勝利できたことに関して喜んでいたのも束の間。
夢の中で積み重ねていた経験値がただの幻覚に過ぎず、現実においてなんの経験値にもなっていないことに気がついた桜井は深く嘆き悲しんだ。
「起きて下さい学園長! あんたの夢が必要なんです! 俺の、俺の心の平穏のために! 今度こそちゃんと現実でも経験値が入るようにするから! 起きろ! 起きろや!! なに寝てんだクソッ!! クソッ、クソッ……睡眠学習って言葉は幻想だって言うのかよ……クソぉ……!」
そして桜井は自分のために失神した学園長に殴り起こそうとするも、一向に目覚める様子はなく。
結局は後から目覚めてきた仲間たちの手で強引に引き剥がされるまで悲しみを握りしめた拳を振り下ろし続けていたのであった。
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