最終話 昔々あるところに……
この世で一番有名な童話の主人公は、揺るがぬ決意をその目に宿していた。
「ネコ娘!」
「は、はい!」
「僕はネコ娘が好きだ!」
こ、告白!?
「けど、ここですっぱり諦めるぜ!」
からの、別れ話?
「僕も前に進まなくちゃならねぇ。ドラゴンを退治してから、ずっとネコ娘のことを考えていた。けどダメだ。ダメダメだ! あの時の思い出は、童話となってもうこの世に存在はしねぇ。引きずるなんて柄じゃないんだ。あひるの王子は常に前向きで、前だけを見て、突っ走っていなくちゃダメなんだ」
笑い話のように、一年間溜め込んだ胸中を語る。
「だからよ。その白いキャメロンで、僕の記憶も消してくれ」
「えっ!?」
私は耳を疑った。
「女々しいのはわかってる。叶わない思いを引きずらないために、記憶を消すなんて、すげー都合がいいこと言ってるって、ちゃんとわかってる……」
レオンの瞳は揺るがない。
「でもやっぱ、考えちゃうんだ。城からここまで、僕が去るタイミングはいくつもあった。けど、体は動かねぇ。僕のネコ娘への愛は断ち切れない。――だから、魔法に頼らせてほしい」
それは童話の中で一度も見せたことがない、あひるの王子の素顔だった。大剣を軽々と振るう戦士が、ただまっすぐに頭を下げる。
自分の記憶を消してほしい……。それも大ヒットを記録したあひるの王子シリーズの冒険譚が詰め込まれた、私との思い出を……。国を焼かれ浮浪者に身を落としてもなお忘れなかったその記憶を、消してほしいというのか……。
「頼む」
「いいのか、少年。好きなもんがねぇってのは、辛ぇぞ?」
「覚悟の上だ」
ガロンの説得にも聞く耳を持たない。どうすればいいのか、全然わからない……。
助けを求めてヴェルトを見ると、彼は無言で純白のキャメロンを差し出してきた。
私が決めろと言うことらしい。
「……そっか」
私は一瞬躊躇したけれど、ヴェルトからキャメロンを受け取った。
「ありがとう」
レオンに感謝される筋合いなどない。震える手で顔の前にまで持って行き、小窓を覗く。
「なぁ、ヴェルト。こういう時、どんな顔してればいいんだ?」
「さぁな。お前の思い出に聞いてみろよ」
ヴェルトは言う。そっか、と一言呟いて、レオンは歯を見せて笑ってみせた。右手は突き出したピースサイン。その顔と仕草が、私との関係を物語っている。
「愛していたよ、ネコ娘」
「私はリリィ。童話の国のリリィ。ネコ娘じゃ、ない」
カシャリ。
終わりを告げる魔法の音。
『あひるの王子とネコ娘』から始まる、童話の国の大ヒットシリーズ。最終巻『あひるの王子と片翼のドラゴン』の後の、誰にも語られない長すぎるエピローグは、こうして終わった。
私は一人の読者として、この結末を絶対に忘れないと心に誓う。
「さて、行くか」
小さな休憩を挟んで、私とヴェルトは立ち上がった。首にはもちろんガロンが揺れている。
「行先は?」
私はヴェルトに問いかける。
「そうだな。まずはこのまま北に。歴史の国にでも行ってみるか」
「おっ! 俺様の故郷じゃねーか。凱旋たぁ心躍るねぇ」
「ガロン、騎士みたいだね」
「みたい、じゃねぇ。王を守る誇り高き騎士よ!」
ガロンの生きていたころの話、結局あまり聞けていないや。せっかく歴史の国へ行くのなら、事前に聞いて勉強しておこう。旅の醍醐味は、行く前の準備から始まっている。
「なぁ、リリィ。出発する前に一つ聞いておきたい」
ちょっとだけ改まって、ヴェルトが言う。
「お前は何のために旅をする? 何を目指して、何を目標にして旅をする?」
ヴェルトの問いかけ。私よりも頭一つ高い所から見下ろしながら、神妙な調子で聞いてきた。
梢の街で、マムに突き付けられた人生の命題。あの時はまだ、自分がどうなりたいか考えることができなかった。でも、童話の国での旅を終えた今は違う。
私には確固たる目的ができた。
「私を誰だと思ってるの?」
「そうだな……。ポンコツ王女から王女を引いて、ただのポンコツになっちまったな」
「ポンコツ言うな!」
もう。人がせっかく人生の目標を掲げようとしているのに、自分で振っておいて茶化さないでほしい。悪びれる様子のないヴェルトの笑顔に、溜め息も吐きたくなる。
「いい、一回しか言わないからね?」
私は緊張した面持ちで口を開く。
「……私はね、童話作家になるために旅をするっ!」
決意を込めた私の言葉は、穏やかな夕暮の平原に響き渡った。
お父様は魔法に頼った。より面白いものを作るために、他人を利用して、魔法を使って、あの傑作『あひるの王子』シリーズを作り上げた。
私は違う。私は抗う。
自分の目で見て、自分の肌で触って、生じた感情を無駄にすることなく、私の想いを童話に込めたい。
私にしか書けない、私だけの童話を創る。
それが私の夢だ。
お父様が作ったあひるの王子シリーズに引けを取らない、大ヒットを作ってみせる!
……笑われるかな。お父様を散々貶しておいてまだ童話に未練があるのか、って。
でも、私にとって童話とは人生なのだ。誰に何と言われようと、それだけは変わらない。
固く目を閉じた私の頭に、ふわっと大きな手が被せられる。
「ピッタリじゃないか、リリィ」
「おう! 嬢ちゃんらしい、最高の夢だな」
目を開けると、にこりと微笑んだヴェルトの顔。その顔に安堵して、私は思わず頬が緩んだ。
「叶えろよ、その夢。最初の読者は俺だからな」
「うん!」
後押しが心地い。
言ってよかった。
願ってよかった。
まだ芽生えたばかりのちっぽけな夢だけれど、私は大樹に育ててみせる。
初めて書く童話の内容は、もう決まっている。
……そうだな、物語の始まりは、こんな感じで始めよう。
『昔々、あるところに、聡明で、可憐で、童話が好きで、決してポンコツではない一人の王女様がおりました。――』
《童話の国のリリィ》 了
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