第26話:前略父上様

 まだ俺が物心つくかつかないかの頃の話だが、俺はあの親父と約束したことがある。

 今でもハッキリと思い出せる。


『てるるん、約束しよう』


 クソ暑い真夏日で、公園には我々親子しかいなかった。親父は珍しく短髪のウィッグをしていたが、日焼け対策としてサングラスに縁の広い帽子を着用、日傘を手にベンチに座っていて、どう見ても不審者だった。

『もしてるるんが、誰かのことを好きになったら……』

 親父は慎重に言葉を選んでいる様子で、いつものような猫可愛がりをしてこなかった。だから覚えているのかもしれない。

『誰を好きになってもいいんだ。男でも女でも、どこの国の人であろうと、いくつのひとであろうと。でももし、てるるんが誰かを好きになって、それがてるるんの手に余ることになったら、絶対にパパに報告しろ』

 そこで親父はサングラスを取り、俺の眼を真正面から見て、優しく微笑んだ。



「……という約束を思い出したのでお電話した次第ですが、えーと、たぐたぐ、親父今どこ?」

『帰国はしてる。でも成田で見事にまかれてしまって……、本当に申し訳ない、輝くん』

「また北海道かな? あの人自然好きだし。あ、でも鳥取砂丘にも行きたいとか言ってたなぁ。ダメだ、あのバケモノの行動は実の息子を以てしても予想できない」

『ごめんねぇ、輝くん。僕がもっとみちるをガードできてたら良かったんだけど……』

「たぐたぐのせいじゃないよ。あの人の変装技術、ハリウッドの特殊メイクアーティストも青ざめるレベルだし」

 俺は今、暉隆と分かれて家の自室で電話をしていた。そういえば暉隆の『訳あって』は俺がパニクりすぎて聞けず仕舞いだったな、と今になって思い出す。

『まったく、別にみちるを束縛するつもりはないけど、せめて日時と行き先くらいは、せめて、せめてこの僕にだけは言って欲しいよ』

 この人も苦労してんなぁ、と他人ごとのように同情した。

 彼は坂口タグ。日本人とアメリカ人とのハーフで、親父とは昔からの友人らしいが、暁みちるのマネージャーという世界レベルで考えても困難なことを生業としている。

「親父の電話、俺さっきかけたけど圏外だったよ。なんかGPS付ける作戦とかなかったっけ?」

『秒速で気づかれた』

「たぐたぐ〜」

 たぐたぐは親父と同世代で、俺がガキの頃からの知り合いなので、俺の数少ない、『本音を言える大人』だった。

『また警察沙汰になったらメディアがうるさいから、なるべく輝くんは……』

「てるううううう!!」

 ノック無しで俺の部屋に駆け込んできたのは母だった。

「まーくんから電話! もう日本に帰ってるんだって!!」

 そう言って彼女は電話の子機を突き出してきた。

 俺は目を丸くしたまま、

「たぐたぐ、親父から入電、そちらのミッションに全力を尽くすため、本コールはここで終了する」

『分かった! 次の国営放送の企画すっぽかしたら殴るって言っといて!!』

「把握した」

 俺は自分のスマホの通話終了ボタンをタップし、家電の子機を受け取った。

「もしもし」

『てるる〜〜〜〜ん! 久しぶり! もうてるるんに会いたくて仕方ないよおおお』

 久々に聞くこの声の温度は、やはり俺を少しほっとさせた。断じて内容にではないが。

「では帰宅するなり東京の事務所に戻るなりすればいいかと存じますが、今どちらにいらっしゃいますか」


『ん、実は同じ市内にいる』


……は?


『でもさぁ〜、すっごく面白い仕事が入ってね、家に帰るにはもう少し時間が必要なんだ。でも今日の午後なら少し時間があるから、電話くらいはできるよ! 今から仕事だからすぐには無理だけど、てるるんの声聞くだけでもと思って……』

「ちょっと待て親父、なんでこんな僻地のベッドタウンに世界の暁みちるの仕事が転がってんだ? 嘘ついてんじゃねーよ」

『ホントだって〜、沙智代さんに聞いてみて、伝えてあるから』

 思わず母親を見遣ると、音漏れで聞こえているのか、彼女はダブルピールを俺の方に突き出してきた。

「分かったよ。じゃあその、今日の午後、えーと……」

 俺は視線で母に退室を促した。この超ド天然ママンは、五秒くらいしてから気づき、慌ててバタバタと部屋を出た。

「親父、報告アンド相談だ」

『報告? 何の相談?』

「昔約束したアレだよ。その、俺がもしその、れ、恋愛関係の、その……」

 俺が言い淀んだ瞬間、通話は切断された。

 なんだ? 電波が悪かったか? それとも意図的に切られたのか?


 首をひねって子機を廊下に戻しに出ると、母はどうやら自室に戻ったようだった。何となくぼけーっとしたまま階段を降り、誰もいないリビングのソファに腰を下ろして、自分の状態について再度考えてみた。


 俺は、親友・中山詩雨の姉、中山詩日さんに、恋をしている。らしい。

 

 詩日さん。

 心の中でそう唱えるだけで、初対面の時やら本屋で声をかけてくれたことなんかが頭にぽやぽや浮かんできて、気づいたらニヤニヤしていた。

……まずい、学校でこんな状態になったら変質者だ。

 そもそも詩雨はどうするんだ? あれほど俺の初恋を応援すると言ってくれていたけど、まさか自分の姉、となると、よく思わないんじゃないか……?


 次の瞬間、スマホが鳴った。非通知だ。受信ボタンをタップしたが、無言を決め込むつもりだった。昔親父に習ったことのひとつ、暁みちるのファンなりストーカーなりアンチなりがもし俺に非通知で電話をかけてきた時は、絶対に先にものを言うなと。


 が。


『もしもしてるるん? 社長に直談判して、今すぐこの電話でてるるんの初恋の話を聞けるようにした! さあ報告しろ!!』


……あのー、再度恐縮ですが、俺に選択肢はないのでしょうか?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る