第268話 私はこれからも童話を愛する
「どこまで行っても、お父様にとって童話は道具なんだね」
静かに、けれど決意を込めて。私は今、お父様に反抗する。
「お父様に騙された。グスタフにも裏切られた。それは、すごく辛くて、悲しかった」
王の間で迫ってきたお父様。それは私の知るお父様ではなく、童話の国の、他国に引けを取らない王の姿だった。
恐怖と同時に思ったことがある。国を富ませ、民を富ませ、他国と戦い、他国を凌ぎ、童話の国はお父様のおかげで大国になりえた。いつかガロンが言っていたように、お父様は紛うこと無き賢王だ。民のことを一心に考え、自分の家族まで駒のように使って、童話の国を守り抜く童話王。その姿は格好良く、けれど歴史には残らない。童話にもならない。
私はそのことを誇りに思う。けれど、
「私は、違う。私は、そうじゃない!」
私にとって一番好きなものは童話の国じゃない。
私の思いは、私の熱意は、この一言に尽きる。
「私は童話を心から楽しみたい!」
私は童話が好きだ。
世界に引き込む会話劇が好きだ。
心弾ませる高揚感が好きだ。
ページをめくりたくなる謎が好きだ。
ぶつかる度に強くなる仲間との絆が好きだ。
目にも止まらぬ大立ち回りが好きだ。
擦り切れるほどの切なさが好きだ。
徐々に迫りくる焦燥感が好きだ。
理不尽に抗う根性が好きだ。
そして迎える、文句のない大団円が、大好きだ!
政治の道具として童話を使うなんて冗談じゃない! 国が滅びようが関係ない。生み出された面白さは永遠だ。
何より、面白い話は他人の記憶を奪うことでしか生まれないと決めつけている、お父様の考え方が許せない!
「童話は楽しむもの。時には泣いて、時には笑って。主人公の行動に一喜一憂する。読者に感動を与える最高級の魔法だよ。それ以外の何物でもない! それなのに……。それなのにっ! お父様からは、童話への愛情が感じられないっ! 優しい顔して私に童話の魅力を語ってくれたお父様は、もうどこにもいないっ!」
だからっ!
「だから、私は私の道を行く!」
私の目は、少なからず潤んでいた。
ドラゴンへと立ち向かうあひるの王子も、その旅を支えたネコ娘も、きっとこんな気持ちを抱えていたのだ。そんな重圧を跳ね除けて、物語を完結させた。ただのなんちゃって王女である私も、先人たちに倣う。
「……そうか」
長い長い時間をかけて、お父様はそれだけを絞り出した。言葉に温度なんてないけれど、今までもらったどんな言葉よりも冷たい言葉だった。
童話王はゆらりと立ち上がる。レオンの大剣が鼻先をかすめるのも構わずに、自分の足で玉座に君臨する。
「リリィよ。お前が、そんなことを言うようになるとはな……。だが、ぬるい。ぬるいぞ。儂が、何の対策もしていなかったと思うのか?」
言うが早いか、童話王は自分が今まで座っていた椅子の背もたれを掴み、振り回した。
遠心力に任せた一薙ぎ。
けれど、贅肉で膨らんだ童話王に、レオンのような馬鹿力はない。
「よっと」
レオンは軽い動作で一歩引き童話王の弱々しい攻撃を避け、勢いを溜めて戻って来た二撃めを、一刀両断に切り伏せた。
飛び散る破片。
けれど童話王は、すでにレオンを見ていなかった。
さっきまで座っていた椅子の下。手を伸ばした先にあるものを見て、私は声を上げた。
「キャメロン!」
ガロンが入ったキャメロンは私の首に下げられている。だからあれは別物。
一目瞭然だ。ヴェルトとの思い出を奪い取るキャメロンは黒一色なのに対し、お父様が持ち上げたキャメロンは、真っ白だった。
「忘れてしまえ! わが娘との思い出を!」
「避けろ、ヴェルト! 記憶を消されるぞ!」
ガロンの声が空気を切り裂く。よりも先に、ヴェルトが動いていた。
いつの間にか手に握っていた食事用のナイフを、予備動作一切なく手首で打ち出す。
……お父様の指に力がかかる。
カシャリ。
思い出という世界を切り取る魔法。その音はあらぬ方向に向けて放たれた。
「うっ……がぁああ……っ!」
右腕を抑えてうずくまるお父様。少しして純白のキャメロンが石造りの床に跳ねて嫌な音を立てた。
ヴェルトの体重が、再び私の肩に戻って来る。
お父様は苦痛の表情を浮かべる。抑えた指の隙間から、真っ赤な血が流れ落ちていた。
「……持っているとは、思っていた。保険をかけないほど愚かじゃないもんな」
「き、貴様……。儂に危害を加えて、ただで済むと……」
「その白いキャメロン。リリィと契約してあるんだろ? リリィに関わった者の記憶を消すために。この国の最終兵器。すべての証拠を消し去る武器だ」
「……くっ」
痛みと恥辱に耐え、射殺すほどの眼光を向ける童話王。
ヴェルトはその眼光を受け止めることもせず、遠く転がった白いキャメロンに近づいて行き、緩慢な動きで拾い上げる。
「お、おい……どうするつもりだよ、ヴェルト」
「ヴェルト……?」
拾い上げたヴェルトに、怪訝な顔を向けるレオン。私の顔にもまったく同じ表情が張り付いていた。しばし睨み合ったのち、ヴェルトは無言で、私の腕に押し付ける。
持って歩くにはあまりに重い。ヴェルトの記憶を盗むための魔法具とは、桁違いの重量を感じた。
ヴェルトはいつも、こんなに重いものを持って、背負い込んで、闘ってきたんだ……。
何するつもりだ? というガロンの声が聞こえた。
何するつもりか。それは、受け取った瞬間理解した。ヴェルトの目を見て、確信に変わる。
……私が決断するのだ。
「おい……リリィ……」
童話王キャメロンを見つめる私に呼びかける。同じ結論にたどり着いた童話王の声は小刻みに震えていた。私は白いキャメロンを握りしめて、お父様との思い出を反芻する。
けれど、それも一瞬。もう躊躇いなど、ない!
「お父様。ごきげんよう」
私はゆっくりとキャメロンを掲げ、小さな窓にお父様を入れる。
「や、やめるんじゃ……。わからなくなるぞ。儂からリリィの記憶を奪ってしまったら……。この国のことも、アイリスのことも、デイジーのこともっ。お前は儂の娘でなくなる!」
右手の人差し指に力を込める。
「や、やめろぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおお――――っっ!!!」
雄叫びと同時に。
カシャリ。
キャメロンが発動する。
私の十五年間の思い出と共に、お父様の十五年間の苦労と共に。私たち親子の絆を断ち切るがごとく、キャメロンはお父様の記憶を奪う。
さようなら、お父様。
私はこれからも童話を愛する。
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