第8話:彼女の宣誓とよこしまな期待と
学校と同じブロックの角にあるバス停で、俺は何とか白鳥から逃げ切った。単純に奴のお気に入りの女子が下車してきただけだが。
暉隆はもう教室にいるだろうな、楠木あやめはどんな状態だ? 嗚呼、気が重い。廊下を歩きながら、思わず額に手を当てる。
その時だった。
「香坂くん、おはよ!」
そう、後ろから声をかけられた。聞き覚えのある声だ。しかし俺は背後から正面に回った女子を見ても、一瞬誰だか分からなかった。
「あ、ポカーンってなってる! イメチェン大成功!」
そう言って笑うのは、黒い髪の毛をベリショにした楠本あやめだった。元は赤みのあるロングヘアだったのに、随分思い切ったな、と思ったが、いや待て、これはあれか、『失恋すると髪を切る』という太古から伝わる女子の謎行動か。
「ビックリしたよ。大成功だ」
ようやくそれだけ言う。
するとあやめは何事もなかったかのように話を続け、教室まで一緒に行き、隣の席に座ったのだ。
その様子は、昨日の校舎裏での諸々が俺の夢だったんじゃないかと思うほどポジティブで、さらに言うなら昨日より快活で魅力的に映った。
よく分からないが、険悪な雰囲気になったり、俺をシカトしたりという態度ではないので、俺は胸をなで下ろした。
……のも一瞬。
朝のホームルームが終わって、各生徒が銘々に授業の準備をする中で、あやめが俺の肩を叩いた。耳に指を添えている。耳打ちしたいと? なんだ、ナイショ話か。俺は背の低いあやめのために少し顔を下ろした。
「あのね、香坂くん」
とてもウキウキしているような、何かを心待ちにしているような、それでいてサプライズの要素も含んだ声だった。
「私、暁みちるより綺麗になる努力するから」
愕然と首を振ってその瞳を見た。やけに輝いているように見えたが、それは何故だろう。
「待っててね」
最後にそうささやいて、あやめは教室から出ていった。
取り残された俺、呆然としたまま、これが女の強さか、と変なところで感心していた。
そもそも俺と楠木あやめがよく話すようになったのは二年に上がって同じクラスになり、席替えで隣の席になったのが直接的なきっかけではあるが、存在を認知するという意味では、入学してからすぐ『すげえ美少女がいる』という男子同士の噂を聞いたのが最初である。
そしてあやめもおそらく、例の『御三家』のアレで俺のことは知っていたようだ。
ほんの少し『よこしまな期待』を持って遠巻きに別クラスのあやめを見た時は、素直に可愛いと思えた。
だが、何かが違う。
別にあやめのルックスに不満だとか、欠けているものがあるわけではない。と思う。
大きな目は控え目にカールした睫毛に彩られ、肌も透き通るように綺麗だった。栗色のロングヘアを掻き上げる仕草だってナチュラルで飾らない感じが好印象だった。
だから同じクラスになり、隣の席になった時は正直俺も嬉しかった。
最初はぎこちなかったが、打ち解けるまで時間はかからなかった。しかし好きな音楽だとか、教師に対する愚痴だとか何やらを話していく過程で、俺は何かを察知した。
あやめの瞳だ。
『私、可愛いでしょ?』
瞳がそう言っている。実に雄弁に、他の男子生徒に対しても、まるでマウントを取るかのようにその瞳は語りかけていた。
いや、自分に自信を持つのはいいことだと俺も思う。
だが、友人としてなら気にはならないが、あやめがいわゆる『好意』を向けてきた時点で、俺はまるで自分があやめの支配下に置かれるような、名状しがたい感覚に囚われたのだ。それは見た目とは無関係に、だ。
そして最初は可愛いと思えた見た目だって、親父に一般的な美意識を破壊された俺からすれば、徐々に、
『嗚呼、今日もアイライン失敗してる……』
『角栓もっとケアしないと折角の顔立ちが台無し……』
『昨夜、髪はブロウに時間かけなかったな……』
といった具合で脳内でツッコミを入れるかのような現象が起こり始めた。
こうなるともうお手上げだ。親父と比べてしまう。
むろん、繰り返すが友人としては凄く話しやすい女子だと思っている。
それでもあやめの瞳を見ると、中学の時のことを思い出してしまうのだ。
『私、綺麗でしょ?』
瞳がそうささやく、一つ上の先輩。
俗に言う、『元カノ』というやつだ。
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