第244話 最後の旅立ち
あっという間に最後の朝が来る。
私たちはいつものようにモニカの朝食をお腹いっぱい頂き、歯を磨いて出立の準備をした。いつもは食卓に顔も出さないアルティ君も、今日は眠そうな眼をこすりながら駆けつけてくれた。
長いことお世話になったモニカの部屋を見回して、私はありがとうと小さく呟き、旅の軽装を持ってヴェルトの家を後にする。
ヴェルトはもう家の前で待っていて、私が来ると片手を上げた。
「生きてる間も含めて、俺様も空を飛ぶのは初めての経験だな。ワクワクするぜっ!」
「ガロン、あんまり調子乗っていると、空の上で手が滑っちゃうかもしれないよ?」
「なっ! そいつぁ勘弁してくれよ」
こんなやり取りも久しぶりだ。
この村は温かく、関わったすべての人が家族のようだった。いつもの三人旅に戻るのに、寂しさを覚えてしまうくらいには、私も染まり切っている。
ヴェルトと出来る最後の旅。何度となく大変な思いをしたけれど、それがすべて思い出になるほど、私たちの旅は楽しかった。これで終わってしまうことに、切なさを感じている。
「いくか」
ヴェルトは先陣を切って歩き始めた。私もその半歩後に続く。
童話城に帰ったらどうなるのか。キャメロンをお父様に渡してしまった後、私たちの関係はどうなってしまうのか。不安はいっぱいある。
でも、私は今回の旅で学んだ。
私の思う通りに生きればいいのだ。誰かに命令されるわけではなく、自分の足で、生きていく方向を決める。私はもう、一人前なのだから。
梢の街でマムに言われた問い、将来の目的も、今なら見つけられそうな気がする。
駐屯所に着くと、たくさんの人が私たちを迎えてくれた。
シューゼルにクリフ、元村長のコロネロさん、メイリンさんをはじめ、お世話になった村の人たち、軍服を着た童話軍の人たち、ギール副隊長、レベッカ……。
そして、その真ん中に、モニカがいる。
「兄さん、ありがとう。行ってらっしゃい」
「おう、行ってくる」
二人で語り合ったあの夜、モニカはヴェルトの出立に反対だったと言っていた。ずっと昔から憧れている兄は、常に自分の先を歩き、常に大人で、追いつくことができない。
もしかしたら、今この時も、同じように感じているのかもしれない。
行かないでほしい。その思いを、ヴェルトは知ってか知らずか笑顔で受け止める。例え知っていたとしても、ヴェルトはモニカを諭して先に行く。この兄妹はそういう感じで、きっといくつになっても変わりはしない。
「兄さん、リリィさんを大切にするんだよ!」
「俺がいつ、ポンコツ王女を粗末に扱ったんだよ」
モニカの見送りに、ヴェルトは笑って切り返す。ポンコツ言うな。
モニカは次に私の方を見て、私の手を両手でぎゅっと握った。
「リリィさん。兄さんをよろしくね。こんな甲斐性のない兄さんだけど、兄さんは兄さんなりに誠意を尽くそうとしていると思う。だから、めげずに、頑張って!」
「おい、何の話をしてるんだよ」
「兄さんはわからなくていいの。女子だけの秘密だから! ね!」
「う、うん! 頑張る! 応援してて!」
ちょっとだけ緊張しながら、私はそれだけ返すことができた。
耳が赤くなっている気がする。ヴェルトがどんな表情をしているか気になって、そっと見上げてみると、怪訝な顔をして私のことを見下ろしていた。慌てて視線を地面に落とすと、また顔が赤くなった。
モニカに続いて、村のみんなが口々に応援をしてくれる。ありがとうとか、お疲れ様とか、言葉は違えど、気持ちのこもった暖かくなるエールだった。
「はいはいー。では、そろそろ時間だよー」
名残を惜しんでいた私たちの間を遮るように、レベッカが間に入る。
「いい、二人とも。くれぐれも気を付けて行ってきてね」
「この鷲に乗せるお前が言うのか」
「VIP待遇だって言ったでしょ!」
頬を膨らませるレベッカ。
レベッカはまだ、この村での仕事が残っている。歴史の国とは友好関係を築けた湖の村だが、ヴェルトを襲ったゴロツキを五人も捕虜として捕まえ、歴史の国に引き渡してしまったこともある。教典の国が次にどんなことをしてくるのわからない。レベッカはその脅威からこの村を守る義務はこれからも続く。
「レベッカも、元気でね」
「あたしから元気を抜いたら何が残るって言うのさ」
こんな時でも気さくに笑えるレベッカに救われた気がした。
「では、そんなリリィちゃんに、あたしからの選別だよん。こいつをあげよう」
「選別? なんだろう?」
レベッカは背中に隠し持っていた包みを私の元に差し出して来た。
受け取るとずっしり重い。お弁当箱のようなきれいな直方体がごわごわの藁半紙で包まれ、十字を切るように紙紐で綴じられている。
綴じ印に童話の国の国章を見つけ、私の目の色が変わった。
「おおお! ついに出た! 最新刊!」
「最新刊?」
紐を解いて包みを開くと、私が予想した通りのものが入っていた。
「うん! あひるの王子シリーズの最新刊にして最終巻! ひゃああああ! テンション上がるぅ! アイラブお父様!」
私は首をひねるヴェルトに、まるで天下でも取ったかのように、表紙を見せつけてやった。
『あひるの王子と片翼のドラゴン』
巨大なドラゴンと対峙する一組の男女が描かれ、その上に金色で銘打たれたタイトルが踊っていた。
童話の国の人気シリーズ。その最新刊が、満を持してお披露目となったわけだ。
お父様が作る、童話の国の公式童話。胸ときめく感動をいつも最高の形で届けてくれる!
「これ、もらっていいんだよね!? もう返さないけどいいんだよね!?」
「そりゃそうだよ。リリィちゃんは童話の国の王女なんだから」
鼻息荒くする私に、レベッカが呆れたように言う。発売前に手に入れられる、これぞ王女の特権!
興奮してページをめくり始める私には、もう周りの言葉は届かない。
レベッカがヴェルトの方を向いて改まった。
「じゃ、ヴェルト君にはおねーさんからのありがたーい忠告を一つ」
「なんだ、俺は物じゃないのか」
おどけたように手を広げるヴェルトに、レベッカの身体が急激に近づいた。
そして、囁くような言葉が、淡い唇からこぼれる。
「――リリィちゃんを、ちゃんと守ってね。私はあのとき、守れなかったから……。今回もまた……」
「……どういう意味だ?」
「覚えておいて。――
そして、くるりと回ってさも何もなかったように元の位置に戻った。
「びっくりした。兄さんとレベッカさんがキスしたのかと思った……」
すべての声を遮断していた私だけれど、今の発言に問題があったことだけは、本能で感じ取れた。
「なに? 今、何が起こった?」
「んー、怒らないでよリリィちゃん。あたしは何があってもリリィちゃん一筋だからね! ちょっとヴェルト君をつまみ食いしたとしても、最終的にはリリィちゃんのところに戻ってくるよ!」
「おかしい! 今いっぱいおかしい単語が混ざってた!」
ぶうと頬を膨らませると、レベッカは楽しそうに笑った。
私の嫉妬が、嬉しいのかもしれない。そう思われるのも癪なので、私はすぐに平然とした顔を作り直した。
「行ってらっしゃい」
とレベッカが言う。私は機嫌を直し力強く頷いた。
「行ってきます!」
エンシェントイーグルの羽ばたきが木霊する。
砂埃を巻き上げて、視線が高くなっていく。背中に括りつけられた乗り籠から身を乗り出して、私は力いっぱい手を振った。レベッカの顔が、モニカの顔が、次第に小さくなっていく。
私はこの村に来てまた少し大人に近づいた気がする。相変わらず感情のコントロールは下手で、込み上げて来る別れの辛さは隠すことはできなかったけれど。それでも、この別れは新たな出会いの始まりだと信じて、私は未来を見つめる。
「ヴェルト」
「なんだ?」
「いい村だね」
童話城の大広間でヴェルトが村の窮地を語ってから一年。
湖の村には一つの決着がついた。
あの時は、名前すら聞いたことのない辺境の地という認識なかったけれど、今は違う。
もう一度行きたい、ううん、帰りたいと思える場所になった。
私は、ヴェルトと、ヴェルトの故郷に立ち寄れて、本当によかったと思う。
私のセリフが意外だったのか、少しの間目を丸くした後、あぁ、と大きく頷いた。
「いい村だろう。自慢の村だ。俺が救った、自慢の村だ」
ちょっぴりの名残惜しさを引きづったまま、私たちは一路東を目指す。
ヴェルトの村に負けない、私の故郷に帰るために……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます