第97話・金色の覚悟




「訓練量が違うからな。絶対勝てる、なんてことはいえない。……いつか言い切ってみせるとも思うがな」


 今回弟殿下の訓練の見学の後、応接の間に行く事は無く、私達は王城の中庭に来ていた。

 前にパーティーをしていた場所とは違う訳だけど……というかこの場所って殿下達が居ない限り入る事の出来ない場所のような気がするんだけど?

 まさかねぇ?

 

 ちょっとばかし私にとって不穏なモノを感じつつ、庭に咲き誇る花々の美麗さに目を奪われる。

 別に草花が大好きって訳じゃない。

 じゃないけど少なくとも草花は目に優しいよなぁと思うようになったのは『この世界』で過ごすようになってからである。

 【精霊眼】は王城に居る時は常時発動しているし、訓練のために家でも出来る限り発動させている。

 御蔭で発動中の魔力の消費はかなり抑えられているし、発動時の必要魔力量も大分下がっている。

 この調子なら常時発動に魔力は必要なくなりそうだし、発動にも殆ど魔力を必要としなくなるだろう。

 発動するだけで修練になるスキルで良かったと思う。


 と、そんな密やかな訓練はともかくとして、この【精霊眼】は主に精霊が視えるスキルである。

 精霊は色とりどりの光球として私の目には映っている。

 つまり、はっきり言って眩しいのである。

 

 貴族とは大抵魔力持ちであり、大なり小なり精霊に好まれている。

 時々全く周囲に精霊がいない人もいるけど、何かしらの原因によって一時的にいないだけだったりして、全ての精霊に嫌われている魔力持ちは存在しない。

 少なくとも私は理由無く精霊が周囲にいない状態を見た事は無いし先生も見た事はないらしい。……まぁその時の様子からして例外は存在しているようだけど。

 現時点では言う必要性を感じなかったから言わなかったんだと思う。

 多分例外は物騒な話って事になるんだろなぁと勝手に思ってたりする。

 

 とまぁ魔力持ちと精霊の関係はおいといて、そんなモンだから王城なんかはカラフルな光に溢れているのである。

 王城にいる人達は使用人だとしても貴族の出の人間が殆どである。

 本当に下働きとか、多分厨房とか? そういった所――王族や高位貴族と顔を合わせる事がない人達や職としての料理を作るなどの特殊技能を持った人達――には平民もいるんだろうけど、訓練場から応接の間に行くまでにすれ違う人間で魔力を持たない人間はいなかった。

 そんな訳だから、眩しくてしょうがない。


 まぁ一番眩しいのは【光の愛し子】と【闇の愛し子】である両殿下と精霊に愛されているお兄様なんだけどね。

 後、私の周囲も結構眩しい。

 仕方ないと言えば仕方無いとはいえ王城は目に優しくない場所である事には違い無いのである。


 草花を見て目を休めたり、癒されるのは単に眼球疲労を軽減させたい思惑の結果で可愛らしい理由からじゃない。

 何でか知らないけど、私の趣味の一つに換算されてるけどね。

 別に草花見ているだけで癒されている訳だから、平和な趣味だし、いいんだけどね。

 ……時々錬金術の材料に使えないかなぁと思っている事は人様に言えない内緒ごとである。


 そんな私の趣味認定されている草花鑑賞だけど、何でか弟殿下にもそう思われていたらしい。

 多分あのパーティーで会場から抜け出してトピアリーを眺めていたからなんだと思うけど。

 会話は聞こえていなかったかもしれないけど、あれだけ熱心に眺めていれば興味があると判断出来るよね、って話なんじゃないかな。


 という訳で今回お喋りの場は花々が美しい中庭とあいなりました。


 別に気をつかって頂かなくても大丈夫でしてよ?


 少なくとも弟殿下の中では友人に格上げされている気がしてならない今日この頃です。

 目の前で今日の訓練について熱く語る殿下に相槌を打ちながら私は内心苦笑するしかなかった。


「まぁ騎士と同じだけの修練をつむ事は時間的にもむずかしいんだがな」

「時間には限りがありますものね」


 ちなみに兄殿下とお兄様は少し離れた所でなにやら話している。

 出来るだけ私と殿下を一対一にしないで欲しいんだけど、見える範囲にいるからいいんだろうか?

 もう何を警戒すれば良いモノやら……疑いが多すぎて疑心暗鬼になりそうである。

 弟殿下はあんまり警戒しなくても良い気がするんだけどね、気質的に。

 楽し気に語る殿下の表情はころころと変わって見ていて飽きない……とは流石に不敬だから言えない事である。


「そうなんだよな。武術の訓練をしている時だけはみょうなやつも近づいてこないから楽なんだが、一日中いるわけにもいかないからな」


 殿下、もしかして妙な奴扱いしているのは令嬢サマ達の事だったりします?

 確かにお近づきになりたい類の人間ではないけど、殿下の中での扱いが良く分かる言葉だなぁと思ってしまったり。

 兄殿下の言う通りあまり良くは思われていないらしい。


「見学として来る可能性も御座いますが」

「一度血がきらいだのなんだとと言ったんだ。今更ひるがえしたりはしないだろうな」


 もし見学に来たらそこを指摘すればいい、と笑う殿下。

 明らかに排除する気満々である。

 ……令嬢サマは排除対象にまでなっておいて自覚がないとは言うのはある意味スゴイ話である。

 この調子だと下手すると嫌な顔を隠す事すらしていない気がする。

 なんだろう?

 それでも令嬢サマは気づかない気がするんだけど。

 脳内お花畑の恋に恋するお嬢サマ恐るべし。


「まぁ一日中武術についやしたいのは俺自身の望みでもあるんだがな。……座学がきらい、とまでは言わないが体を動かす方が得手だからな、俺は」

「殿下にとっては武を修める事は楽しみであり望みなんですね」


 それを自分の価値観で野蛮だの言われれば、そりゃ気分を害するわ。

 本当に自分で自分の首を絞めてるなぁ令嬢サマは。

 ……あと、関係無いけど自分で脳筋発言はどうかと思うんだけど。

 いや、座学が嫌いな訳じゃないって言っているしそこまでじゃないかな?

 

 この調子だと訓練場に見学に来ているお嬢サマ達に対する感情も兄殿下とあまり変わらなさそうだ。

 後、騎士様達の心情も。

 

 この世界でも騎士は憧れの的だろうに、ご愁傷様です。……と幾度目かの合掌を心の中でするのだった。


「きわめる事はむずかしいかもしれない。俺は騎士になる訳じゃないからな。だが、それでも行けるとこまではいきたいと思っている」

「明確な目標は殿下を邪魔せず糧となる事でしょう。……座学を疎かにしなければ誰も反対などなさらないと思いますわ」

「座学のこうし達は俺が何時抜け出すかヒヤヒヤしているようだがな。あそこまで期待されていると応えねばならないと思ってしまう」

「あら。……それは聞かなかった事に致しますわ。講師の方々も覚悟の上でしょうしね」


 悪戯っ子のような満面の笑みを浮かべる殿下に私も小さく微笑む。

 本当に年相応、と言うには聡明な殿下なのだなぁと思う。


「(とってもじゃないけど『傲慢な第二王子サマ』になるようには思えないけど)」


 これからの環境や教育によるとは言え、片鱗も見えないのは一体何故だろうか?

 劇的に変化する出来事がこれから起こるんだろうか?

 って、一体どんな出来事が起こればそうなるんだか。

 これ以上は考えても仕方ないから考えないけど。


 ただ殿下と会えば会う程私の中で『第二王子』とのブレを感じるのだ。

 所詮『ゲーム』の中で見せられていた側面なのだから当たり前と言えば当たり前であるし『ゲーム』は数多ある未来の一つに過ぎないと分かってはいるんだけど。

 無理に『第二王子』と重ねる必要は無いし分けて考えていると思ってはいるんだけど、どうも決定打でもない限り完全に分けて考える事は難しいらしい。

 時に役に立つ『知識』だけどこういった事に関しては不便なモノである。

 流石に失礼だしどうにかしないとと思わなくも無いんだけどね。……私達はこの世界に生きているのだから。

 

 殿下は鍛錬で得た手ごたえについて熱弁をふるっている。


 武術を教わり騎士達と鍛錬を積む殿下。

 策を練るよりも剣を持ち戦う事を得手としている。

 間接的に人の命を脅かすのではなく、直接相手と命のやり取りをする事を選んだ。

 ……人を殺す術を殿下は極めんとしているのだ。

 極論である事は百も承知だ。

 私だって護身術と言いながら人を殺す事の出来る力を持っているのだから。


 だからこそ『わたし』がそれではダメなのだと、その行為は心を軋ませる『犯罪行為』なのだと叫びをあげて隙を作ってしまうのだ。

 無意識の意志が一瞬だけ体を支配し隙になってしまう。

 

 人を殺める事への嫌悪感ならば、覚悟が足りないだけならば何の問題も無かったと言うのに。

 

 何度自問自答を繰り返しても答えは出ない。

 無意識をねじ伏せる術を私は未だに模索し続けている。


「殿下は……」

「キースダーリエ嬢?」

「あ、いえ。何でもありません」

「何か俺に聞きたい事があるのではないか? 何を言ってもとがめはしないぞ?」


 どうやら悩んでいたために口についてしまったらしい。

 しかも悩んでいる事も微妙にバレているようだし、此処で何でもないと言い切るのも微妙だ。

 あと、少し煮詰まってのも事実だった。

 お兄様の言葉通り焦っても良い結果は無い。

 けれど先生方の忠告の件もあるのだ。

 私は今、けりを付けなければいけないという気持ちと焦っても良い結果はでないという気持ちが鬩ぎ合って何ともスッキリしない状態に陥っている。

 此処で立場の違う殿下の話を聞いてみたいという気持ちもあるのだ。

 ただ……どうやって、どういう事を聞けばよいのか。


「(人を殺す事を恐れるかどうか? それだとちょっと違うんだよなぁ。一瞬の隙はともかくとしてその後相手を殺す事に躊躇するかどうか、と言われれば「敵」ならば殺す事は出来る、と答えがでてしまう訳だし)」


 誰であろうと殺したくはない、なんてのは当たり前の感情だ。

 それを押し殺してでも相手の命を奪うためには極論、人を殺す覚悟が必要なだけである。

 それでも初めて人を殺める時は恐れるだろう、躊躇するだろう。……もしかしたら殺せないかもしれない。

 だとしても、人は覚悟の元に誰かの命を奪えるのだと思う。


 覚悟はあるのだ。

 間接的に人を殺した事を自覚している。

 直接人を殺めるための覚悟とは別の覚悟だとしても、私は覚悟していると言い切る事は出来る。

 私は大切な人のために他者の命を奪うという何処までも自分勝手な覚悟をしている。


 だから私が聞きたいのは「誰かを殺す覚悟」の話じゃない。

 むしろ無意識下をコントロールする術とでも言えば良いのだろうか?

 なら殿下にする質問は……。


「殿下は……無意識にしたくないと思っている事をするためにはどうすればよいと思いますか?」


 私の質問は殿下にとって予想外だったらしく殿下は虚を突かれた無防備な顔をしていた。

 今なら隙をつく事も簡単だろうに、と思いつつ殿下が正気に戻るのを待った。

 とは言え不意を突かれたのは一瞬だったようだけど。


「無意識のせいぎょか。それはなんだいだな」


 私にとっては煮詰まった上で少し他者の意見が欲しかった程度の軽い気持ちでの質問だったんだけど、殿下はとても難しい問題を出されたと言う風に悩みこんでしまった。

 其処まで悩まないで下さいと言っても聞いてくれなさそうな雰囲気だったので何も言わなかったけど、遠くからお兄様と兄殿下の視線を感じる。

 弟殿下は本気で悩んでいるもんなぁ。

 そりゃ気になるよね。

 それでも近づいてくる気配が無いのはお兄様が留めているのか、その程度の信用は私にあるのか、どっちにしろ傍観は継続するらしい。


 それからしばらく悩んでいた殿下は考えが纏まったのか顔を上げた。

 その顔にはなにやら覚悟のようなものが伺えて、其処まで悩ませたのか、と少し驚いてしまった。


「いくら覚悟をしていても、心からなっとくする事はないだろうな。恐怖は当然の事である上、俺達は自分の手で断つことになるんだ。現実を突きつけられると言う事になるからな」

「(おや?)」


 何と言うか妙に具体的な事を想定して考えを述べている気がする。

 おおまかに言えば間違いではないけど、ちょっと本題とはズレるんだけどなぁ。

 そんな複雑な感情が表情に出ていたのか、殿下が今度は苦笑した。


「先程までの話で思い浮かんだ質問だからな。前提を考えれば何に悩んでいるかを予想する事は可能だと思わないか?」

「確かに、そうですわね」


 殿下は此処に来てからその事しか話していないし、そりゃその上であんな質問をされれば予想する事は簡単かもしれない。

 無意識下で人の命を奪う事を忌避している心をどうすればよいのか? と。

 私が一瞬の隙以外は結構平気で訓練相手を倒している事を知らないし、私はどう頑張っても貴族令嬢でしかない。

 嗜み程度の腕前ではないかもしれないが、決してそれを生業に出来るような腕前じゃない事は確かだ。

 そんなモノ見なくても「当たり前」なのだ。

 だから殿下がそう思っても仕方ない。

  

 「私」があまりに特殊な環境で特殊な悩みを抱えている事なんて殿下が知る良しはないのだから。

 それにあの質問の答えならば私の悩みに全く関わりが無い、なんて事は無いだろうし。

 

 私はそう結論付けると再び悩みだした殿下に小さく微笑みを向けるのだった。

 そんな私に殿下は再び口を開いた。


「俺は無意識を完全にせいぎょする事は無理だと思っている。何時の日かこの手で誰かの命をうばう事もあるかもしれない。どれだけ覚悟をしようとその時、俺は自身が恐怖に支配されないと言い切る事は出来ない」


 自分の中で一応の結論がでたんだろう。

 殿下はゆっくりと自分の考えを咀嚼して、慎重に、だが確実に言葉を紡いでいく。

 その姿はとても子供だから、と馬鹿に出来ないモノだった。

 ふと『第二王子』の姿は過ったけど、完全に別物として認識するべきなんじゃないかと今までにないくらい強く感じた。

 目の前の彼は『彼』にはならないんじゃないか、とそう思ったのだ。


「俺はこの先誰かの命をうばう覚悟はしている。それは自分の手で生々しいまでの現実としておこる事なのだと。その時俺は誰かの命を背負うのだと。そんな重たく、だが決して忘れちゃいけない覚悟を俺はしている、つもりだ」


 それは剣を、武を……誰かの命を奪う術を学ぶ者全てがしなければいけない覚悟だ。

 貴族として間接的に誰かの人生を奪うのとは違う。

 自らの手で命の灯火を消してしまう覚悟。

 生々しい現実を叩きつけられるであろう。


 それは命を背負う覚悟とも言えるはずだ。

 

 歳なんか関係ない。

 武に触れ、武を修める誰もがしなければいけない覚悟を殿下もしているのだと。

 私とてその覚悟はしている。……間接的に誰かの人生を歪めた時点でその覚悟は実感をともなって襲ってきたのだから。


 殿下は僅かに震える手を握りしめている。

 それは覚悟の重さを改めて認識しているからだろう。

 そしてそれは表面だけの覚悟ではないと言う証左でもある。


「剣がものすごく重く感じた。けど……それでもきっと命をうばう行為に恐怖するし、とまどいすら感じるはずだ。覚悟なんていくらしても全て吹き飛んでしまうかもしれない」


 私も殿下も快楽殺人者でも誰かの命を奪う行為に悦を見出す事は出来ないだろう。

 私だって人の死に無関心に居られる程破綻もしてない、はずだ。

 少なくとも全く無関係の人間でも目の前に死にかけていれば助けようとする程度には自身は「人」であると思っている。……自分や大切な人に何の害もなければ、という前提が付く所善人と言い切る事は出来ないけど。

 同時にどうしようもなければ割り切れる上、助けるという行為に欠片の善意が絡まない所――まぁ悪意も絡んでいない訳だが――人でなしである事も事実なんだけど。


 殿下は私なんかよりも余程真っ当な感性だと思うから、私のような前提無く人に手を差し伸べる事が出来るんだと思うし。


「その時にならなければどうなるかは分からない。だが、俺はそれでも剣をふるい武を修める事を止めようとは思わない。俺はいま感じている恐怖を誰かに押し付ける事こそを恥じる。無意識がどれだけ何かを言っていたとしても、俺自身が恐怖と戦い勝つ事で誰かがこの恐怖を感じずにすむなら、その方が俺は良いと思ったんだ」


 最後は力強く決意を語った殿下の顔には笑みすら浮かんでいた。

 殿下の覚悟を「王族の男子」だからと思う事は殿下自身の覚悟を汚す事になるのかもしれない。

 けれど、殿下の持っている気質は「王の気質」か「英雄の気質」か。

 どっちにしろこの年の子供が抱くにはあまりにも重くて、あまりにも眩しい覚悟だと思った。

 私はこうはあれない、と思う気持ちがある。

 誰もが抱ける訳がないと一蹴する事は簡単で、心持ち一つでしかない。

 そもそもが私の軽い気持ち一つで聞いた質問なのだから、其処まで深くまで考え殿下の覚悟を問うつもりは無かったのだ。

 けど……殿下の覚悟を「自分とは違う」と思うのはあまりにも殿下に対して失礼だと思った。


 殿下の金の双眸が私を真っすぐ射抜く。


 この強く真っすぐな眸を真正面から受け止め見返すだけの覚悟を私は持っているのだろうか?

 私はこの時初めて『第二王子』と殿下は別なのだと、少しでも同一視するのは失礼なのではないかと思ったのである。

 あの姿が未来の一つなのではないかと疑問を抱く事すら失礼に当たる、と。

 自分の極端な思考に驚く気持ちも当然あったのだけれどね。


「多分俺は覚悟や王族としてのきょうじで無意識をねじ伏せる事を選ぶのだと思う。……本当なら共存できる方が良いのかもしれないけどな」

「共存?」

「無意識の拒絶はあるモノだとにんしきした上で寄りそうと言えば良いんだろうか? あるモノは仕方ないのだとあきらめるとも言えるな。ただ「あきらめる」よりも「共存」の方が心情的にも良い気がすると思わないか?」

「共存」


 私は今まで無意識をねじ伏せる、又は無いモノとする方法を探していた。

 何故か?

 多分『前』に引きずられている様に感じるからだと思う。

 今此処で生きているのは「キースダーリエ」と『名も無き私』が混ざり合った「私」という存在だ。

 だと言うのに『わたし』が根幹を形作り、こうして私がどうにもできない状態を作り出している。

 それは『前』と「私」が混ざり切ってない、そんな気になってしまうのだ。

 私は私でしかないと言うのに『前』がそれを邪魔してくるような。

 

「(私はいつの間にか「無意識下」を『前』の残滓として思っていた、って事?)」


 身体を一瞬で支配してしまう程強い「無意識下」は『前』の『道徳観や倫理観』で構築されているからイコールで結ぶ事が完全に間違っている訳では無いけど。

 少なくとも全てを悪しき慣習としてねじ伏せる必要はない……のかもしれない。


 『わたし』が培ってきた根幹を全て否定する事なんてできやしない。

 そんな事分かっていたはずなのに、私はそこに思い当たらなかったって事?

 

「(そ、れは……流石に馬鹿みたいな話なんだけど)」


 そこまでは、と思いたい。

 ただねじ伏せる事だけが道ではないというのは確かだった。


「共存できる道もあるのかもしれないんですね」

「俺は思いつかないがな。人の考えなど色々だろ? 案外上手く付き合っているやつもいるんじゃないか?」

「そうですわね。皆が皆、殿下のような強いお覚悟を持てる訳ではありませんものね」

「兄上やキースダーリエ嬢も同類だと思っているんだがな」


 眼には親愛の情を宿し、口元は緩やかに笑みを象っている。

 友人としての情愛を殿下は素直に私に伝えてきてくれている気がした。

 どうやら私は相当煮詰まっていたらしい。

 殿下にそこまで心配をかけていたとは。


「そのように思って頂き光栄です、と存じておきますわ。――殿下、有難う御座います」

「大した事はしていない。こっちこそ考えるきかいをくれてありがとう」


 私と殿下は顔を見合わせると微笑む。

 どんどん殿下の中での私達の友好度が上がっている気がするけど、仕方ない。

 子供の時の一時の戯れだと考えれば悪い時間じゃないと思うのだ。

 期間限定だからこそ、それならいっか、とも思う。

 本当に今後の関係性については私が領地に戻ってから考えていいんじゃないだろうか。

 先送りだろうと、この関係を無理に変えようと思えば歪んでしまいそうだ。

 別に殿下達との関係を無理矢理捻じ曲げてまて来るかもしれない未来を恐れる必要はない。

 ……少なくとも弟殿下は将来『第二王子』にならない、そんな予感がするのだから。


「(これも一種腹を括ったって事なのかな?)」


 流されるのも良いかもとも思っていたのだから、もう少し身を任せてみようか。

 期間限定の友人関係も悪くない。


 少しだけ肩の力が抜けた気がした私は、何処か嬉しそうな殿下を見て苦笑すると話題を変えてしまった謝罪と共に再び話題を提供するために口を開くのだった。


「ロア様から離れなさい、わがまま女!!」


 ……話題を提供する暇なんて無く、事態は動き出していくだけれどね。

 

 何でもいいけど計ったようなタイミングだよね、これ? と思った私は悪くないと思う。



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