第240話 誰もが幸せになる最善策 その④
「アルトゥールの!?」
「永久出版権!?」
注目を掻っ攫ったアルトゥールは、何故か座り込み顔を抑えてうずくまっていた。その耳が先っぽまで真っ赤である。
「こ、こここ、このタイミングで、ぼぼぼぼ、僕にボール投げるんですかっ? やめてやめてっ! いや、話の流れから、そうなるんじゃないかって、薄々わかってはいたけれど。でもっ! 僕、そんなすごい人じゃないし、褒められると恥ずかいし、うわぁ、逃げ出したいぃ!」
「あ、アルトゥールって、歴史の国の革命家なんじゃ……」
それがどうして童話を作りだす原石と呼ばれるのだろう。あの胸躍る興奮を作り出したのが、私よりも幼い気弱な少年だったなんて、信じられない。
「その童話をその子が書いたって言う証拠はあるの?」
「俺たちは家の庭の納屋でおびただしい数の殴り書きを見つけた。モニカがアルトゥールを匿っていた頃の話だ。この童話の筆跡は、あの納屋にあった落書きと酷似している」
ヴェルトは懐から折りたたまれた紙を取り出すと、開いてテーブルの上に置く。ギールが手にしていた童話を横に並べ、ふむと唸る。
「確かに似ておる」
「でもヴェルト! あそこにあったのは国民を洗脳するための扇動文だったんだよ? 怪しいことがいっぱい書いてあった!」
「それは俺たちが先入観を持ってあれを見ていたからだ。スポットライトの当て方は、価値観によって簡単に変わってしまうものさ。――アルトゥール」
「は、はいぃ」
唐突に呼ばれたアルトゥールは、背筋をピンと伸ばして折り目正しく返事をした。
「お前は何故、革命家だなんて呼ばれるようになったんだ?」
「それはそのぉ、僕の書くお話が、歴史の国の理想を否定しているとおっしゃられまして……。突然だったんですよ? 家に騎士様が兵士を連れてやって来て、お前は革命家だ! って決めつけられて……。あ、僕、歴史の国では、首都であるゼロイチ街に姉と二人で住んでいたんです。まぁ……、端っこの端っこで、スラム同然のところでしたが……」
「身の上は話はいい。歴史の国の理想を否定していると言ったな。彼の国の理想とは一体なんだ」
眼鏡の奥の鋭い視線で突き刺すように、シューゼルが言う。
アルトゥールは視線から逃げるようにモニカの後ろに隠れながら、それでも答えを返した。
「あ、あの人たちが大切にしていることなんて、ひ、一つしかないじゃないですかぁ。有史以来連綿とつづられてきた歴史の国の『歴史』、ですよぉ。僕の罪は『過去の否定』、といったところですぅ」
「過去の否定!?」
シューゼルが驚く隣で、私はああなるほどとようやく合点がいった。
彼の書いたという『時間旅行』は、これまで起ったことをやり直すために、過去に戻る物語だ。自分の刻んだ歴史をなかったことにするための旅。
今があるのは歴史を築いてきた人々あってこそだ、という思想を掲げる歴史の国にとって、タイムスリップは極めて高度な政治的問題となりうる……。
それが例え、空想のお伽噺だとしても……。
生前のガロンと親交のあったレンテという人物の話を、私はガロンから聞いた。
レンテもまた、歴史の国最大の禁忌である親殺しを行い、国を追われた。自分を生んだ人間を否定する行為。歴史の国はこと『歴史』に関してだけは、病的なほど徹底している。
紡いできた歴史が財産であり、すべて正しかったのだと肯定し続ける歴史の国。そんな縛りに窮屈を感じた少年が、周囲に溶け込めず犯罪者扱いされ、命からがらここまで逃げて来た……。平和な童話の国の国民からしたら、どちらが思想犯なのかわかったものではない。
親殺しのレンテも、童話の国では英雄として受け入れられていた。イバール騎士団長の言葉ではないけれど、生まれる場所を間違えた、ということなのかもしれない。これも向こうの人たちに言わせれば、『過去の否定』になってしまうのだろうけれど……。
多くの不幸が絡まり合って、アルトゥールが書いた童話は、危険思想として認定されてしまった。童話の国で受け入れられ、もて囃され、慕われ、求められる童話も、場所を異にすれば、犯罪の証拠となってしまう。人が決めた世界という奴は、徹頭徹尾理不尽だ。
「ほ、本当に、お主が書いたのか……?」
まだ信じられないというように、ギールの骨張った手をが伸びる。
「だから言ってるじゃないですかぁ。僕が書いたんですよぉ。モニカさんに拾ってもらって、本当に申し訳なくなって迷惑かけちゃいけないと思ったんです。でも、溢れる物語が止められなくて……」
「そうだった。アルティ君はね、憑りつかれたようにテーブルに齧りついてた。事情は聞いてなかったけれど、私、あの必死な姿勢を応援したくなって、それで……」
モニカはあの納屋を提供したのだろう。平和なヴェルトの家に突如として現れた特異点。私たちが不気味に感じたのは、きっと彼の類まれなるこだわりゆえだ。
「モニカさんによくしてもらっていたけれど、数日してモニカさんの兄だという人が帰って来たんです。ぼ、僕は追われている身だって、説明はしてあったからもう厄介になるのはやめようと思ったんですけど。それでも、モニカさんは構わないって言ってくれて……」
「放り出すなんてできなかった。半月ほど一緒に過ごしてみて思った。彼は何も悪いことはしてないって。何かの間違いか、勘違いだろうって。どうにかしなくちゃとは思っていたけれど、答えが出る前に アルティ君が捕まっちゃってさ」
「僕は、自分はどうなってもよかったけれど、モニカさんとクリフさん、それから、あの童話だけは絶対に守らなきゃって思ったんですぅ」
そうして、モニカの本棚に、一つだけ異質な童話が紛れ込んだ。彼の才能を存分に吸収した未完の作品。『時間旅行』はそのタイトルの通り、時間を経てアルトゥール自身の元に戻って来た。
「少年、今でも続きが書きたいかい?」
レベッカが問う。
「も、もちろんですよぉ。そんなこと、お姉さんに言われるまでもなく、ほら」
アルトゥールは、小さな掌をみんなに見えるように広げた。人差し指と中指、それに親指の付け根に、堅くなったペンだこが出来ていた。けれど、驚いたのはそこではなく、人差し指の先端には真新しい擦り傷がたくさんできている。
「僕、どうしても書きたかったんですぅ。兵隊さんに、紙とペンだけでもくれないか聞いたんですけど犯罪者だからダメって言われて……。だから、牢屋の壁に、書いてたんです。血で」
「血って……。その傷、自分でつけたの!?」
私は信じられない思いでその傷を見た。
縦に横に無数に引っかかれた指先。硬い石の壁に、自らの血をインクとして、書いていたというのか……。凄まじい覚悟と信念だ……。いや、違うのかもしれない。私はアルトウールの顔を見て思い直した。
書かなければいけないという責任なんかじゃなくて、ただ一心、書きたいっていう気持ちが彼を動かしていたんだ。誰に強制されたわけじゃなく、彼にとってそれが楽しいから、それ以外のすべてを犠牲に出来るから、ずっと童話を書き続けていた……。
才能とは恐ろしい。
「どうだ、レベッカ。これでもまだ、キャメロンで奪い取った俺の思い出の方が欲しいと思うか?」
「……。ギール。どう思う?」
「軍隊長の思うままに」
レベッカの片腕は、恭しく頭を下げる。
誰の思い出も奪われることなく、湖の村が童話の国の庇護下に入れて、悲運の童話作家は適地を見つけられる。童話の国は、一発屋ではない童話資源を手に入れることができ、国民は新しい娯楽に胸躍る。
文句のつけようがないハッピーエンドだ。
あとは、レベッカが首を縦に振るだけ。
お願い、レベッカ。私たちの思いを汲み取って……!
「……」
「レベッカ!」
私は両手を合わせて祈りをささげた。教典の国の人たちが言う神様にではない。童話を信じるすべての人に……。
「なるほどのう。面白いことを考えたものじゃな、リリィ」
膠着した執務室に、その声は突然響いた。
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