第9話:香坂輝の恋愛じゃない交際、父というもの

 背の高い女性だった。

 孤高の存在、高嶺の花、そんな形容詞が似合う人だった。

 真っ黒のロングヘアは、いつだって艶やかに風になびいていた。


 俺が中学二年の時。彼女が三年生だった時。

 接点は同じ図書委員ということだけだった。

 俺だって、綺麗な人だな、とは思っていた。

 この人だったら、俺を親父の呪縛から解き放ってくれるかな。

 なんて思っていたが、それは単なる妄想であり別に恋愛感情ではなかった。

  

 だから付き合おうと言われた時は、正直逡巡した。

 俺はこの人を綺麗だと思っているし仲がいいという自覚もあった。

 だがこれは本当に『恋』なるものか?

  

 疑心暗鬼な面はあったが結局俺は彼女の巧みなリードで交際にオーケーを出したことになっていて、SPがいない時間帯のほとんどを二人で過ごし、休日に二人で遊びに行くようになった。

 

 でもすぐ気づいたんだ。


『私、綺麗でしょ?』


 そう語る瞳と、俺を『恋人』としてではなく『持っていると自慢できるネタ』として見ていたことに。

 要するに俺は、彼女のスペックを上げるためのツールにすぎず、俺だって彼女に恋愛感情を抱いていなかったけど、彼女も同じだったんじゃないかと、今では思う。


 もちろんそんな脆い交際が長続きするはずもなく、一ヶ月ほどしたら徐々に自然消滅していった。


 手を繋いで歩いたこともなかった。

 キスすらしなかった。

 セックスなんてもってのほかだ。

 俺は単なる彼女のステイタスアップの道具だった。

 彼女の『所有物』だった。


 俺はモノじゃない。

 俺は人間だ。

 

 自室でひとり、夜中に枕に顔を埋めながらそう考えていた時、ノックも無しに親父が入ってきた。


「……んだよ、こんな時間に。つかノックはしてくれよ」


 薄暗い部屋で俺が平静を装って言うと、親父は部屋の灯りをつけ、俺の学習机の椅子に腰を下ろした。

 親父はしばらく黙っていたが、やがて俺の眼を見てこう言った。


「俺に似たせいで、おまえは今後、嫌な目に遭うかもしれない」


 深刻な口調ではなかった。ただ、訥々と事実を告げるような声音。


「別に俺が名の売れた役者だからじゃない。俺も若い頃そうだった。もしかしたら同じことがおまえにも起こるかもしれないし、もう起こったかもしれない」


「随分抽象的だな」


 努めて無愛想に、何の問題もないかのように、俺は振る舞った。


「残念なのはおまえが俺の演技力を受け継がなかったことだな。おまえは嘘が下手すぎる」


 硬直せざるを得なかった。


「輝、見目がいいことはそんなに悪いことじゃないが、その美を『利用』しようとする人間は山ほどいる。おまえがどう思ってるかなんてガン無視でだ。だからおまえは、自分に近づいてくる人間がおまえにとって良き存在であるか否かを見極められるようにならないといけない」


 呆然としながら、俺は親父の言葉が胸の奥深くにふわりと落ちていくような感覚を味わっていた。


「いいか輝、流されるなよ? おまえは香坂輝っていう一個の人間であって、おまえは自分の人生を好きに生きる権利を持っている。選ぶ権利だって持ってる。選択肢はごまんとある。おまえが何を拾い、何を捨て、どんな自分で在りたいか、決めるのはおまえ自身だ」


 あくまでも無表情で声音は落ち着いていたが、それでも親父がこんなに深刻に喋ったことなどなかった。

 しかし気がつくと俺は涙を流していた。


「目元は洗ってから寝ろよ、明日腫れるとみっともないぞ」


 親父はそう言って部屋から出て行った。


 何を拾い、何を捨て、どう生きたいか、どう在りたいか。


 その夜から俺は、ちょっとばかり慎重に生きていくことにした。

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