第131話・次、彼女と会う時俺はどんな言葉をかけるべきだろうか?(4)




 無意識のまま俺が向かったのはラーズシュライン家、つまり俺は判断をキースダーリエ嬢に求めることにしたということなんだろうか?

 この時俺はたいそう他人事のようにこう思っていたが、無意識でえらんだことだからが実感があまりないし仕方ないと思わなくもなかった。


 先ぶれを出さずに来た無礼をラーズシュライン家の者たちは誰もとがめなかった。

 ラーズシュライン家の使用人たちは俺の身分の高さに礼をしめしているがそれ以上の感情はみえない。

 内心なにを思っているかは分からないが城でウンザリするほど顔を合わせた奴等と同じ匂いはしない。

 たとえ隠すのがうまいんだとしても俺がそう感じなければ「ないこと」と同じだからきにすることもないかと思った。

 宰相は城にいるからか俺を出迎えたのはラーズシュタイン夫人だった。

 前にここにきたときも出迎えてくれたが、そういえばあの時も先触れなしだったな。

 前回といい今回といいこの家にはめいわくをかけてしまっていると思った。

 それでも前と変わらない態度で出迎えてくれたことにすこしだけあんどしていた。

 

 その後キースダーリエ嬢に案内されたのはラーズシュタインの庭園といえる場所だった。

 屋敷の中でも奥まった所にある場所で驚いたが気づかれなかっただろうか?

 多分安全性からここをえらんだのだろうが、ここは家人以外は入れない場所ではないのだろうか? と思ったんだ。

 少なくとも俺を一人ここに置いてお茶や軽食の準備を自分でしにいく令嬢はあまりいないと思う。

 彼女は貴族令嬢として完璧ともいえる立ち振る舞いをしているのに時折こういったところに令嬢らしかぬところがみえる。

 それは俺にとっては付き合いやすく俺の地位が目的の令嬢たちと比べ物にならない程息がしやすい、ということでもあった。

 どんな時でも真っすぐでブレないキースダーリエ嬢が少しだけうらやましかった。……特にあの時の俺にとっては、な。


 庭園の花々はきれいに手入れがされていてすごしやすい空間だった。

 俺はひかれるままに一画に歩いていくと腰をおろした。

 行儀が悪いということはわかっているがここには俺を叱る奴はいない。

 今後もそういった人間が俺につくかも分からない。

 だからか見栄えを気にする気がどうしてもおきなかった。

 深呼吸をすると嫌にならない程度に花々の匂いが香ってきて、人の手によってつくられたモノではない匂いに落ち着くきがした。

 肩の力が少しだけぬけた気もした。

 俺は一体どこまで緊張していたんだと笑いが込み上げてくる。

 城は俺にとって住み慣れた場所であるはずなのに、ここに居る方はおちつくなんてな。

 俺は王族であらねばならない。

 そのためにも逃げることは許されない。


 ――案外今戻ったら、俺は王族ではなくなっているかもしれないな。


 そうだと分かっていても動く気にならないのはどうしてなんだろうか?

 少なくとも俺は王族であることをうとんだことはない。

 だが、王族でなければ俺がこうして座っていて注意する人間はいないのだと何となく思った。

 ……どんな想像をしようが、今ここにいる俺は王族であることは変えようがないわけだが。

 こうやって座っていると戻って来たキースダーリエ嬢に驚かれるかもしれないが、彼女は「あなたは王族なのですから、そんな無作法はらしくありません!」などとは言いはしないだろうとも思う。

 そうなればいいな、と少しだけ思った。。

 

 俺を出迎える形になったキースダーリエ嬢の態度は普通だった。

 本当になにも変わらなかった。

 彼女にとって俺が「王族の男子」であることと「王位継承権第一を持っている」ことは初めてあった時からわかりきったことだったはずだ。

 だからこそ最初から彼女の態度は「殿下」である俺にたいするモノだった。

 交流していく中で多少対応がやわらぎはしたが一線は引かれたままだった。

 今もそんな対応だった。

 俺は王妃の血を引く子供だと言うのに。

 自分を害そうとした相手の血縁者である俺に「変わらない対応」をする。

 それがどれだけむずかしいのか俺にだって分かる。

 しかも俺は全面的にキースダーリエ嬢達を巻き込んだ側なのだから余計に。


 嫌悪されるとばかり思っていたからか彼女の対応は拍子抜けする部分もあった。

 もしかしたら内心では俺を酷く憎んでいるのかもしれない。

 だがこの屋敷の使用人と同じだ。

 俺に欠片も悟らせないならば俺はそれを“ある”とは認識できない。

 認識できなければないのも同じだ。

 ……それに何となくだがキースダーリエ嬢は本当に「俺を憎んではいない」と思うのだ。

 この感覚はカンと云うしかないからか、カンに完全に信頼をおくことはおろかだと言われれば否定できない。

 だが全てとは言わないが「この時のカンは外れない」と言った瞬間が俺にはある。

 思い込みや私情が入らないことはむずかしいから証明することはきっと出来ないだろう。

 だが俺は今回自身のカンを信じたかった。

 そうなると彼女に嫌われたくはないという私情が混じっているからか、何時もよりも「こうであってほしい」とう意識が強いのが問題だな。


「(――そうか。俺はこの家の人間、特に一番被害にあったであろうキースダーリエ嬢に嫌われたくはないのか)」


 今更だがストンと俺の中でそんな思いが落ちてきた。

 友人になることが出来るかもしれない、身分を気にせず交流を深めることができるかもしれない相手であるキースダーリエ嬢やアールホルン殿に嫌われたくはない。

 何時の間にかそんな当たり前のことが分からなくなっていたらしい。

 俺は友人すら満足につくることを許されない立場にあった。

 騎士候補生たちもきっと何かしらの話がいっていたはずだ。

 特にいま俺と共にいるのが周囲の命令だけではないとは思っているが、圧力をかけられたことが無いということもないのだろう。

 王妃という俺を自分の駒にしたい奴等と俺を王族の者として教育したい人間は度々ぶつかっていたはずだ。

 かの令嬢が俺のそばにいたところを考えるとここしばらくは王妃の勢力の方が優勢だったのかもしれない。

 いや、むしろそれほどまでに王妃たちの方に余裕がなくなっていたということなんじゃないだろうか。

 

 今回の確実に大事になることが分かっていても実行されたしゅうげき事件はそういった事情があったのかもしれない。


「(そこで俺の生死ではなく、自らの保身を選んだ、ということなんだろうな、きっと)」


 王妃にとって俺が父上の「代わり」でしかない以上失われても然程困らないと考えたのだろう。

 本来ならば国母となる機会をのがすことになるのだが王妃の興味は一心に父上に向いていた。

 王妃にとって「王妃」という地位ですら捨てることの出来るモノだったのだと思う。

 あの人は「母親」でもなく「王妃」でもなくただ「父上を愛する女」でしかなかった。

 取り巻きはそれを知って、それでもそばにいたのだろうか?


「(お互いに「利」さえあればいい、ということなのかもしれないが)」


 その結果が共倒れだからこそのあの必死さなのかもしれない。

 城でのことを思い出して俺は溜息がこぼれでる。

 庭を見ていて少しは気がまぎれたがこれから帰らねばならないことを考えればうんざりする気分が再び湧き上がってくる。

 色々なことを思い出しただけでまた少し息が詰まった気がした。

 城の事を思い出してしまえば彼等の言っていた「母上を心配しないのか?!」という叫びも共に浮かび上がり胸がまた少し痛む。

 

「(血のつながった母なのだぞ? そんな存在を失うことに思うところがないわけがないだろう?!)」


 どれだけそう叫ぶことが出来ればいいとおもったことか。 

 今でも「王妃」であると自身に言い聞かせないと「母上」と呼んでしまいそうになるんだ。

 完全に繋がりを断ち切ったはずなのに。

 王妃は俺を「子」として愛してくれたことなどないというのに。

 俺と王妃の道はもはや違えたんだ。

 なのにどうして俺の胸はこんなにも空いているんだ。

 何故、心の一部を失ってしまうような空しさを感じてしまうんだ。

 何故、うしなった心のことを考えると泣きそうになるんだ。

 ……俺にそんな資格はないのに。


 ラーズシュタインに来て庭を見て、変わらないキースダーリエ嬢たちにあって俺は大丈夫だと思ったのに。

 肩の力が抜けて、これからよい方向に進んでいけると一瞬でも思えたのに。

 俺はこれから王妃とは違うということを示し続けなければいけないというのに。

 その覚悟をしたと思ったのに。


 あの人のことを考えると胸が酷く痛む。

 まるで胸に穴があいたみたいだと思った。

 覚悟をきめたと思えたとたん取り巻きたちの言葉が何度も頭の中で繰り返されてしまう。

 聞きたくない。

 わりきってしまいたいのに、なぜかそれができない。

 きりかえることは得意だと思っていたのに。

 得意だから俺は王妃と距離をとることができていたとおもっていたのに。

 

 どうしておれはこんなにくるしいの?


 心が泣きたいと叫んでいるようだった。

 ここがどこかも忘れて泣きわめきたくなった。

 それでも冷静な心が王族の者としてここで泣くことはできないと押しとどめている。

 なによりも俺は王妃のことで泣くわけにはいかないんだ。


 必死に心をおさえつけていた俺はいつの間にか人の気配が戻ってきていたことに気づかなかった。


 ふっと背中に感じたぬくもりに俺は自分の痛みを一瞬わすれた。


「……キースダーリエ嬢?」

「…………」


 首だけで後ろを振り返るといつ戻ってきていたのかキースダーリエ嬢が俺と背中合わせに座っていた。

 俺と同じように地面に座っている。

 貴族令嬢としての対応を崩さない彼女が?

 彼女は俺の無作法をいさめるのではなく、みないふりをして去るのでもなく、こうして俺と背中合わせに座っている。

 きっと俺は直ぐに立ち上がって謝罪をし、彼女をいさめるべきなんだろう。

 王族として婚約者でもない男の背にふれることはよくないと云うべきなんだろう。

 けれど……背中に感じるぬくもりに少しだけ胸の痛みをわすれることができたんだ。

 それを咎めたくなかった。

 結局俺は何もいうことが出来ずに沈黙するしかなかった。


「殿下」


 キースダーリエ嬢の静かな声が聞こえる。

 

「ワタクシに殿下の御心の全てを慮る事は出来ませんわ。そしてそれはワタクシの役目でもないと思います」


 冷静な言葉は俺の心に静かに入り込んでくる。

 それを不快とは思わなかった。

 俺のためと言いながらも声音に自らの欲をにじまている声なんかよりも彼女の静かな声音の方がよほど俺を思ってくれているとそう感じたんだ。


「今、人払いをしました。殿下が何を言ったとしても、聞く人はおりませんわ。それにワタクシは背を向いておりますから殿下が今笑っているのか怒っているのか……泣いているのかもわかりませんの」

「そうか」

「ええ。ですから――殿下の御心のままにお過ごしくださいませ」


 彼女はそれだけを言うと本当に何も言わなくなった。

 静かに俺と背を合わせて座っているだけだ。

 静かな空間に時折草花を風がなぜる音が響く。

 俺と彼女の呼吸と自然の出す音がだけが響く空間は酷く静かで、だけどどこか暖かだった。


「……俺は」


 俺は一体何を言いたいのだろうか?

 ただ考えることなく「なにか」を話し出したいと思った。

 

「俺は父上の子としてある今を誇らしくおもっている」

「ええ」

「兄上はすばらしい方なんだ。本当なら俺なんかよりも王にふさわしいはずだ。けれど兄上自身は王位に興味がない。それならば兄上には自由に好きなことをしていただきたいんだ」

「兄思いですね」

「兄思い、か。たしかに兄上は大好きだが、それだけじゃない、と思う。俺はおれは王妃が兄上にしたことを知って兄上に負い目がある。だからきっと、俺は兄上を純粋にしたっていないとおもう」

「……そうですか」


 ポツポツと思ったことをはきだしていく。

 話はつながっていないかもしれない、つながっているかもしれない。

 けれど心の声をそのまま口にだすなんて久しぶりだと思った。

 いくら心を許した相手でもその一言を誰がきいているかわからない。

 だから俺や兄上は言葉をつくろうことをまず学んだ。

 今だって本来なら自分で確認もしていないからこうやって心のうちを話すことは危険なのかもしれない。

 けれど背中のぬくもりが大丈夫なのだと言っている、そんな気がするんだ。


「兄上と争ってまで王位をほしいとは思わない。が、父上の子として後を継ぐことを望まないわけでもないんだ。もし兄上が王になったとしてもいままで学んだことは無駄にはならない。そう思ったから俺は今まで色々学ぶことをやめようとは思わなかった」

「知識は裏切りませんわ」

「ああ。学ぶことは苦ではないから、それはいいんだ。俺は兄上と争いたいわけではないのだから。――けどそれをみとめてくれない人がいた」


 脳裏にうかぶ姿に俺は強く手を握りしめる。

 ガリッと地面がけずれる音がした。

 同時にわずかな痛みも感じたが、それよりも胸のうちにあるぽっかり空いた穴のようなむなしさのほうが痛かった。

 もう片方の手で胸をおさえるが、ぶつりてきに傷があるわけじゃない痛みはおさまってはくれない。

 痛みに呻き声がでそうな時、今度は手にぬくもりを感じた。

 見なくてもわかる。

 ここには俺と彼女しかいない。

 地面に爪をたてた俺の手によりそうように感じるぬくもりにまた胸の痛みがやわらいだ気がした。


「(俺はぬくもりが欲しかったのか?)」


 だから皆が遠巻きにしてくるじょうきょうに仕方ないと思いながらもむなしさを感じてたのかもしれない。

 今でもいそがしい父上や兄上と共にいれる時間はすくない。

 一番こういった時によりそうことが出来る相手は……もういない。


 再び脳裏に姿が浮かぶが今度はあまり胸が痛くなかった。

 だから俺はあの人のことを口に出すことができたんだと思う。


「王妃は、王妃は――母上はおれをあいしてはいなかった!」


 視界がゆがみ自分は泣いているのだとまるで他人事のように感じた。


 母上を王妃と言っていたのは訣別したからだけじゃない。

 ただ俺が「母」とあの人を呼ぶたびに心が痛かった。

 俺がいくら「母上」とよぼうともあの人は俺を「父上の代わり」としか思っていなかったのだと分かったあの時が浮かんできて悲しみで胸が一杯になった。

 「訣別した、もうお前は母親じゃない」と言いながらも俺はどこかで母上と呼ぶことを、甘えをもっていた。

 けれど最初から違ったんだと分かってしまったから。

 俺はきっとこんな状況でも母上を愛している。

 けど母上は最初から俺をあいしてはくださらなかった。


「俺を王にしたいのは自らが国母になりたいからだと言われればまだ納得したかもしれない。自分の子を王にしたいと欠片でも思ってくださっていたのなら! ……けどあの人は一度だって俺の母親だったことはなかったんだ」


 母上にとっては父上以外は替えのきくモノで、関心の全ては父上に向いていた。

 実の子である俺にすらあの人は愛情の欠片もよこしはしなかった。

   

 そのことを突き付けられた俺はあの人を「母上」と呼ぶたびに悲しみとむなしさで一杯になった。

 そのことを自覚したくなかった。

 だから王妃と呼び、自分の心に線を引いたのに。

 今のおれは枷がはずれてしまったみたいだ。

 涙が止まらないなと、やはり他人事のようの感じた。


「おれといちどでいいからむきあってほしかったのです。そこにこめられた感情が「けんお」だろうと「いかり」だろうとよかったのに。俺を替えの利く人形ではなく「ロアベーツィア」としてみてほしかった」


 あぁ今俺は意味のないことをさけんでいる。

 これではまるでおさない子供のようではないか。

 どこまでも他人事のようにそう思うのに、口はとまらない。

 愛情を欲した心が痛みに声をあげている。

 感情があふれでていく。


「父上を兄上をあいしている。けれどそれと同じくらい母上もあいしているんだ。母上の罪を知りながらも、それでも会いに行くことをゆるしてしまったぐらいに。王族としてふてきかくなことだと分かっていても一目おあいしたいという気持ちをとめることはできなかったように」


 父上や兄上にめいわくがかかるかもしれない。

 ついていないのが正解だとわかっていたのに。

 それでも一目でいいから、一言でいいから言葉をかわしたかった。

 もう二度と会えないとわかっていたから。

 そのことが危害をくわえられた人たちをうらぎる行為だと分かっていたのに。

 俺は結局心に負け会う選択をとってしまった。

 その結果が今のこの止められない涙なのだから俺は救えないおろかものだ。

 

「皆、すまない。父上、兄上ごめんなさい。俺は母上をきりすてないといけないのに。いちどだって俺の「母親」であったことはなかった人なのに。それでも俺はあの人を愛したことをなかったことにはできないんだ!」


 涙が止まらない。

 こんなに声をあげてしまえば誰かがくるかもしれない。

 俺は王族としてふごうかくなことを叫んでいるとわかっているのに、つくろってごまかすことばが思いうかばない。

 ただ心のままに言葉をはきだいしたという欲求だけがあるだけだった。


「あいしていますははうえ。あいしてほしかったのですははうえ。――いちどでいいから「おれ」をみてほしかった」


 俺の中にいる愛されたいと泣く子供は、きっとあの時から成長していない。

 母上のやったことを俺がしってしまったあの時から。

 きょりを置いたときから愛されたがりの子供は成長できなかった。

 そんな「おれ」がきっと今心から泣いている。

 捨てたくてもすてられなかった俺の心の一部。

 それが今何なのかようやく俺はしることができたのかもしれない。


 自分がこんなに寂しいと悲しいと感じているなんて思ってもみなかった。

 

「(おれは……あいされたかったのか)」


 考えてみればこうやって誰かのぬくもりを身近に感じたことすら初めてだ。

 母上にだきしめられたきおくすらおぼろげだ。

 父上や兄上には男として素直にあまえることができなかったから、俺にとってぬくもりを身近に感じるのも初めてだったんだろう。

 もしかしたらあったのかも知れないが、あの人が俺を抱きしめてくれたともとても思えなかった。

 罪を犯したとしても、兄上たちにひどいことをしたとしても……俺にとって血のつながった唯一の「母」であることはたがえようがないんだ。……たとえどんな人だろうと分かっていたとしても。

 

「あなたはひどい人です。――ですが俺にとっては唯一の「はは」でした」


 認めよう。

 訣別しようとも愛されまいともあの人は俺の「母」なのだと。

 諦めよう。

 母をあいした記憶をきりすてることを。

 忘れまい。

 あの人は罪をおかしたが、それでもあの人を俺が愛したことを。


 俺がしなければいけないのは全てを受け入れて、それでも母上と道を別つことだったんだ。


「さよなら、ははうえ」

 ――じゃあな、愛されたがりの「おれ」


 消えるわけじゃない。

 けど俺は母上との思い出とともに幼い「おれ」を心の奥におさめた。

 忘れるわけじゃない。

 痛みはなくなったわけじゃない。

 けれど俺は王族だ。

 心をどれだけ揺らそうとも時として平然としている仮面をかぶらないといけない。

 今の俺に求められるのは「母親だろうと冷静に切り捨てる非情さ」だろう。

 だから俺はそれをえんじてみせる。

 そして心の奥にしまった記憶を少しずつ思い出にしていこう。

 今のように声にだしてもいい。

 泣いてしまうのもわるくないのかもしれない。

 

 俺は情を切り離して考えることはできない。

 俺にとって情を切り離すことは心全てを切り捨てることと同じだから。

 一部の情だけを切り捨てるなんて器用なことは出来ないんだ。

 それを忘れていた。

 俺に母上に対する情だけを切り捨てることなんてできるはずがなかったんだ。

 奥底に置くことができても一部だけをきりすてることは出来ない。

 甘いのかもしれない、王族としてはふごうかくかもしれない。

 けれど俺は心を失いたくはない。

 今の俺にそれが出来ないのだから、俺は諦めるべきだったんだ。

 母上を愛していた記憶ごと抱えて笑うほうが俺らしいはずだ。

 甘くてもなんでもいい。

 それが兄上たちが愛してくれた「俺」なんだから。


 流れる涙を俺はもう止めない。

 後ろのぬくもりに何かを問うことももうしない。

 俺が他人に答えを求めてもしかたなかったんだ。

 ただ俺が認め、諦め、忘れなければそれでよかったんだ。

 そんな事も俺は分からなくなっていた。

 周りの言葉にふりまわされて、都合の良い存在になるところだった。

 たとえ父上だろうと俺のこの心は変えることはできない。……父上がそれをのぞむとも思えないが。

 俺のこの思いは兄上やキースダーリエ嬢にとっては不服かもしれない。

 けどもう俺は人の思いに振り回されて自分が分からなくなるなんてごめんだ。


 もし……兄上たちに責められたら言葉をつくそう。

 俺の考えをうけいれてもらうことは難しいかもしれない。

 が、俺がそういう考えなのだと理解してもらうことはできるはずだ。

 俺にとって兄上は大切な人でキースダーリエ嬢も今後ともつながりをきりたくはない人だから。

 俺も俺の出来る限り言葉をかわしていこうと思う。

 それが今の俺にも出来ることだと思うから。


「(……兄上もキースダーリエ嬢も怒らない、そんな気もするが)」


 背中に感じるぬくもりが離れていくことはなかった。

 俺の言葉をきき、俺が「母」をいまだに思っていると伝わっているはずだというのに、ぬくもりは一切離れることはなかった。

 今も俺は背中に彼女のぬくもりを感じるし手も離れていない。

 否定の言葉を聞いたわけではないが、これは彼女が俺の思いを否定しないということなんじゃないかと思うんだ。

 自分に都合の良すぎる考えだということはわかっているが「それでいいんだ」と強く思う。

 カンが全てではないが、大丈夫だとカンが言っている。

 顔を見ればもう少し実感がわくのかもしれないが、この涙を流した顔で真正面から会うのはきまずいな。

 こうやって背中合わせであることも彼女のきづかいなのだし、それをダメにしたくはない。


「(もうすこし……もうすこしだけ)」


 もう少しすればきっと涙も自然に止まるから。

 それまで何も言わずにこのままでいてほしい。

 俺の心を思ってぬくもりを分けてくれている彼女に俺は何となく許されていると感じるのだ。

 母上とのことはこれからの方が大変だろう。

 きっと俺はもっともっと難しい立場におかれるんだと思う。

 けど、これまで以上になるであろう周囲の言葉に流されず、自分のできることを自分の思いを父上や兄上と言った大切な人達に伝えていこう。

 訓練場であった騎士候補生たちとももう少し突っ込んだ話をしてみたいと思う。

 彼等は「俺」を心配してくれていたのだから。

 

 俺は子供だが王族なんだ。

 だからこれからの騒動の中で自分が王族であると示し続けなければいけない。

 人前で涙を流すことなんて許されないかもしれない。

 だから今だけは止めることなく涙を流すことをみのがしてほしい。


 自分の甘さに心の中で苦笑するが、まるで心の中を見透かされたようなタイミングで俺の手を握る彼女の力が強くなった気がした。

 俺は彼女に許されているのだと、そう感じてしまう。

 自分の甘さに苦笑しながらも離れないぬくもりに俺は涙を止めることをあきらめる。

 背中のぬくもりが心にも広がったのか、胸の痛みの代わりにあたたかい何かが流れ込んでくる。

 心地よいあたたかさに俺は涙を流しながらも笑みが浮かぶ。

 ――ああ、ココに来てよかった、と。


 離れることなく何も言わない彼女のぬくもりに俺は心の中で「ありがとう」と言うとそっと目を閉じた。






 涙が止まった頃兄上が護衛の騎士たちと共にやってきた。

 俺は兄上に叱られてしまったが、泣いた後の涙のあとに兄上がふれることはなかった。

 気づかないはずがないのに、それでもふれてこないのは兄上の優しさだった。

 俺は兄上にも守られているのだと今更ながら気づく。

 やはり俺にとって兄上は目標であり、誇りだ。

 色々考えてしまったが俺が兄上を思う心もまた真実だったんだ。

 兄上に負けないように俺も王族として歩みたいと思った。


 兄上は俺の頭をポンと軽く叩くとキースダーリエ嬢と何か話している。

 柔らかい眼差しの兄上に「ああ、兄上は彼女を好んでいるのか」と唐突に理解した。

 その思いの種類まではわからないが、少なくとも兄上にとってキースダーリエ嬢は好ましい女性なんだと。

 兄上にとって共にいたいと思える女性ができたことには素直にうれしいと思う気持ちがある。

 あるんだが、何故か少しだけ胸に痛みを感じた気がした。

 これは母上のことを思う時とは違う痛みだ。

 あの痛みは耐え切ることは難しい、ジクジクと何時までも続く痛みだった。

 この痛みは何と言えばよいのだろうか?

 説明はむずかしいが、悪いモノではない、とも思うのだ。

 

 俺は不可解な痛みにわずかに首をかしげるながらも戻って来た兄上と共に城へと戻っていった。

 今度ラーズシュタインには何か礼をしなければな。

 ……特にあたたかいモノをくれたキースダーリエ嬢に。





 その夜俺は夢の中で『俺』とたいじしていた。

 『俺』はどこか偉そうで感じが悪かったが、俺をひどく羨ましいと思っているようだった。

 もしかしたら『あの俺』は素直に口に出すことも忘れてしまったのかもしれない。

 だから俺は『俺』に「俺は俺の心に素直に生きていく。お前はどうなんだ?」と問いかけた。

 そうしたら『俺』ははっと何かに気づいたかのような顔をした後、泣きそうなのに笑みを浮かべて「『俺』と同じ道をたどるなよ」と言って消えていった。

 

 この夜見たを夢を俺はずっと忘れなかった。

 ――この夢の意味を知るのはずっと後になってからだったんだけどな。



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