073 お散歩ルイシーナ

 ルイシーナの日課は散歩である。


 表向きには死んだことになっている歌姫ルイシーナ。

 事件後に広まっている情報もあり、桜井から学んだ簡単な変装術を施すだけで誰にも気が付かれることのないため、彼女は気の向くままに街を歩くことを日課としていた。


 その行き先は普通の街角から騎士団の駐屯所、宿屋から武器屋にその他商会、果てはスラム街の非合法組織の拠点などなど多種多様。

 かねてよりその身に宿す魔人の力、血霧の能力を一切躊躇せずに使用することで彼女はアチラへふらふら、コチラへふらふらと練り歩いていた。


 そんな彼女がここ最近通っているのは冒険者学園からやや離れた位置にある別荘地帯。

 目的の場所はその最奥に鎮座している邸宅であり、大理石の塀に囲まれたその屋敷はまるでお城かと見紛うような立派な西洋式の大豪邸であった。


「うん。美味しいわね」


 真正面に立つ警備の近衛兵を、屋敷から出てきた使用人から奪ったメイド服と培った演技力で堂々とやり過ごした彼女がしていることと言えば、中庭に設置されたテーブルに座り紅茶と焼き菓子に舌鼓を打つことである。

 当然、これらは家主のために用意されたものでありルイシーナはそれを勝手に食べているだけである。


「亨も、他の二人も、紅茶の淹れ方がなっちゃいないわ。精進してもらわなきゃ困るわね」


 行儀悪くテーブルに肘を付き、ルイシーナは不機嫌そうに愚痴を零した。

 そう、何を隠そうルイシーナがこの屋敷に通っている理由は自身の口に合う紅茶と焼き菓子を求めた結果でしか無い。

 ただ盗み食いをするためだけに、彼女はこの大豪邸に忍び込んでいるのである。


「今困っているのは私の方だと思うのだけれども」

「あら、戻ってたの? おかえりなさい」

「ただいま。ふふ、曲者に出迎えられるというのも中々面白いものだね」


 自由気ままに振る舞うルイシーナの前に現れたのは、艷やかなローズゴールドの長髪を一つ結びにして肩口から前へと流している女性だった。

 柔らかさと凛々しさを両立させたような端正な顔つきの彼女の姿は、一言で表すならば男装の麗人と言ったところだろう。


 女性らしからぬ長身に金の装飾が施されたエレガントな赤系統の燕尾ジャケットを身に纏い、そこに白い乗馬パンツと軍靴のような太ももまでを覆うサイハイブーツを合わせて着こなす貴族然とした姿。

 その腰にはバレルの取り除かれた短銃のグリップのようなものを、引き金を囲う輪に黄金色の鎖を通すことでぶら下げている。

 そして首元には自らの高貴さを底上げするかのように、鮮やかな琥珀をあしらったブローチとレース素材の胸飾りを身に付けていた。


 衣服だけ見るならば中世の男性貴族のような出で立ちだが、衣服で締め付けられたことで現れるそのシルエットは肉付きの良い丸みを帯びた女性そのもの。

 男性のような高貴さと女性らしさを併せ持つ彼女はこの家の主であり王家の血筋に連なる人物、その名をユリア・フォン・クナウストと言った。


「それで、今日は焼き菓子の代わりにどんな話を聞かせてくれるんだい?」

「面倒くさいわね……」

「となると、無銭飲食として捕まって貰わなきゃいけなくなるかな」


 ルイシーナはユリアをジトッと見つめた。

 対して彼女はその余裕の笑みを崩さず、予備のティーセットから自分の分の紅茶を手ずから注いでいた。


 ユリアはルイシーナの不法行為を見逃す代わりに自らの話し相手となることを対価として求めてきた。

 ただ嗜好品を楽しみたいだけのルイシーナにとって何故そんな事をしなければならないのかという思いはあったものの、目の前にいるユリアも含めてこの大豪邸にいる人間の殆どが彼女の血霧の影響を受けない実力者であるため、拒否してしまうとより面倒な事になると考えた彼女はその対価を支払うことにしていた。

 しかしそれはそうと毎回話題を提供するのはルイシーナからであるため、心底面倒くさいという思いは晴れなかった。


「今日は……そうね」


 軽く腕を組みルイシーナは悩む。既にユリアには様々な事を語ってきたからだ。


 例えば自分の出生の秘密、それに関わる黒曜の剣の存在。

 知ってる幹部連中の情報やその協力者達に関する知る限りの名前や立場など。

 ユリアには「私が言うのも何だけれど、言って良かったのかい?」と聞かれたが、自分の古巣がどうなろうとも欠片も知ったこっちゃないルイシーナとしては目の前にある嗜好品の対価になるだけ上等だろうという感覚だった。


 ともあれ、過去に関しては割と語り尽くしてしまった。であれば現在の事を話すしか無いだろうとルイシーナは考えた。

 そして現在の事を語る上で外せないのがオペラハウスでの出来事、そこで出会った一人の少年に関しては外すことができないだろう。

 だが、あの一件に関しては桜井 亨ではなく天内 隼人とか言う学生が解決に尽力したことになっている。

 それは桜井が望んだことであり、居候の身としてはその意向を蔑ろにするのも問題だろう。


「よし」


 出てくる名前だけ天内にしておけばいいかと結論付け、逡巡の末に話す内容が決まったルイシーナは席を立ち上がり中庭の中心で歩みを止める。

 そして始まるのは歌姫ルイシーナの単独公演。オペラ歌手として磨き上げた技術の粋を込めた演目が幕を上げる。

 普通に話して聞かせれば良いだけだと言うのに、語る度に毎回このような形を取るのはルイシーナが自分の技術を腐らせるのもつまらないと考えているからだった。


 踊り、歌い、語る。加えて魔人としての能力である血霧さえも演出の一つとして利用する。

 血霧はユリアのような一定以上の実力者にはその洗脳効果は作用しない。しかし、至近距離から長時間かけて多量に摂取したならば僅かではあるがその意識はルイシーナへと向くようになる。


 あのレベルバカ桜井 亨さえも一目置いた、当代最高峰の歌姫ルイシーナが紡ぐ華々しい物語は見るもの全てを魅了して止まなかった。


「素晴らしい」


 公演が終わった後、ユリアは惜しみない拍手と共に称賛した。

 ルイシーナは無言で彼女の待つテーブルへと戻り、淹れ直された紅茶で喉を潤す。労働の後の紅茶は格別に美味しかった。


「しかし天内 隼人くんか。受けていた報告と違って、彼は実に素朴な善性の持ち主みたいだね」

「そうよ」


 嘘である。ルイシーナは天内の人間性など欠片も知らない。

 単に桜井の名を天内に置き換えた上で、彼の毒を取り除き「主人公らしさ」をこれでもかと脚色しているだけだ。

 それでいて自身を含めた悪役を際立たせることで、『天内 隼人主人公』はより強く、より善良に描いて語って見せただけである。


「彼はどちらかと言うと冒険者よりも騎士の方に適正があるように感じるね。どう思う?」

「知らないわよそんなこと。他人が何を考えてその道を選んだのかなんて、私には興味がないわ。気になるなら自分から聞きに行きなさい」

「うん、そうだね。奇しくも今月は学園祭の時期だ。伝え聞いた実力が本当のものなのかも知りたいところだし、是非会いに行くとしよう」


 静かな口調の中に強い興味を覗かせるユリアを横目にルイシーナは空になったカップの底を見つめていた。

 アレそれと何かを語りかけてくるユリアに適当な相槌を返しつつ、彼女はこの美味しい紅茶を毎日飲むにはどうすればいいのかと考えを巡らせる。

 居候先の連中にこの手の技能は期待できない。桜井辺りを誑かせば勝手に学び始める気もするが、そのためだけに媚びを売るのは癪に障る。


「あ」

「うん? どうかしたのかい?」

「ちょっと貴方。私に紅茶の淹れ方を教えなさい」

「紅茶の淹れ方? 別に構わないが……」


 悩んだ末、ルイシーナは『自分で淹れられるようになる』という答えを導き出した。

 そもそも自分が飲みたい時に飲めるようにしておきたいのだから、自分が覚えてしまえば良いではないか。

 そうすればどこか遠くに外出してここに来れない時も美味しい紅茶を飲むことができる。そして有り余る時間を潰す暇つぶしにもなるだろうと考えたからだ。

 日々レベル上げに邁進する桜井の姿、それを観察し続けていた影響がルイシーナにも徐々に現れ始めていたのである。


「ふふ、誰かに物を教えるというのも久々で少し心が踊るよ。さて、何処から話したものかな」

「何でも良いから早くして、私も忙しいの。夕食までに戻らないと料理を用意する褐色が捨てられた子犬のように眉を下げるから面倒なのよ」

「褐色……アイリスちゃんだったかな? そうだね、その子を悲しませないためにも少し詰め込みでやろうか」


 ユリアは貴族教養の一貫として身に付けたものをルイシーナへと語りだす。


 王族のユリアと世間的にはオペラハウスの一件で死人として発表されている歌姫ルイシーナ。

 その二人の姿は傍から見れば王族の金髪女性にお付きの従者が講義をしているかのような優雅さがあった。

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