067 彼らの一段落

 ドアをノックする時は確か3回だっただろうか。

 天内はうろ覚えの知識を頼りに病室の扉を優しく叩く。扉の先から帰ってきた入室を許可する声を聞き、天内はなるべく音を立てないように扉を開いた。


「あ、隼人!」


 病室のベッドの上に居たのは幼馴染の赤野 玲花。

 学生服ではなく入院患者用の簡易なパジャマを身に着けた彼女は、天内が入室するとパァっと花開くような笑みを浮かべた。


「玲花。調子はどう?」

「打撲とか細々としたものはあるけど……明後日には学園に戻れると思う」

「そっか、大怪我してなくて一安心だよ」


 天内はそう言いながらお見舞いとして持ってきていた林檎の皮を剥き始める。

 林檎は玲花の好物であり、天内は彼女と幼少期を過ごす内に自然と包丁の扱いを身に着けていた。

 お互いに両親が家を留守にする時は共に台所に立っていた影響もあるだろう。

 玲花もまた天内の行いを自然に受け入れており、林檎が剥き終わるまでの間をリラックスした様子で眺めていた。


 雑談を交えつつ切り分けた林檎を食して少し。今回の一件についてやや神妙な面持ちで口を開いたのは玲花からだった。

 彼女はルイシーナの支配下にあった。そのためにオペラハウス内で何が起きたのかを殆ど覚えて居ない。

 そのため、歌姫ルイシーナが犯罪者と手を組みオペラハウスで『毒物』を散布したという話が未だに信じきれていなかった。


「ねぇ本当にルイシーナさんがそんな事をしたの?」

「あぁ、本当だ。入り口に居た大男に演奏者の1人もグルで、俺やエセルも襲われたんだ」

「なんだか悔しいな。私だけ毒で倒れてたなんて」

「でも、無事で居てくれただけ有り難いよ。他の人達はもっと酷い怪我をしていた人も居たんだし」


 支配下に置かれたオペラハウスの観客の殆どは大なり小なりその身に傷を作っており、死者こそ殆ど居なかったものの多くの怪我人を出している。

 その中で打撲だけで済んでいるというのは奇跡的と言って他ならないだろう。


「それに俺たちはまだ学園に入学したばかりなんだから。その悔しさを原動力にゆっくりでも確実に強くなっていけばいいさ」

「……そう、だよね。うん」


 玲花が小さく頷いた。

 その悔しさを飲み込みきれていないといった様子だが、彼女ならば退院する頃には調子も戻っているだろう。


「そう言えば檜垣さんたちは大丈夫だったの? あの人達もオペラハウスに居たんだよね?」

「――っ」


 天内は思わず言葉に詰まった。

 それは檜垣 碧のことではなく、そこから連想される1人の男の事を思い浮かべてしまったからだ。


 桜井 亨。自身と同じプレイヤーであり転生者。

 今回の一件においてオペラハウスのイベント発生を読み、ルイシーナを撃破した男。

 しかもその場で偽名として天内の名を騙ったことで、その功績と取材を求める記者達等の厄介事を丸々押し付けてきた男。


 天内にしてみればどうにも苦々しい思いを抱かずには居られない。

 天内の予想ではオペラハウスの事件とは別として扱われている『黒曜の剣』の拠点を、発見したとされる剣聖絡みの一件にも彼は関わっているだろう。

 黒曜の剣と剣聖が偶然接触する……などという世迷い言を信じることは彼には出来なかった。


「(彼の……桜井 亨の件については仕方がない。俺にも落ち度はあった)」


 思い返せば自身の行いは浅慮で、調子に乗っていた部分があるように思う。

 何もかもが自分が悪いとまでは思わないが、今回の一件に対して少なくはない落ち度が自身にあるだろう。

 そう考えた天内はこれからの活動に備えて桜井との関係を修復しなければと思いながらも、それを一度頭の片隅に置くことにする。


「(問題はオペラハウスのイベントが前倒しして行われたことだ)」


 半年近く前倒しにして行われた、歌姫ルイシーナによるオペラハウス事件。

 一見すると桜井がこれを利用して黒曜の剣と剣聖を引き合わせ、彼らを壊滅状態に追い込むことで原作の流れを狂わせたように見える。

 しかし、落ち着いて考えれば4月にこの事件が起きている時点で原作の流れは狂っている。桜井はそれを見て、利用したに過ぎないのだ。


 原作の流れが狂うことには、それ相応の原因がある。

 そしてそれを成し得る存在として最も可能性が高いのは、やはり転生者であるだろう。

 自分と桜井、2人の転生者がこの世界に存在していることも含め、3人目の転生者が存在していてもおかしくはない。


「(仮に3人目の転生者が黒曜の剣に存在しているとすれば……危険な相手じゃなければ良いけど……望み薄だよな)」

「隼人、どうかしたの……?」

「――あ、いや、何でも無い。大丈夫だ」


 天内は一旦思考を打ち切り、うつむきがちだった顔を玲花へと向け直す。

 彼を心配するような表情を浮かべる玲花に対して、天内は安心させるように小さな笑みを浮かべた。

 しかしその顔を見て玲花は更に眉尻を下げ、天内の悩みについて思い当たる節を告げる。


「例の……桜井って人と何かあったの?」

「いや、まぁ……うん。ちょっとした賭けをしててそれに負けちゃったから悔しいだけ。玲花には関係がないから気にしなくていいよ」

「本当に? なにかあるなら私も一緒に」

「本当に大丈夫。あぁ、それと檜垣さんたちも無事だったよ。それに犯人たちの1人を倒して確保したみたいで、流石上級生だなって感じ!」


 天内は玲花からの追求を誤魔化し、そして強引に話を切り上げた。

 転生者や原作の問題に関しては玲花を関わらせるわけにはいかないし、踏み込まれたしても原作だのゲームだのに関しては何も言うことができないからだ。

 玲花もそれを察してかこれ以上の言及は避けてくれた。天内は内心少しばかり罪悪感を感じながらも、彼女の優しさに甘えることとした。



 やや態とらしく世間話を始め、二人の間にあった微妙な空気が絆された頃。

 病室の扉を優しく叩く音に会話を打ち切り、玲花が「どうぞ」と客人を招き入れる。

 入室してきたのは玲花を担当する女性看護師であり、彼女は一言断りを入れた上で要件を告げる。


「治療費の支払いを肩代わりしてくれた人がいる?」

「はい。お知り合いの方だとは仰ってたのですが、念の為にお伝えしておこうかと」

「一体どこの誰が……」

「桜井 亨さんと。天内 隼人さん宛のお手紙もお預かりしているのですが……」

「桜井が、俺に、ですか?」


 桜井の名前に2人はお互いに顔を見合わせながらも、看護師から手紙を受け取ることにした。

 天内 隼人宛と記入された封筒には手紙以外にも何やら数枚の紙切れが同封されており、それを見た天内は思わず目を見開き、慌てて手紙を読み始める。


『拝啓 イケメン主人公様。この度はオペラハウスの一件にご協力頂き中略。無事目的を達成することもでき、小切手を他人に切る金持ちムーブが割と楽しいのでお裾分けしておきます。ノークレーム・ノーリターンでお願いします。まだまだ事件について記者の方々から追求を受けるかと思いますが、この資金を口止め料とでも思って俺の名前は出さないように頑張って下さい』

『ついでにエセル・タイナーのロザリオが何かこっちに来たので返しておいて下さい、受付の落とし物コーナーに置いておきます。ヒロインイベントのフラグ立て頑張って下さい』


 同封されていた紙切れの正体は、自分・エセル・玲花の名前が書かれた小切手であり、それぞれに「300万」もの大金が記入されている。

 加えて手紙の余白部分には手書きのイラストで「落とし物コーナー、ここ!」と描かれており、天内が彼を脅したことをまるで気にかけてもいない様子が手にとるように伝わってくる。

 それが天内の持つ自罰的な部分を刺激し、彼は次に桜井と出会った時にどんな顔をすれば良いのかと頭を抱え。


「天内! 天内居る!? 私のロザリオが落とし物コーナーにあったんだけど!! 添えられてたメモに私宛のお金があるって聞いたんだけど!! どこ!? お金どこー!?」


 そして希望に満ち溢れた笑顔と共に病室に飛び込んできたエセル・タイナーの姿を見て、天内は心労に耐えきれず大きなため息を漏らすのであった。

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