第214話 私とヴェルトの戦場 その②

「冗談じゃないよ。私は童話の国の王女だけど、ヴェルトのパートナーだよ。ヴェルトが苦しんでいたら、その不安の半分くらいは肩代わりしてあげたい。今回ヴェルトはずっと辛そうだった。この村に来た時からじゃない。前の梢の街でもずっと考えてたでしょ? 気付かないと思ったの? 気付いてたよ。ヴェルトはずっと辛そうだった!」

「…………」

「だから、変わってあげた。ヴェルトにとって、モニカは失いたくない相手なんでしょ。でも記憶を奪い取らなければいけない。自分で手を下さなければいけないのが辛いなら、その部分だけでも私が変わってあげる!」

「……本気で、言っているのか?」

「本気だよ! こんなこと、冗談でもいうわけないじゃん!」


 目に力を込めてヴェルトを見る。半信半疑というところかな。


「……確かめて来る」

「えっ、ちょっと……」


 リビングに入ることなく、踵を返すヴェルトの背中に、私は慌てて手を伸ばした。けれど、それより先に、しわがれた声がヴェルトの歩みを止めさせた。


「……本当だぜ」

「ガロン?」


 振り返った先には、黒光りする童話の国の魔法具が置いてあった。


「嬢ちゃん、やりやがった。昨日の夜だ。妹と何やら話し込んでると思ったら唐突に部屋に戻って来て、俺様を抱えてまた戻って。んで、カシャリ、だ」

「ふざけてるのか!?」

「ふざけてねぇ。断じてな。飄々としてる俺様でも、分を弁えるときってのはあるんだ。嬢ちゃんの覚悟を聞いて、俺様も賛成した」

「……」


 ドアノブに手をかけたまま、それ以上動けないでいた。

 きっと今、ヴェルトの頭の中ではせめぎ合っているはずだ。その事実を受け入れられるかどうか。

 ヴェルトは、頭を抱える。


「……ちょっと待ってくれよ……」

「ヴェルトと妹のことを一番に考えていたのは、嬢ちゃんだったのかもしれねぇな」


 しみじみというガロンの声には重みがある。普段チャランポランタンなガロンだからこそ、事の重大さが際立つというものだ。


「それじゃ何か? 俺に黙って、俺とモニカの問題を終わらせたってのか……?」

「うん。私が、終わらせた」


 はっきりと言い切った。

 その瞬間、ヴェルトが動いた。

 鬼のような形相。大股で歩いて来て、私の胸ぐらを掴むとグンとヴェルトとの距離が近くなった。突然の暴力に、私は思わず目を合わせてはいられない……。


「俺の気持ちはどうなるんだよっ!」

「い、痛い……」

「たった一人の家族なんだぞ! 言いたいことだって、話したいことだって、まだたくさんあった! 聞きたい話だって、まだたくさんあった! あいつの気持ちだって、聞きたかったんだ! 何勝手に人の家族を終わらせてんだよ、ふざけんな、リリィ!」

「……モニカ、は、納得……」

「あいつだけ納得すればそれでいいのか! 童話にすりゃ、モニカの気持ちだけが重要なのかもしれねぇが、これは現実なんだぞ! 俺の思い出にだってモニカはいる。モニカの思いは童話になった後に知ることができても、俺の思っていることは、もう二度と、あいつに伝えられねぇじゃねぇか!」

「おい、ヴェルト。やり過ぎだ」


 荒い息。見たこともない鋭い表情。呼吸が苦しくなった頭で見上げるヴェルトは、怖かった。

 怒ってる。そうだよね。怒るよね。そんなことされたら、私だって怒る。受け入れられなくて、暴れて、自暴自棄になって。全てを拒絶したくなる。

 ヴェルトがどう思うか。考えていないわけがない。これは二人の問題で、二人の納得がなければ終われない。一方的に奪われたヴェルトが、どんな気持ちになるか、考えないわけがない。

 でも私は……。

 それでも私は……!

 モニカの記憶を奪い取った。

 ガロンの声にハッとして、ヴェルトが私の首元を掴んでいた力を緩めてくれた。足に力が入らなくて、身体を支えられずソファーにころりと崩れ落ちる。ようやく呼吸を再開した胸が、けほけほと乾いた息を吐き出した。


「……ずっと考えてたんだ」


 一転して冷たさを帯びたヴェルトの声が言う。


「リリィの親父にこの責務を言い渡されたときからずっと。この旅の目的が童話の原石の回収である以上、最終的にたどり着くのはモニカだって……。その時、俺がどうするのか、ずっと考えていた。迷っていた……」

「……」

「整理して、区切りをつけた。モニカのことを考えて、俺が一番納得する方法を取ろうと思った。モニカから一方的に奪い取るのは論外だ。お互いにとって、これが最善であると認識できて、初めて行動に移す。そう決めた」

「……ヴェルト」

「なのに……。踏みにじりやがって……っ!」


 ヴェルトの震えた言葉が胸を締め付けた。

 ヴェルトはモニカのことを思っていた。大好きな妹のことを、私やモニカが考えているよりもずっと強く。いつかヴェルトが言っていた。モニカは生まれた時から俺の妹なんだ、と。妹でなかったときは一度もない、と。いろいろな別れを経験してきたヴェルトだからこそ、村で帰りを待つモニカの存在がひと際輝いていたのだろう。

 締め付けた想いは、喉にまでせり上がって来て、私から言語を奪い取った。


「……っ。ごめ……」

「……あぁ?」

「ごめん、なさい……。ごめんな、さい……。ごめんなさい……」


 代わりに口を突いたのは謝罪の言葉。

 苦しい。苦しすぎる……。ヴェルトの気持ちを思うと、その理不尽さで息ができない。

 私は、馬鹿なことをした。その責任が重圧となってのしかかって来て、思わずごめんなさいが出てしまった。一度出てしまったら止められない。溢れかえった悲しい感情は、私の全身を支配して、ごめんなさいを吐き出した。


「ごめんなさい……っ」

「くそっ! 泣けばいいってもんじゃ……」

「ごめん……なさ……っ」


 その時、廊下の向こうで物音がした。


「あの……? どうか、したの?` リリィさん」


 ハッとして顔を上げると、リビングのドアからモニカが覗いていた。不安そうな`瞳が私を見て、そしてヴェルトの後ろ姿を捉える。


「あの、凄い声が聞こえて、気になって……。リリィさんのお友達、でしょうか?」


 お友達……。

 モニカの声でその言葉が出た時、ヴェルトの全身に力が入るのが分かった。


「私の家なんです。どんな理由があったか知りませんが、もう少しボリュームを下げていただけませんか? とても込み入っているのはお察ししますので……」


 遠慮がちな否定。

 見上げると、ヴェルトは唇の端を噛んで必死に耐えていた。


「……すまねぇ。邪魔した」


 私のことを見ることもなく、ポケットに手を突っ込み、猫背のままリビングを出て行く。モニカの横を通り過ぎるときも、顔は上げなかった。

 追いかけた方がいい。そう思ったけれど、私もいっぱいいっぱいで動けなかった。

 玄関からモニカの声だけが聞こえて来る。追い出したみたいですみませんというセリフが妙に頭に残った。またいらしてくださいとも言っていたけれど、ヴェルトに届いたかはわからない。

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