第215話 覆水盆に限らず大作戦

 激しい音を立ててドアが閉まる。その音を聞いてすぐ、モニカが飛び込んできた。


「リリィさんっ!」


 モニカは私の首元に抱き着くと、大声をあげて泣き出した。その涙が、誰に対してのものなのかわからなかったけれど、悲痛に満ちた叫びは私の涙腺にも共鳴して、せっかくせき止めていた大量の涙が溢れ出してしまった。


「リリィさん、リリィさん、リリィさん!」

「モニカ……。ごめん……。ごめんね」

「頑張った! リリィさんは頑張ったからっ!」


 頑張った。そう言われるだけで胸が苦しくなる。

 怖かった。苦しかった。ヴェルトにあんな目を向けられたことなんて一度もない。本当に、本当に、怖かった……。恐怖が、今頃になって追いついてきた。

 でも、やりきれた。


「こ、これくらい、想定通り、だから」


 震える顎で、何とか強がって、引きつった笑みを浮かべる。

 モニカもヴェルトも、私が感じている恐怖や悲しみ以上のものに晒されているのだ。私がこれしきの事で怖気づいてどうする。

 私はぎこちないピースを作った。


「わ、私の作戦は、せ、成功した、よ!」

「うん。うん! 兄さんも、完璧に騙されていた! ありがとう、リリィさん!」


 兄さんと、モニカが呼ぶ。

 モニカの思い出はキャメロンで奪われていない。モニカの中で今も息づいている。

 ヴェルトに嘘を吐く。

 それが私が打ち出した、モニカとヴェルトを守る作戦だった。




「兄さんを、」

「騙すだぁ……?」


 モニカとガロンの声が重なった。

 私は自信を持って頷いた。


「モニカの記憶をすでに回収したことにするの。――もちろん、ヴェルトだけじゃないよ。レベッカも、シューゼルも、村のみんなと童話軍の兵士たちも欺かなくちゃいけない。題して、覆水盆に返らず大作戦!」


 昨日の夜、モニカの思いを知って打ち明けた、私の作戦。

 モニカの記憶を残したままにするにはこれしかないと思った。ただそれには、私が嫌われ役をやらなければならないという大きな問題があったのだ。

 ヴェルトの思いを台無しにして嫌われる。モニカのせいで、私の中で膨らみ始めていた恋心に気付いてしまった今、それは本当に辛い選択だった。


「いい、モニカ? ヴェルトの記憶をモニカから奪い取るには、このキャメロンっていう魔法具が必要なの。キャメロンは、契約した人間の記憶を向けた相手から奪い取る童話の国の秘宝。童話の国は、何人かの旅人に同じような責務を課して、童話の原石を集めているの」

「ちょ、ちょっと待って、リリィさん! 情報量が多すぎる」


 混乱するモニカに、私は懇切丁寧に説明した。教えていいのかよとガロンは言ったけれど、事ここに来て、モニカが知らない方が可哀想だ。


「はい。飲み込んだ」


 私の拙い説明も、一通り話すと受け入れてくれる。ヴェルトと一緒で察しがいいのだ。


「ヴェルトもこれを使ってモニカの記憶を奪い取ろうとしている。でも今、キャメロンは私の手の中にあるの」


 私は、キャメロンの上部を擦ってやる。ガロンが変な声を出したからすぐに手を引っ込めた。


「これはチャンスだと思わない? 私たちは簡単に捏造ができる」

「捏造?」

「そう。つまりね、ヴェルトがモニカに接触するよりも先に、私がモニカの記憶を奪い取ったことにするの。そうすれば、ヴェルトがモニカの記憶を奪い取る必要はなくなるでしょ?」


 自信を持った案だったんだけれど、二人の反応は芳しくなかった。


「いやいや、嬢ちゃん。それはいろいろ無理があるだろ。原石を取り出すとき、必ずバレるぜ? そんな嘘」

「そうだよ。あの勘の鋭い兄さんを、私、騙せるかどうか……」

「原石を回収するときにバレるのはいいの。そこは私がお父様に直談判する。何なら、この私の考えた嘘の物語を使った童話を書いてってお願いする」


 それでお父様が許してくれるかは、正直分からないけれど。でも、王女である私には私にしか切れない切り札がある。一生に一度、それこそ人生を変えてしまうかもしれない切り札だけれど、それを賭けられるくらいに、私はヴェルトもモニカも好きなのだ。


「だから、心配するのはこの村にいる間だけでいい。この村にいる童話軍の人たちに、ヴェルトの責務が終わったと思わせることができれば、勝機はあると思うんだ」

「それで、ヴェルトまで騙すのか?」

「だって、絶対乗ってこないでしょ、ヴェルト」


 ヴェルトの性格を熟知している二人は、当たり前のように黙り込んでしまう。


「兄さんなら、論理的で筋の通ったことしかしない……」

「そうだったな……」


 認識はどうやら三人とも同じのようだ。


「俺様は反対だぜ? どう考えたって、嘘を突き通せる気がしない」

「却下」

「私も気乗りしないよ。兄さんもレベッカさんも鋭いし」

「ヴェルトの記憶が奪われちゃってもいいの?」

「それは、できればそんなことされたくないけれど……」

「ヴェルトとの関係はリセットされちゃうかもしれないけど、モニカの記憶が奪われることはなくなるんだよ。ヴェルトに助けられて、憧れた思い出は、これからもずっと、モニカの中で育てていける」

「……」


 失ったものは取り戻せない。失わなければどうにかなるものだ。

 私は知らずのうちにお母様のことを重ねていたのかもしれない。物心つく前にあちらの世界に旅立ってしまったお母様。会いたかったし話してみたかった。けれどそれは、もう叶えられない願いなのだ。モニカには、そんな思いをしてほしくない。忘れてしまえばそんな感情すらわかないのかもしれないけれど、ヴェルトがいたという事実は消えるわけじゃない。


「モニカ」

「……わかった。やろう、リリィさん」

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