051 通りすがりの主人公

 楽器隊がゆったりとした旋律を奏で始め、それに合わせ舞台が徐々に照らされていく。

 1人の男性がその荘厳な声で今宵の演目を語りだす。

 それはかつて存在したとされる亡国の姫君の物語。


 人々の争いにより国を失った彼女は忠実な家臣団と命からがら城から逃げ出し、国を奪った反逆者達への復讐を誓う。

 流れ行く月日の中で出会った1人の青年に姫の心は徐々に惹かれていき、復讐することが本当に自分がやりたいことなのか、死んだ家族はそれを本当に望んでいるのかを己に問いかけていく。


 家臣団は彼女の葛藤を切って捨て、復讐こそが一族の使命だと責め立てる。

 またその存在が露見し国家安寧の為に現政府に命を狙われ続け、苦楽をともにした仲間たちが1人また1人と彼女に後を託して死んでいく。


 託された想い、王家としての責任。

 戦いに明け暮れる日々の中で消耗していく彼女の唯一の癒やしは青年との逢瀬のみ。


 だがある日、姫は反乱軍として戦いに赴いた戦場で1つの亡骸を見つける。

 それは愛する青年の亡骸であり、彼は戦いに巻き込まれ殺されてしまったのだ。


 その背に突き立つのは自分の王家の紋章が刻み込まれた一本の直剣。

 彼は自分が指揮する反乱軍に襲われ命を落としてしまった。

 その事実にこれまで目を背けてきた想いが溢れ出し、青年の亡骸を抱えて姫は戦場でその嘆きを歌い上げる。


「……凄いもんだな」


 歌姫ルイシーナの演技と、姫の悲哀を歌い上げるその歌唱力は素人目にも真に迫るものがあり、周囲に気を配っていた俺もいつの間にやら見入ってしまう程の実力があった。

 隣を見れば檜垣もアイリスもそのルイシーナの独唱に見入っており、檜垣は傍らの剣を握ることも忘れ、アイリスに至ってはハンカチ片手にポロポロと泣き出し始めてしまっている始末。


 オペラグラスで観客席を見渡しても誰一人として彼女から目を逸している人間はおらず、赤野やエセルは当然のこと最初は興味なさげにしていた天内までもが固唾を呑んでその展開を見守っている。

 そして誰もが会場に広がり始める赤い霧に気がついていない……天内も気がついて無さそうなんだけど大丈夫なのか?

 まぁ『血霧』ってレベル25以上にはデバフ効果しか発揮しない技だし、主人公が操られるなんてこと無いだろうから大丈夫か。


 ともあれ、今まさに全ての視線と意識はルイシーナ1人に向けられており誰一人として周囲の異変に気がつく者は居ない。


 2階席も含めた観客にさえ赤い霧の蔓延を気が付かせないルイシーナの実力。

 霧は吸い込む前であればその存在に気がつくことができるのだが、吸い込んでしまったならばもはや霧を認識することができなくなる……らしい。

 原作ゲームでは霧のエフェクトが見えてたり見えてなかったりと割とガバガバなので気にするだけ無駄だろう。

 だがそれを踏まえても迫る赤い霧から意識を逸すその実力は、なるほどまさしく歌姫と呼ばれるに相応しいものだろう。


「(あ、これ今なら誰にもバレずに動き出せるな)」


 とは言え俺は周囲の様子に気がついてしまったので、それはそうと早速行動開始である。


 二人にばれないように背もたれを掴み、腕の力を総動員してゆっくりと身体を持ち上げていく。

 天井に足が付きかねない逆立ち状態になってから、ゆっくりと席の後ろへと身体を降ろしていく。全面絨毯張りが仇となったなオペラハウス、足音1つ立たないぜ。


 俺は音を立てないように気を使いながら、ゆっくりと、しかし確実に『糸繍』スキルを利用して糸を伸ばしていく。

 糸は檜垣たちの頭の上を通り2階席を飛び出すと、四方八方へと伸びていく。


「(『縫い上げ:猫の道』。原作だとフィールドに糸が張り巡らされる演出があって、味方全体の回避率を微上昇させるスキルだけど、現実化したなら道がない場所に糸の道を作れるようになる……便利だなこれ)」


 俺はそんな感想を零しつつ、ルイシーナの居る舞台やクソトカゲの居る出入り口方面への道を作る。

 道と言っても張り巡らされた糸をバネにして、アクションゲームよろしく次々に跳ねながら向かうような代物だ。この糸だけで移動をこなすのには相応のセンスが必要となるが、移動途中も『糸繍』スキルを使えば問題なく利用できる。

 また、吸血種の魔人であるルイシーナは原作の戦いの中で翼を生やして高高度から落下攻撃をしてくるモーションがあった。その時に糸が絡んで邪魔してくれれば儲けもの……やっぱ便利だな『糸繍』スキル。糸使いが強キャラばかりなのも納得行くわ。


 糸を張り終わると静かに廊下へと出て南側の小窓を目指す。

 事前の話し合いで指定された小窓を見つけ、俺はその小窓を僅かに開き、蛍光色に近い黄色の布を垂らしておく。

 これは今回の一件で協力してくれる人たちへ向けたメッセージだ。そこらの酒場で飲んだくれてない限りは気がついてくれるだろう。


「さてと」


 クソトカゲことヴァンデッドは檜垣とアイリス、ヤンは天内達にぶん投げるつもりなので俺が相手にするのはルイシーナとヴァロフの二人だ。

 正直に言うと敵は全員俺が相手にしたいところなのだが、相性の関係で片手間で潰せるヴァンデッド以外の3人を同時に、しかもソロで相手をするのは流石に骨が折れる。

 今回はあくまでも穏やかなレベリング環境を取り戻すための金稼ぎが目的であり、さらに言えばでもある。

 なので今回ばかりは押し付けられる負担は押し付けさせてもらうと決めたのだ。


「クソッ、こんな形で俺が経験値を……経験値を逃す真似をすることになろうとは……! おのれ人間社会……!」


 過去に捨ててきたはずの人間性が蘇りつつある現状に嘆きながら、俺はこれが終わったら余った金で食料を買い込んで、1ヶ月ほど適当なダンジョンの中で生活することを心に決める。

 俗世に汚れたこの身をレベリングで清めねばならぬ……! そのためにも借金からの解放を一刻も早く行わねば……!


 そんなことを考えつつも、俺は遠くからでも耳に入る歌声を聞きつつ檜垣たちの居る2階席へと一旦戻る。


 イベント開始は物語終盤の独唱、周囲にどんどん追い込まれた姫が「こんな悲しく、苦しい世界ならば、みんなみんな死んでしまえばいい!」と発狂する場面からスタートする。

 そのフレーズを聞いた人々は『血霧』の効果でルイシーナの「みんなみんな死んでしまえばいい」という言葉の指示に従い、まるで役柄である姫の絶望と怒りを代行するかのように暴れだし、近場の人間と殺し合いを始めるのだ。


 俺は未だにルイシーナの歌声に聴き入っている2人に宛てた置き手紙を椅子の上に乗せておくと『隠密』スキルで気配と足音を消して2階エリアを移動し始める。

 そしてなるべくステージに近い個室に忍び込むと、そこに居た男性二人組みを糸を使って手早く絞め落とし、拘束して部屋の隅に避けておく。


 後は騒動が始まるまでの間、ルイシーナの歌声をBGMにして素振りで時間を潰す。

 なるべく音を出さずに、かつ経験値効率を下げないようにゆっくりと自身の動きを確かめるように、そして噛みしめるように抜き身の剣を振り続ける。


 しかしまぁ中々カンストしないな剣術スキル。

 スキルレベル10から11までの必要経験値が、1から10までの必要経験値よりも多いって人生のエンドコンテンツかよ。才能がない弊害なのかこれ。

 あれ、でもそれってつまり死ぬまでレベリングし続けられるってこと? なんだ最高じゃん……っと、そろそろか。


「こんな悲しく、苦しい世界ならば、みんなみんな死んでしまえばいい!」


 イベント開始を告げる歌声がオペラハウス全体に響き渡り、ついにルイシーナ・マテオスによる『恐怖劇』が幕を開く。


「ぎゃあ! 俺の、俺の腕を折りやがった! このクソアマ、殺してやる!」

「何よアンタ! 私に文句でもあるの!? 殺してやる!」

「どいつもこいつも邪魔だ! 死ね! 死んでしまえ!!!」

「お、始まったな。もうちょっとしたら行くか」


 俺は地鳴りのように伝わっていく下階の喧騒に笑みを浮かべ、騒動が本格化するまで少し待ち、1階の人々が暴れ始めて舞台に意識を向ける人々が居なくなったタイミングで個室の柵を蹴って糸へと向かって飛び上がる。

 そして張り巡らされた『猫の道』を踏みしめ、その反動で更に先の『道』へと飛び移りながら舞台を目指す。


 俺の視線の先には闘う人々を不機嫌そうに見つめるルイシーナと、楽器を放り投げて彼女の側に立ったヤン・ランの姿。

 付き人であるヴァロフの姿が見えないことが些か疑問だが、戦端が開かれたならば行動を始めなければならない。臨機応変に後はノリで対応するのが一番だろう。


「さーてと、天内をこっちに連れてくるよりもヤンを糸で投げちまうのが楽か。その方が舞台も広く使えて戦いやすくなるし」


 俺は抜身の剣と共にルイシーナ達の頭上に陣取り、方針を決めた。

 眼下の2人は都合が良いことに、自分たちに襲いかかるものはいないと考えて油断しているのか、戦闘形態でもある魔人状態にもならずに舞台から暴れる暴徒たちの様子を見ている。

 特にヤン・ランに至っては殺し合う人々を指を差してケラケラと笑っている始末だ。


 しかしそれくらい性格が悪いならこっちも躊躇せず奇襲できるというもの!

 行くぞ『黒曜の剣』! 今夜は俺とお前らで借金返済だ! 一方的なご協力をお願いします!!


 俺は身体を支えていた糸を解除して自由落下を開始、そして『火剣』スキルで炎を纏わせた剣を振りかぶり――わざとルイシーナとヤンの間を狙って振り下ろす!


「火剣、『蛇焔』!」

「――!」

「うぉ、危ねぇ!?」


 突如として現れた俺の奇襲に対し、ルイシーナとヤンは予想通り左右に別れて飛び退く。

 しかし剣に続いて6匹の『蛇焔』がそれぞれに襲いかかり、俺を中心に2人の距離を大きく開かせる。よし、分断完了っと。


「貴方、何者よ?」


 『蛇焔』に攻撃された影響下、ドレスの裾が焦げ付いているルイシーナが敵意を丸出しに俺へと問いかけてくる。

 対して俺はわざとらしく笑みを浮かべながら自分の名を名乗ろうとして……ふと、オペラハウスの前で話した天内の言葉を思い出す。


『原作を乱すようなことはして欲しくない』


 仮に、今ここで俺が自分の名前を名乗ったとするならば。

 騒動に関わって、それを解決した人間が『天内 隼人』ではなく『桜井 亨』に変更されてしまうだろう。

 9月のオペラハウスのイベントは原作主人公にとって、今まで社会的にほぼ無名の学生だった主人公が『黒曜の剣』に明確に意識される重要なイベントでもある。

 その注目を俺に向けてしまうのは、天内にとって不都合なのではなかろうか?


「(『黒曜の剣』に注目されたことで主人公に接触してくる盗賊ギルドのキャラクターも居るし、それと出会えなくなったらアイツ怒りそうだな)」


 ぶっちゃけこの後も、全力で『黒曜の剣』にちょっかいを出しに行く予定なので原作云々に配慮するつもりは無いのだが、譲れる部分に関しては原作に沿ってやるのが思いやりというものではないだろうか?


 同郷の、同じゲームをしていた、転生者。

 オペラハウスの前でも先にあちらから譲歩をしてくれたのだ、今度は俺が天内に道を譲ってやる番だろう。

 それに俺にとって名声や人との関わり合いへの興味は薄いし、何ならレベリングの邪魔になりかねないから基本的に不要でもある。


「(つまり、Win-Winの関係になるのでは!)」

「貴方、私を襲っておいて名前も名乗らないつもりなのね?」

「おっと、悪い悪い。色々考えてやっと名乗る名前が決まったところだ」

「はぁ?」


 苛つきを隠そうともしないルイシーナに剣を突きつけ、反対側でこちらを警戒するヤンにも牽制するように一度視線を投げかけて。

 俺はオペラハウス全体に響き渡るようにしっかりハッキリ名乗り上げる。



「俺の名前は ! 通りすがりの主人公だ!!!」

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