第251話 懐かしい匂い
一月半ぶりの自分の部屋。扉を開けた瞬間、懐かしい匂いが私を迎えてくれた。
天蓋付きのベッドに、特製の大きな本棚。小さなドレッサーと窓際に小さな丸テーブルが一つ。童話を愛する私にとって、必要十分な装いは、私の記憶の通り、童話城を出たあの日のまま、埃一つなくそのままだった。
「ふふ。なんだかとっても小さく見える」
十四年間を共にしたわが城が、たった一年離れただけで、これほど変わって見えるとは驚きだった。
一度大きく部屋の空気を吸い込んで、ステンドグラスのはまった窓を開ける。中庭には気持ちのよさそうな風が吹いていた。城下の童話市の喧騒は、残念ながら聞こえてこない。
さて、と言って気持ちを切り替えると、私は着替えるよりも先に、この一年で蓄えた童話を自慢の本棚に格納していった。胸躍るストーリーと一緒に思い出が詰まった宝物。多くは持ち切れず道中で手放してしまったけれど、いつかお金を稼げるようになったら買い戻したい。固く、固く、心に誓う。
「お嬢様、失礼いたします」
ドアを叩く音に振り返ると、老齢の執事が自慢の白い髭を丁寧に整えて頭を下げていた。懐かしい声が胸に響いて、自然と私の声も高鳴る。
「グスタフ! ただいまっ!」
「ええ、お帰りなさいませ」
慇懃さを欠くことなく、グスタフは私に柔らかな笑顔を向けた。
「その声を聞く限り、良い旅だったようですね」
「そうなの! 童話だけあればいいはずの私を引っ張り出したお父様の采配は、間違いじゃなかった。お母様が残した世界を見て来いって言葉もわかる気がした!」
「そうですかそうですか。それは何よりにございます」
「うんうん。だからさ、今から宴の時間まで思う存分、童話読ませて!」
「それは、もちろん」
グスタフは笑顔を崩さずいつもの答えを返す。
「駄目でございます!」
「知ってる!」
こういう甘やかさないところが、グスタフのいいところだ。私も笑顔で返した。
「最近フェアリージャンキーを発症した男が捕まりました。フェアリージャンキー、ご存知ですか? 童話に憑りつかれてしまうそれはそれは恐ろしい病でございます。お嬢様も童話ばかり読んでいると、あの男のように現実が見えなくなってしまいますよ。ほほほ」
「知ってるよ。いろいろあったからね。……っていうか、最近? それ、私たちが旅に出てすぐにヴェルトが捕まえた人じゃないの?」
「おや、耳が痛い。老人には一年前も最近なのですよ、お嬢様」
城下町で私に襲い掛かってきた同い年ぐらいの少年。私のことをネコ娘と呼び、自らをあひるの王子と名乗った無垢な病人。浮浪者のような姿に身をやつし、周りのことも見えなくなっていた彼は、今一体何を思っているのだろう。門を守る衛兵に引き渡してから、その後の顛末は耳に入ってきていない。
あの少年はカラテアの魔法とは関係がなかった。
本当にフェアリージャンキーに罹ってしまった哀れな童話好きなのだろうか。
「何はともあれ、お嬢様にお怪我がなくて何よりでございました。ヴェルト殿にも後ほど礼をしなければなりませんね」
「ヴェルト、強いからね。グスタフとどっちが強いかな?」
「この老獪、歳は取れど腕は落としませんよ」
ほっほっほと、楽しそうに笑う。
実現したら面白い一騎打ちになりそうだ。私としてはヴェルトにベットしたいところだけれど、現実を見るならグスタフだろうか。軍で戦っていたときは悪鬼羅刹と恐れられていたらしい。あのレベッカに膝をつけた張本人だし。
「さて、お嬢様。本題でございます」
「本題? 本題なんてあったの?」
振り向くと、グスタフはいつもの柔和な顔をこちらに向けていた。
てっきり私との再会を喜びに来てくれたのかと思っていのだけれど……。
「ええ。童話王が王の間で待っておられます。お着替えが済みましたら連れてくるようにと、仰せつかっております」
「お父様はせっかちだね。私は逃げないよ」
私の逃げ帰る先は、この童話城なのだから。
一年も会えなかった愛娘への愛ゆえなのかな。
私も成長した。お父様にもそろそろ子離れをしてもらいたいところだ。
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