068 掴む腕、遠のく背
「いやぁ、肩の荷が下りた下りた。開放感すげーなこれ」
桜井は腕を伸ばし、肩のコリを解すようにストレッチをしながら街中を歩いていた。
晴れ晴れとした笑顔を浮かべる彼の背には、病室で受け取っていた革袋は無く、彼の隣を並んで歩くアイリスが革袋を丁重に折りたたんで持ち歩いていた。
今やその革袋の中に入っているのは桜井が「三天シリーズ」と呼んでいたアイテムだけであり、大金の入った銀行手帳はおろか、そこから金銭を引き出せる小切手すらも入っていない。
「なぁ、桜井。せっかくの大金なのに本当に良かったのか……?」
「いらん」
桜井とアイリスの背後を歩く檜垣の問いかけに、彼は振り向くこともなく即答した。
さらにその後ろを歩く、外套に身を包み姿を隠したルイシーナは病室に戻ってきた檜垣が困惑気味に話していた出来事を思い出す。
借金返済の為に黒曜の剣の策謀を利用し、その拠点から大金をせしめてみせた立役者である桜井。
なんと彼は手に入れた金銭で借金を完済した後は、むしろ残りを『邪魔だ』と言ってその大金をその日の内に使い込んでしまっていた。
しかもその使い道も普通ではなく、自分の悦楽のためでも先々の投資でも無ければ、知り合いと言っていいのかも怪しい相手である天内、赤野、エセルに対してその大金を叩きつけて来たと言う。
「だが、なぜ初対面の彼らにあんな大金を?」
「ボスの一人を抑え込んでもらったし、そりゃ助けられた側としてはクエスト報酬くらい払うだろ普通」
桜井は病院の受付にて入院患者の名簿を口八丁手八丁で閲覧した上で、天内達が同じ病院で治療を受けていること確認すると、その場で彼らの治療費の負担を『パーティーメンバーの一人』として名乗り出た。
その上で彼らに対し各々「300万」もの大金を引き出すことが出来る小切手を贈り、思い出したかのようにエセル・タイナーのロザリオを落とし物コーナーにメモを添えて置いてきたのだ。
しかも、それでも残った大金をアイリスと檜垣に有無を言わさず投げ渡し、今や彼の手元に残っているのは今週の夕食を少々贅沢を出来る程度の小銭くらい。
桜井の金銭に対する余りにもの無関心さというか無頓着さに、通帳を渡された檜垣やアイリスは思わず再三の確認を行うほどであった。
「ダンジョン辺りでレベル上げしてりゃ必要な金は自然と集まるし、大金も使い道があるわけじゃないしな」
「でも桜井さん、将来の為に貯金とかしておいたほうが良かったのではないですか?」
「大金貯金してると聞いたらすり寄ってくる奴らが絶対にいるからそんな連中と関わりたくない」
その言葉に元歌姫となったルイシーナは内心深く頷いていた。
歌姫として活動していた中で、こちらが大金も地位も持っている独身女性だと知りどれだけの人間が下心と共にすり寄ってきたか。
数えるだけでも億劫なほどに群がる連中は兎にも角にもしつこいもので、時には薬物を使ってまで彼女を手篭めにしようとしてくる貴族等も居た。
勿論、人体に影響する薬物程度は魔人であるルイシーナにとって無害に等しいものだ。
彼女に対して暴挙を働いた人間は『血霧』による傀儡化か至極単純にその膂力によって殺害されている。
ルイシーナの中にはそんな連中に対する罪悪感は欠片もないし、むしろ殺したことに対しては当然の報いであるとも考えている。
彼女にとってそう思えるほどに金や容姿・地位に目が眩んだ人間とは醜いもので、そのような連中が群がってくる要素を嫌う気持ちは強く理解できた。
「まぁお前がそう言うならとりあえず金は預かっておくが……何かあれば言うんだぞ?」
「別に好きに使えばいいのに」
「桜井さん。『いらないから』って理由で渡された大金に困惑しない人は少数派なんですよ?」
「まるで俺が少数派に属する人間のような言い方はやめてくれ」
「ならばその取り出した編糸を懐に片付けろ。大多数の人間は歩きながら編み物をすることはないし、危ないだろう」
檜垣の指摘に渋々と編糸を片付けた桜井が仕方がないとばかりに歩き出す。
歩き出してはいるのだが……その歩き方はまるで奇妙なダンスを踊っているかのような気味の悪い動きであり、周囲を歩く人々の目が冷ややかなものになるのが見て取れる。
しかし桜井はそれを無視して踊るように歩き続ける。
むしろ彼は段々とそれを楽しみ始めているのか、その動きに緩急を付け始め、周囲の人々がこの場を離れていく要因へと変わっていく。
それに慣れているアイリスと檜垣は苦笑と呆れの表情を浮かべながらも特に何かを言うわけでもなく、時折なにかにぶつかりそうになる桜井を引っ張ることで最低限の手綱を握る程度に留めていた。
「ねぇ、黒髪。アイツがやっているあの奇妙な踊りはなに? 気色が悪いわ」
「檜垣だ。檜垣 碧。……桜井が今やってるのは歩法の一種だな。今はかなりゆっくりやっているが、戦闘中に咄嗟に出来るようになれば『
「
そう言えば桜井とオペラハウスで戦っていた時に彼がスキルがどうのこうのと言っていたな、とルイシーナは思い出した。
桜井はルイシーナが技を身につけていないことに驚いていたが、この様子を見るに彼は常日頃から技の習得に心血を注いでいるからこそ、力はあれど何も身に付けていない自分に驚いたのだろうと一人納得した。
彼と出会ってまだ数日というか、実時間においてまだ数時間程度ではあるが、ルイシーナは桜井が無類の鍛錬好きであることは何となく察し始めていた。
そして羞恥心を捨て、世間体に縛られずやりたいことを迷わず行うその姿は、彼女が今まで見てきたどの人間よりも『自由』に近い存在だった。
ルイシーナ・マテオスは『自由』を求めて生きていた。
そして今、彼女は『黒曜の剣』からも『歌姫』という役割からも解き放たれ、ただ一人の個人として生きる道を得た。
報酬として手に入れた大金もあり、とりあえずとは言え仮の住宅の目処もある。
衣食住が揃った第二の人生の幕開け、それは彼女が求め続けてきた『自由』に違いはない。
だがしかし、降って湧いたとも言えるようなこの『自由』に対して、ルイシーナはその先にある見通しというものが欠如していた。
これから自分は何をすればいいのだろうか? 何が出来るのだろうか? 何がしたいのだろうか?
彼女は目標があればそこに至るための努力を行える人物だ。
それは指示されたものとは言え、彼女が歌姫になるために歩み続けてきた道が物語っている。
しかし、今までの人生における目標の殆どが黒曜の剣から与えられたものであり、それ故に彼女は自分で目標を見出す力を育むことができていなかった。
「よっ、ほっ、ほい、いでっ」
目の前で足をもつされさせて転んだ桜井が立ち上がり、周りからクスクスと聞こえる声も気にせずまた鍛錬をし始める。
失敗する毎に動作を最初からゆっくりとやり直し、慣れてきたなら速度を上げて、何度も何度もやり直して進んでいく。
その瞳は金勘定をしている時と同じくらいには真剣なものではある。
人が少ないとは言え日中の往来で鍛錬を行っているという時点でその姿に好感を抱くことはないが、『自由』を謳歌する人間としては参考になるだろうと彼女は考えた。
暫くは彼を観察し続けることで、自分にとっての『自由』とは何なのかをもう一度見直してみるのも1つかもしれない。
そう考えたルイシーナは足早にアイリス達を押し退け桜井の腕を掴み、引きずり歩き出す。
「は、ちょ!? 何だ!? 転ぶ! 転ぶて!?」
「貴方、往来で邪魔くさい動きをしないで。それにこれから私の生活用品を買いに行くのだからモタモタ歩かないように」
「そんな予定何一つ聞いて無いが! てか待って、痛いの! 転んでるの! 手を離せ!! おま、ちょ!?」
「ちょっと暴れないでよ。ちょっとアオいの、貴方こいつの足を持ちなさい。褐色はもう片方の腕を持ち上げなさい」
ルイシーナは自身の声に魔力を込め、わざと強めの命令形を口にする。
オペラハウスでの桜井との会話に出てきた『魅了の歌姫』という単語から、そして
そしてその推理は見事的中し、突然の行いに驚いていたアイリスと檜垣の二人は『魅了状態』に陥ってしまう。
「仕方がないな」
「わかりました」
「『魅了』状態!? ルイシーナお前何やってんの!?」
魅了状態であることを表現するように、両目にハートマークを浮かべた二人が言われるがままに桜井を拘束し始める。
唯一魅了に対する無効化スキルを持っていた桜井は抵抗を始めるものの、そもそも崩れていた体勢に畳み掛けるように襲いかかる檜垣達にはほぼ無力。
特にアイリスが『冥府』にて培った鎮圧術は暴れる桜井に覿面の効果を発揮し、健闘むなしく桜井は繁華街へと連行されていくのであった。
赤野 玲花は自身の病室の窓から離れゆく仲間の背を見送った。
天内 隼人とエセル・タイナー。
並び歩く2人は出会ってから一月と経過していないと言うのに適度な距離感を保っており、その関係は間違いなく仲間と言って過言ではないだろう。
それはエセルの明るい性格が原因なのか、それとも天内の真面目な性格が原因なのか。
どちらにせよ、2人の背を見る赤野の心中には無視できない暗い感情が渦巻いていた。
「…………」
桜井 亨という人物に恨みはないのだが、赤野は思わず送られた小切手をぐしゃりと握りつぶしてしまう。
渦巻く感情は嫉妬ではない。ただ純粋な悔しさだった。
天内をリーダーとした戦闘パーティにはそれぞれ明確な役割が決められている。
それは赤野とエセルの『キャラクター』としての性能を知る天内が2人の性能を鑑みた上で考えたものであり、彼女たちも納得の上でその役割を担っているものだ。
前衛を務め、敵からの
回復や支援、時には両手のロザリオを振るう屋台骨のようなエセル・タイナー。
後衛職として指示を受けて火力の高い魔法攻撃を放ち敵を打ち払う赤野 玲花。
前線で戦いながらも的確な指示を出してくる天内の手腕により、今年の入学生の中では頭一つ抜けた実力者として頭角を現していると自負している。
しかしその反面、赤野は天内やエセルに比べて『自身が劣っている』という劣等感を覚えていた。
そもそも戦闘における役割が大きく違う中で劣等感を抱くのは少々お門違いに感じるかもしれない。
だがこれは赤野 玲花が優れた素質を持つ魔術師であるからこそ感じている劣等感であった。
優れた魔術師は世界に満ちる魔力、人が持つ魔力の程度を知覚する能力を有している。
そして生きとし生けるものであれば大なり小なり魔力を宿しているこの世界において、一般的にはその身に魔力を多く宿す存在ほど『強い』ものであると言うのが魔術師界隈における通説だ。
それはゲーム的に言えばレベルが高いキャラクターほど魔力の数値(MP、マジックポイント等)が高くなるという必然の事象を指しており、特殊な事情や設定を持つ一部のイベントキャラを除けば概ね正しい認識である。
魔力を使うキャラクターかどうかは別として、Lv1とLv10ステータスを比較すれば、当然後者の方が魔力の数値は高いのだから。
そして優れた魔術師は往々にしてこの魔力を知覚する能力を有している。
赤野 玲花もまた原作ゲームにおけるメインキャラクターという「その素質を保証されている存在」であるため、彼女も『魔力知覚』の能力を身につけていた。
だからこそ、彼女は自身の宿している魔力と二人の持つ魔力を知覚し比べることができる。
だからこそ、彼女は自分が二人にと比べて
天内は赤野が冒険者を志す前から、将来の学園入学に備えて鍛錬をし続けていた。
エセルの方もあれでいて大きな教会の生まれと言っていたので、元々受けてきた教育も質が良いのだろう。
二人は自分よりも優れている確かな理由があり、赤野自身もそれに納得していた。
それ故に赤野は、2人に『対等』として見られている事に悶々とした思いを日頃から抱いていた。
赤野は2人の下に付きたいわけではない。
当然、上に立ちたいという考えなど欠片もない。
友人や仲間として『対等』に付き合いたいと考えているし、実際に彼らは赤野の事をそう扱ってくれている。
だから赤野の感じるこれは、彼女自身がその劣等感から『赤野 玲花は対等な存在である』と認めることが出来ていないという問題に終始しているだけだ。
そしてそれを彼女自身わかっているからこそ、天内達には口にすることが出来ず、その劣等感から目を逸らし続けて日々を過ごしていた。
「……私だけ」
そこで起きたのがオペラハウスでの一件であった。
彼女はオペラハウスの事件の中でただ一人だけ毒に倒れ、天内やエセルが事件の犯人と命がけで戦っている間も赤野は一人何も出来ず、『戦いの舞台』に立つことさえできなかった。
「私、だけ……」
オペラハウスで散布された毒は天内や檜垣のような冒険者学園に通うものは勿論、警備員の実力者達や後からやってきた騎士団の面々には殆ど効果を発揮しなかったと聞いた。
それはつまり、冒険者学園に通いながらも毒に倒れた赤野 玲花が仲間の2人に比べて明確な弱者であるという事実を突きつけられたに等しかった。
小切手を握る手に、力が籠もる。
天内達と等分割に与えられた300万もの大金が、更に自分を追い込んでくる。
なぜ、なぜ何も出来なかった自分が、命を賭して戦っていた2人と均等な物を手にしているのか。
納得ができなかった。
受け取りたくなかった。
それでも、優しい笑顔と共に当然のことだと言って手渡してくる天内を前に、彼女は断ることができなかった。
「……強く、なりたいなぁ」
心の中に横たわる劣等感がより大きく、重くなっていく。
それは湧き上がる悔しさと合わさり赤野 玲花の『芯』を揺さぶる。
「強く、なりたい、なぁ……っ」
窓の外へと向けられた瞳に涙が浮かぶ。
それはポツリポツリと溢れる弱音に釣られるように、彼女の頬を伝い静かに流れ落ちていく。
呟きに返される言葉は無く、それは薄暗い病室で彼女を責めるように響き続けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます