第53話 三村義人 取り調べ(一)


元日本陸軍 軍曹『三村義人』の捜査は、津山市役所に出向いた高瀬・中野両刑事により始められた。


昭和31年6月18日午前9時、姫路署を出た二人は、姫新線姫路発、午前9時38分、新見行きの列車に乗り込み岡山県津山市に向かった。


姫新線は姫路から岡山北部、新見市を結ぶ鉄道で単線でスピードが遅く上り坂では、蒸気機関車独特の騒音が山野にこだまし、煩く聞こえていた。

  

姫路駅を出て播州平野を西北に進み、岡山県中央北部に津山市はある。


この区間は山野が多くトンネルの連続で、たまに開けた農村では田圃の早苗が、青々と色付き、この風景で働く農民のくつろぎを、我が身の如く感じ取る事ができた。


途中、三日月、作用町の町並を通過、この当たりから右側窓より中国山脈の峰々が見え隠れして、山深い若葉の匂いが続く2時間余りの旅でした。


津山市は東西に走る中国山脈を背に、東、南、西側の三方を吉井川の支流が流れ、その自然の要塞の中程の盆地にある。


今から百数十年前まで対峙していただろう毛利藩に睨みを効かすために徳川幕府が築いた堅牢で雄大な城は、今は無く見る事は出来ないが当時を忍び、見る者の頭の中に描く事が出来るであろう。


苔むす石垣が連なる城跡がそこにあり現在は桜の名所、鶴山公園として津山市民に親しまれている。


両刑事は、津山盆地独特の霧の中、さっそく津山市役所に赴き容疑者「三村義人」の戸籍を調べた。


三村義人の戸籍の移動は次のとおりです。

  

大正7年11月14日

岡山県津山市へ出生届け、父三村義久、母三村郁子の三男。

昭和13年3月17日

島根県出雲市に転出。


以後、戦争が始まり徴収後、支那国(今の中国)を転戦後、内地部隊へ帰還。


昭和17年9月12日

兵庫県姫路市転入。


昭和19年8月19日

静岡県浜松市転出。


昭和20年9月11日

岡山県津山市転入。


昭和26年5月3日

岡山県倉敷市転出。


以上の動きであった。


現在倉敷市に住んでいる事が判明したので二人は、国鉄津山線を利用して岡山駅を軽由して倉敷市に向かった。

  

倉敷市は白壁の街並みが有名で、柳の影を写す運河と大原美術館等は、名所として人々に知られている。


産業としては、レイヨン関連の繊維、特に学生服等が有名である。


果物では、桃及びマスカットは特に有名な産物で、これ以外にあまり知られていない製品として、畳がありその畳の原料である「イ草」が田圃で栽培され、国道2号線の両側は見渡す限り緑の絨毯だった。


両刑事は倉敷市役所で住所確認後、水島◯◯町へ出向き下調べをした。


時刻は午後4時頃で、表通りは行き交う人々も多く、両刑事は左右に分かれた。


二~三度それとなく家の中を伺い、それらしき男を確認したので、倉敷署に出向き、今夜の張り込みと明日の応援を依頼し、明けて6月19日朝、一人の刑事が三村在宅確認の為家に伺う。


合図と同時に応援の警官が入り任意同行を伝え、三村義人を倉敷署に連行した。


理由は「傷害事件」つまり別件逮捕であった。


この傷害事件は昭和31年6月13日、午後10時20分頃。

三村が行き付けの酒場で他の客との間で些細な事から喧嘩が発生、相手の顔面を殴打したのである。


双方飲酒の上の事と幸い軽傷だったので、警官立会いの上示談が成立していたが、翌日被害者から示談取り消しの訴えがあり揉めていた。


取り調べ室で所定の手続きを終え、三村の事情聴取が行なわれた。

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