断章 過去より今へ

156 対竜総力戦


「――っ!」


 壮絶な死の気配に『剣聖』佐貫 章一郎の意識が覚醒した。

 幸運にも手には愛刀、大太刀『撫斬火喰なでぎりひばみ』が今もなお血まみれの手に握られている。


「キェリャアアアアッッ!!」


 佐貫は猿叫と共に大太刀に炎を纏わせ振り抜いた。

 一振りの毎に1つの死を弾き、なお雨霰のように続くそれを剣戟の結界によって無力化していく。 

 佐貫に迫る”死”は深緑の竜ドラゴンがその両手に備えた合計8本の爪から繰り出す斬撃であった。


 斬撃には竜が観察の末に学び取った剣技の極地がその爪の1つ1つに宿っていた。

 見取られた極地は1つ、『射程拡張』、字面の通り攻撃の射程を拡張するもの。

 それは剣技において『飛ぶ斬撃』として発露する。


 竜はその特性を利用し自身の懐に入り込んだ佐貫を刻まんと指を宙で蠢かせるように次々と折り曲げていた。

 一指が動く度に、直撃すれば佐貫を消し飛ばすに十分な斬撃が生まれ彼へと向かって射出される。


 長く、大きく、無色透明。それはもはや空間斬撃と言って過言ではない。

 空気の壁を容易く破り、破裂音よりも早く到来する音超えのそれを『剣聖』は未来予知にも似た超直感にて捉え、生ずる炎で加速させた斬撃により弾いていた。


「ゴォォガアァアアアァンッッ!!」

「ぐッ、ケェキィャアアアアッッ!!」


 深緑の竜と『剣聖』が叫び、斬り結ぶ。


 後ろの二足で立ち上がり爪を振るい続ける竜、それは全高320mもの巨体を誇る。

 山脈の如き胸筋から繋がるのは屈強な四肢、背部からは胴体全てを包み込めるであろう巨大な翼が生えている。

 そして全身はオリハルコンの如き頑強かつ伸縮性を持つ上に殆どの魔法を跳ね除ける龍鱗に覆われており、強靭に発達した尻尾は打ち付ける度に大地を砕き衝撃波を生じさせほどだ。


 しかし今やその竜も『剣聖』に対して格闘戦を挑まねばならない程に消耗していた。


 両翼は『先王』マヌエル・フォン・クナウストが作り出した九門の螺旋式超大黄金主砲と後方魔法部隊250名による対竜用螺旋式誘導魔法弾11発により吹き飛んでいた。

 尻尾は『聖者』レイモンド・タイナーを含む騎士部隊による決死の杭型攻勢結界により半ばから千切れ飛んでいた。

 龍鱗は『剣聖』佐貫 章一郎が放つ剣技に幾度も斬り裂かれ、続く前衛部隊の攻撃によって全身から流れる血潮は大地に赤き湖を作り上げていた。


 『孤狼』に『泰然』、『当千』や『破邪』に『万丈』『無尽』。

 その他多くの名だたる英雄、精鋭達による怒涛の攻撃に晒され竜の身体に傷のない場所は存在しない。

 とはいえその殆どは飛来する竜に対する対空砲撃から始まった奇襲によるもの。敵が人類の存在を知覚してからの戦いは劣勢と言っていいだろう。


「ガアアアァゴガァァアア――ッッッ!!」


 竜の吐く熱線ブレスを受けた『聖者』レイモンドと騎士部隊はその生命と引き換えに討伐隊を守り抜きながらも、竜の執拗な暴力の連打によって大地の染みへと変わった。

 『先王』マヌエルは竜の口の中に飛び込み全霊を賭した零距離射撃を以て竜から熱線放射器官を奪った。その際に発生した爆発によって老体は砕け空に四散した。

 跳躍により前衛部隊を乗り越えた竜により後方部隊は踏み潰され壊滅し、竜が大地を砕き前衛部隊へと投げつけた岩盤は一つ一つが人を圧殺可能な岩石へと変じて降り注ぐ。


 『剣聖』たる佐貫もまさか『先王』が熱線放射器官を奪った際に起きた爆発で開いた喉の穴を押さえ、その胸いっぱいに吸い込まれた空気を新たなブレスとして叩きつけてくるとは思ってもいなかった。


 竜の口から吐き出された息吹は激しく吹き荒び、指向性を持った空気の壁が全身に叩きつけられた。

 五体がばらばらに砕けるのでは無いかと錯覚するほどの暴風が直撃し、合わせて飛来する砂と礫が身体中の肉を抉る。


「グッ、グゥウっ!」


 礫とはいうがその実態は拳大かそれ以上のものが多く、それは息吹の後押しを受けて暴力的な速度と共に次々と襲いかかってくる。

 その一つ一つはもはや人体を爆ぜさせるに十分な砲撃の如き散弾。

 それが頭部に何度も直撃すればさしもの『剣聖』であろうとその意識を一瞬失うに至る。


 爆発とも思えるような暴風と衝撃を耐えた佐貫を残し、その周囲の大地は隕石でも落ちたかのように抉れていた。

 その間に接近した深緑の竜が佐貫へと学び取った空間斬撃によって斬りかかり、それを察知した『剣聖』が覚醒し大太刀を手に斬り結び始めたのだ。


「(手数の速度が違いすぎらぁ。”竜は頭がいい”とは聞いたが剣技を見取ってくるたぁ無茶苦茶なことをよぉ)」


 しかもその剣技を爪で行ってくるというのだから、『剣聖』たる佐貫をもってしてもふざけているとしか言いようがない。


 手数で言えば1本の大太刀に対して8本の爪、単純計算で自身の8倍の手数で斬撃を放つ竜に対して佐貫は防戦一方。

 加えてその連射速度は秒間二十数撃。それほどの斬撃に対応している事実こそ異常ではあるものの、佐貫には剣戟の雨霰を抜ける手段が見つからない。

 更には足元へと流れ込み溜まり始めている竜の血液が徐々に佐貫の動きを阻害し始めている。佐貫は歯を食いしばる他にない。


「(だがヤツも弱ってる。見取ったばかりの俺の剣技なんつー付け焼き刃に頼らなきゃいけねぇ程度には弱ってやがる)」


 斬り結びながらも佐貫は眼前の竜が瀕死に近いと見立てており、それは事実であった。


 餌の匂いを嗅ぎつけ飛んでいたところ突如として両翼をもがれ、尻尾を千切り飛ばされ、喉に風穴を開けられ全身を斬り刻まれた。

 流れ出る血潮は深緑の龍鱗を黒く染め上げ、竜の身体から力を奪い去っている。

 人類精鋭たちの一斉攻撃によって竜にはもはや拳を振りかぶる体力さえも残っていなかった。


「アアアァゴァァアアッッッ!!」


 故に竜は意識を保つために叫び、激痛を耐え、残された力を指に込めて付け焼き刃の剣技を振るい続ける。


 戦わねば殺される。自分に群がる小さな生き物たちに殺されてしまう。

 死んでなるものかという怒りにも似た執念が竜を突き動かしていた。


 そして生き残るためにも決死の息吹で吹き飛ばした者たちが戻ってくるまでの間に眼の前の”耐えきった個体”を始末しなければならない。

 あれこそが自身を殺す刃となると竜は理解している。

 自身の龍鱗を切り裂けるものは『剣聖』1人であり、他の有象無象はその傷口を広げることしかできなかったからだ。


 奴さえ消せれば生き残れるという確信があった。

 故に竜は一呼吸が欲しかった。

 1度しっかりと呼吸ができれば、爪ではなく手足を動かせるようになるから。

 それが例え僅かな回復による一手限りの全力であったとしても勝利に繋がる一手である。


 だがしかし、その呼吸をするための余裕を作り出す手段が竜には無かった。

 付け焼き刃の空間斬撃は『剣聖』に対しての足止めであり、この剣戟に微かな綻びでも生まれれば敵はそれをこじ開け瞬く間に抜け出し襲いかかってくる。

 そして竜はその巨体に刻まれた負傷によってもはや機敏に動くことができないからこそ、『剣聖』を一度見失えば二度と捉えることはできないと理解していた。


「(俺の体力が先に尽きるかどうかの我慢比べなんざ付き合ってられねぇぞ。他の連中は生きてんのか? 見る暇もねぇ、どうする、賭けに出るか?)」


 対する『剣聖』佐貫も状況を打破する一手を希求していた。


 幾ら付け焼き刃と言ってもその空間斬撃の雨霰は一撃でも受け流し損ねれば致命傷となりうる。

 また竜が弱っているとは確信すれど、そもそも人と竜では体力の桁が違う上に佐貫が立つ陥没した大地は竜の血潮が流れ込み溜まり始めていた。

 徐々に水位を上げていく血溜まりは足捌きを阻害し、それは時間とともに膝から腰なんなら胸にまで至るかもしれない。そのような状況で満足に大太刀を振るうことなどできないだろう。


 我慢比べは圧倒的に不利。

 ともすれば”致命傷を覚悟して強引に突破し高さ300m以上もある竜の身体を登って奥義を叩き込む”という賭けに出るか否かという話になってくる。


 だがハッキリ言って分が悪いどころの話ではない。

 可能かどうかで言えば単身で竜の身体を登り切ることは可能だが、奥義を致命とするには『先王』が作り上げた喉の穴へと叩き込む必要がある。

 そこ以外では深手こそ入れることはできるだろうが、傷を受けた竜が死ぬまでの間に抵抗する余地が生まれてしまう。


 それは当然、文字通り”死力の一撃”となるだろう。

 奥義を放った直後の佐貫が晒す一瞬とも言える隙を剣技の極地を見て取るほどのセンスを持つ竜がそれを見逃すはずもなく、そこに竜の死力を叩き込まれれば『剣聖』佐貫 章一郎と言えど間違いなく死ぬだろう。


 佐貫と竜は奇しくも同じジレンマを抱えることとなる。

 それは相打ち覚悟の賭けに出るか、それとも起きるかもわからない状況打破の一手を待ち続けるかの二択。


「ゴォォォガァァァ!」

「チッ」


 降り注ぐ竜の剣戟、そのペース配分が最適化されたことを佐貫は察知した。

 体力消費を最小限に留めると共に賭けに出ることを選べば抜け出せる程度の攻撃密度だ。それが示すのは竜が『我慢比べ』を選択したという事実だ。


 前述の通り我慢比べに出るのは好ましくない。故に佐貫は賭けに出ることを――選べなかった。


「(ハッ、この期に及んで命を惜しんでるってか?)」


 少し前の自分であれば迷いなく賭けに打って出ていた。

 仲間の生存を信じていない訳ではなく、老いぼれの命1つで竜を討てるならばと踏み出していた。

 そして賭けに出て、竜と相打ち死んでいたはずだろう。


 だがしかし、今この場にいる『剣聖』佐貫 章一郎の脳裏に1人の少年がよぎる。

 教えられることはもう無いと別れ告げたはずなのに、どうしても忘れられない狂気の笑みがある。

 我ながら不健全な考えだと思うもののアレの行末を見届けたいという想いが『剣聖』の後ろ髪を引いていた。


 死に急ぐには未練があった。

 その未練から来る迷いが彼の運命を変えることとなる。


「――――ッッ!!」


 佐貫の遥か後方から誰かの叫びと共に矢が放たれた。

 矢は空気を裂きながら一瞬の流星の如く深緑の竜、その瞳へと向かって真っ直ぐに飛ぶ。

 一切の山なりを描かぬそれは人外の膂力にて引き絞られた剛弓より放たれた個人砲撃と言って過言ではない。


 しかし、竜に向かうはたった一矢。

 仮に放たれた矢が数十にも及んでいたならばまだしも、そんなものでは竜の瞳を覆う半透明の瞬膜を貫くことなど不可能である。

 それは一矢を射った怪力の射手も理解している。理解した上で、その一矢に全霊をかけ、ボロボロの腕が反動で千切れ飛ぶことを承知で矢を放ったのだ。


 矢は飛び、竜の瞳に至る。竜は飛び込んでくるそれに気が付き瞬膜で瞳を覆う。

 鏃が瞬膜に突き刺さった。それが竜の瞳を守る瞬膜を突破することは無く、矢による負傷は傷らしい傷とも言えないもので、竜は即座に意識を矢から『剣聖』へと移す。



 そして矢に結び付けられた幾つもの『札』が閃光を放った。



「ギィッゴアガアアアア!?」


 矢では竜を傷をつけることなどできない。

 故に射手とその周囲に集まった生き残り達が選んだのは全霊を賭した目眩ましであった。


「ガアアアアアッッ!!」


 突然の閃光に目が眩んだ竜は反射的に矢が向かってきた場所へと大きく腕を振るった。


 それが人間の行動であれば苦し紛れのものでしかなかっただろう。

 しかしそれを行ったのは世界の頂点に属する竜であり、その腕から繋がる爪の1つ1つには学び取った『空間斬撃』の剣技が宿っている。

 そしてそれは『剣聖』へと向けていた指先だけの動きではなく、腕全体を使った袈裟懸けであった。


 腕の振るいで空気が爆ぜ、竜と射手たちの間に一瞬で4本の峡谷が作り出され、残された大地は上に立つ者たち諸共その溝の中へと崩れ落ちていく。

 竜が招いた大崩落の渦中に居た者たちは次々に地の底へと引きずり込まれた。生き残るものは居ないだろう、それでも彼らは確かに隙を作り上げた。


 だがそれでも佐貫は動けなかった。

 竜が腕を振り上げる直前に放たれた斬撃の嵐が未だに残されている。それを1度凌がねば行動に出ることができない。

 凌ぎ、飛び出し、駆け上り、その喉元に奥義を叩き込む。それだけの間を竜が大人しく待っていてくれるだろうか?


 今すぐにでも飛び出さねば間に合わない。

 斬撃に身を晒すことにはなるが、決死の一矢を無駄にすることはできない。


「(喉元に至るまでに腕の一本が残ってりゃ良い。ここで行くしか無いわな)」 


 無色透明の剣戟を前にして覚悟を決め、足に力をグッと込めたその瞬間。佐貫のもとへと飛び込む影があった。


「オオオォォォオオオォッッ!!!」

「『疾風』のっ、――!」


 『韋駄天の羽衣』を身に纏った現人類最高速とも言われる巨躯の大男が斬撃の雨を無理やりに突破してきた。

 移動中に生み出したソニックブームが彼に降り注ぐ斬撃を僅かに逸し、顔の前半分と代名詞たる両足を犠牲にしながらもその背に乗せた人物を無事に送り届けることに成功する。


「『剣聖』殿ッ!」


 崩れ落ちる『疾風』の背から飛び出したのは2人。

 細身ながら天与の筋骨に支えられた超人体質の持ち主、『破音』の二つ名で呼ばれる姫騎士が佐貫の前で腰を落とし両手を重ねて低く構えた。

 それは紛うことなき射出台。彼女は佐貫という刃をいち早く竜の急所へ届けるための存在と化した。


「み、み道は、開くく」


 そして『疾風』の背から竜の方へと飛び出していたのは黒い長髪に赤褐色の肌を持つ男性。

 『剣聖』に続く吃音きつおんの剣鬼が両手剣を手に1本の空間斬撃へと立ち向かう。


「(け、け、『剣聖』に次ぐと言われてもあの人とは隔絶した差があ、ある。で、でで、でも、だとしても――!)」


 剣鬼が持つ逸脱した殺戮本能に裏付けられた異常の洞察力が斬撃を捉え、類稀なる豪剣がそれを迎え撃つ。

 直撃の瞬間、斬撃を受け止めた刀身が爆ぜ剣を支える両手首が砕け散った。

 生まれた反動に負け大地に突き刺さりながら、それでも剣鬼は竜の一閃を霧散させ、道を作り出した。


 その刹那、斬撃の嵐の中に一瞬生まれた僅かな隙間を姫騎士の助力を得て射出された『剣聖』佐貫 章一郎が飛んでいく。

 佐貫とすれ違った十数の斬撃が大地を斬り刻む爆音が聞こえる。

 飛び散った土砂が佐貫を汚し、それが斬撃の威力を物語っていた。


「カァッ!」


 凌ぎ、飛び出し、駆け上り、斬る。

 4つ存在するプロセスの内、前者2つを省略することに成功した。竜は未だ腕を振り切った体勢のままでいる。

 竜が閃光の明滅から視界を取り戻した頃には既に佐貫はその胴体を駆け上がり首元近くへと跳躍していた。


 スッと息を吸い、剣聖が大太刀を振りかぶる。右肩から背に回すように、そして身体を強く捻り上げる。

 『剣聖』が今、明確に技を放つための”溜め”を行った。


 キィィィィィ! と、甲高い女の叫びのようなものが聞こえた。

 声の主は大太刀『撫斬火喰なでぎりひばみ』。その磨き上げられた刀身の輪郭がボヤケ始め、金赤色へと染まっていく。


「斬」


 その技に剣技の極みが1つ、あらゆるものを同一のごとく斬り裂く『一律斬殺』が込められた。

 鉄もオリハルコンも紙切れも草木も、龍鱗も肉も骨も、それら全てを等しく同じものかのように両断せしめる御業。

 硬度や性質その他全てを本能よりも深き場所で理解することでまとめて撫で斬る一筋を見出す斬撃の極地。


「火」


 その技に剣技の極みが1つ、届かぬはずの場所に斬撃を届ける『射程拡張』が込められた。

 それは単に飛ぶ斬撃として間合いを超えた攻撃手段とすることもあれば、足りぬ刀身を補い厚みを無視して刃を通すことも可能。

 刃渡りと踏み込みによって生まれる射程、その物理的限界をも超越する斬撃の極地。


「繚」


 その技に剣技の極みが1つ、異常にして不可思議の技巧たる『同時遍在』が込められた。

 数十の斬撃を完璧なまでに同時に放つ、言ってしまえばただそれだけ。ましてや佐貫はその数十の斬撃を”一太刀”に内包することができる。

 振りかぶった大太刀から聞こえる甲高い女の叫び声はその一太刀に押し込められた幾十もの斬撃達がぶつかり合い解放の時を今か今かと待ち望んでいる音である。

 逸脱した技量が異能の領域へと昇華されたことにより、あるべき連続性さえも断絶させる斬撃の極地。


「乱」


 佐貫が辿り着いた3つの極地。

 その全てが込められた一太刀こそが彼の奥義。

 名を『斬火繚乱ざんかりょうらん』。


「チェリャァァッッ!!」


 渾身の叫びと共に放たれた奥義は空を二分するかのような金赤色の一閃を生み、その中心点に存在する竜の喉元へと吸い込まれるように消えていく。

 そして吸い込まれていったその先、竜の首に開けられた穴の中でその一太刀に内包されていた幾十の斬撃が”弾けた”。


「ガッ――ガアアァァッッ」


 ともすれば竜の首が花火と共に弾け飛んだかのように見えただろう。

 その火花1つ1つが佐貫が奥義たる一太刀に込められた斬撃であり、竜の傷口にて開放されたそれらが竜の皮膚と肉と骨を滑らかに通り抜け四方八方へと飛び散ったのだ。


 言葉にするのであればそれは両断ではなく斬撃による解体。

 頭と胴を繋ぐ首は一瞬にして斬り刻まれたことでミンチとなり、吹き出る斬撃らと共に弾け飛ぶ。その様子がまるで花火のように見えたのだ。


 竜の叫びは次第に小さくなり、支柱たる首を失った頭が佐貫と共に落ちていく。

 落下中、真横に並んだ竜の瞳と佐貫の視線が交わる。生気を失ったその瞳は内側から流れ込んだ血により赤く濁っていた。


「――ッ!?」


 一瞬の違和感から即座に佐貫は不安定な体勢ながら、宙で大太刀を振り抜いた。

 同時に剣聖の一閃と真紅の刺突が激突した。それは竜の瞳から眼筋を利用して放たれた鮮血の一矢であった。


 死してなお。

 いや、死ぬとわかったが故に勝者を許さぬという執念。

 落とされた頭の意識が消え去るその最後の瞬間まで竜は佐貫を殺さんとしたのだ。


「ぐぅッ!」


 不意を突かれながらも迎撃に成功した佐貫は放たれた鮮血を弾き飛ばす。

 しかしその反動で大太刀を取り落とす。不安定な姿勢では大岩をも難なく貫通したであろうその一撃を受け止めきる事ができなかったのだ。



 そして竜の決死には



 頭を落とした胴体がビクリと跳ねた。

 まるで伸ばしきったゴムが縮むかのように、緊張していた全身の筋肉が弛緩することで生まれた運動エネルギーによるものである。


 それが引き起こした現象を前に佐貫は目を疑った。

 なにせ首無しの胴体、そこから繋がる腕が精確に精密にそして確実に佐貫に向けて跳ね上がってきたのだ。


「何ィッ!?」


 その腕は確かに拳を作り上げていた。

 頭脳を失ったからこそ筋力の限界を超えて硬く握りしめられた拳が落下している竜の頭を打ち砕き、脳漿と血肉骨を炸裂させながら佐貫に迫る。


 大太刀を失った佐貫に残されていたのは腰に携えた一本の剣のみ。

 直撃までの数瞬を何十倍にも引き伸ばした体感時間の中で、佐貫は歯を食いしばりながら抜剣する。


 『追想のエインズワース』。

 弟子に託した剣の代わりに宝物殿から支給された魔剣。


 見惚れるほどに強い金属光沢を放つ赤鉄鉱ヘタマイトの刀身、その中心には極彩色に煌めく棒状の蛋白石オパールが一直線に添えられている。


 それは遥か昔、宝石商でありながらも『賢者』の異名を有した男が作り上げたもの。

 剣に向けて行使された魔法を記憶し、担い手の意志に応じてそれ再現する”追想の力”を宿した魔剣である。


 抜剣した佐貫の意志に応じて魔剣に記録された『聖者』レイモンド・タイナーの結界防御が起動する。

 一個人が行使する単純防御魔法の中では最硬といっても過言では無いそれが、竜の拳よりも早く佐貫の身体を包み込んだ。


「がう――ッッ!!」


 次の瞬間、結界が砕ける音と同時に佐貫の視界が明滅し掻き乱される。

 直撃の衝撃はあまりにも強く、五感の許容限界を超えた情報を脳が即座にカットした。


 気がつけば佐貫は大地に叩きつけられていた。

 手にしていた魔剣は柄を残して砕け散り、何処かへと消えている。

 左半身が思うように動かず、無理に動かそうとすれば身体の内側からグチャリと嫌な感覚が伝わってきた。


「ぐぼっ、がば……ごぶっ……!」


 呼吸に何やら粘着くものが混じりこみ満足に息ができない。

 佐貫は比較的無事な右半身側へと身体を横たえ、口から血液と涎が混じったものを吐き出しながらも気道を確保した。


 まともに呼吸を行うまでに十数秒。そしてそのまま身じろぎ一つせずに数十秒、もしくは数分もの時間が経過していく。

 佐貫の人生の中で戦場の中でこれほどまでに致命的な無防備を晒すなど初めてのことだった。

 しかし彼はそれを良しとした。横になった佐貫の視界に偶然にも竜の亡骸が写り込んでいたからである。


「げぶっ……かはっ! あ”~…………ざずがに、やっだが」


 死後決死の一撃を振り抜いたまま崩れ落ちたその巨体。

 千切れ飛んだ両翼と尾の根本までもが視界の中にある。


 全体が見えるからこそ、自身がどれだけの距離を殴り飛ばされたのかを想像できる。

 あまりにも馬鹿馬鹿しい一撃から生き残れたことに、佐貫は自分のことながら呆れたような笑いが漏れた。


 深緑の竜は自らの血溜まりに沈み黒く染まる。

 血潮は砕けた大地の隙間にも流れ込み、その下に落ちていった戦士たちの死骸と混ざり合うだろう。


 人類は多くの犠牲を払いながらも竜を討滅してのけた。

 しかし歓喜に湧く暇はない。そのうち、死骸の肉を目的とした魔物たちが津波のように群がってくるだろう。


 勝利の静寂は一時的なものでしか無いと理解している。

 動き出し、生存者を集め、国へと帰還せねばならない。


「『剣聖』だ! あそこに『剣聖』がいるぞ!」

「担架を! 手当できるやつは来い!」

「土魔法が使える生き残りはいるか!? そうでなくとも荷馬車を作れるやつはいるか!?」

「生きてる者を死なせるな! 形ある者は死骸であろうと回収しろ! 魔物なんかに食わせてやるものか!」

「必ず国に帰るぞ! 帰るんだ!」


 生き残った者たちが気力を持たせるために大声を発しながら動き出していた。

 耳に聞こえる声は水中で発せられたかのようにくぐもっている。佐貫はゆっくりと持ち上げられ、魔法で作り上げられた荷馬車に乗せられた。

 佐貫は同じく荷馬車に乗せられていく負傷者を見て場所を開けるように荷台の角と這いずり、どうにか身体を起こして座り込む。


「っ、佐貫さん! あんたなにやってんだ! 生きてるのも不思議な大怪我してんだから寝てろ!」

「まら右半分動ぐんだがらぞうそう死なねぇっでの。どれあえず、あれだ、あの、剣だ。剣寄越ぜ。何でぼ、いい」


 佐貫の行動を咎めてくる冒険者の1人にどうにも上手く動かない唇で無理を言って、彼は幅広い刀身が反り返った柳葉刀を貰った。死者の誰かが使っていた武器だろう。


 それを適当な紐で取り落とさぬように右手に縛り付けてもらい、「アンタが死んだら末代まで祟るからな!」と意味のわからないことをいう冒険者を笑って見送る。

 その冒険者の空元気に僅かばかりの活力をもらうことができた。右腕は、まだ動かせる。


「さで、と。ぼう一踏ん張りだわな」


 荷台の外に武器を握った片腕をダラリと下げたまま、魔法で作り上げられた荷馬車は同じく魔法で作られた土人形ゴーレムによって動き始めた。

 首を回すことも億劫で、気配で感じるに生存者は100を下る程度か。


 これから迫り来るだろう魔物たちを相手にしながら何人が生きて国に帰ることができるだろうか? 自分はその一員になることができるだろうか?

 そんなことを考えてしまうくらいにはいつになく弱気になっている自分を自覚して、佐貫は苦笑して気を引き締め直す。


「(下らないこと考えるくらいなら、剣を振れってな)」


 自分に言い聞かせるように呟いて、『剣聖』佐貫 章一郎は握りしめた柳葉刀を振り上げた。

 斬撃が飛び、空から迫る鳥類型の魔物が宙で斬り裂かれる。彼は両断された魔物を見て満足そうに笑った。




 生存者達が国より派遣された救出部隊と合流するまでの間、『剣聖』は半死状態になりながらも武器を振り続けた。

 魔物に襲われ続ける帰路は多くの犠牲者を出したもののその斬撃に危険な瞬間を救われた場面は多く、『剣聖』が意識を朦朧とさせながらも戦わねば帰還者が残っていたかもわからない。

 それほどまでに『対竜総力戦ドラゴンレイド』における『剣聖』の重要性は高く、佐貫 章一郎は名実ともに当代最強の冒険者として歴史書に記されることとなった。

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