第205話 摩擦

「……そんな、ブス、知らないですぅ……」


 澄んだ湖に一石を投じるような声が緊張を破った。

 声は視線よりもずっと下、足元から聞こえた。


「あ、アルティ君……?」

「アルティ君とか、な、馴れ馴れしいですぅ。僕は、こんな人、見たことも聞いたこともないのに……。正義の味方にでもなりたいんですかねぇ。滑稽滑稽」

「ちょ、ちょっと……」

「匿われていた? 冗談じゃないのはこっちですよぉ。僕はずっと、この森の中で、身を潜めていたんですからぁ」

「何言ってるの! 隠すことなんてない。私たちは、正しいことをしていたんだから」

「一緒にしないでくださいぃ。め、迷惑なんでっ」


 ぷいっと顔を背ける。その姿に唖然として、モニカは次の言葉を失った。

 アルトゥールがモニカのことを知らないと言った。それはつまり……。


「あれあれ? 矛盾しちゃったよ。おねーさんよくわからないや。えっと、えっとぉ?」


 芝居がかったレベッカのセリフ。

 モニカを、庇っているの……!?

 ヴェルトの顔を見ると、静かに目を閉じていた。


「レベッカともあろう人が、状況を正しく理解していないとは嘆かわしいのう。そんなことではわしに再び団長の座を奪われてしまうぞ? ――つまり、モニカ殿の勘違いで、モニカ殿とこの大罪人は無関係だったということじゃろ?」

「あぁ、なるほど! わかりやすいね、ギール」


 レベッカもギールも、茶番に乗った。


「そんな! 何言ってるの!? 義理なんて立てなくていいから! 私は、あなたの世話をした! それは事実!」

「お、押しつけがましいんですよぉ。嘘つきのくせにぃ。第一、世話にすらなっていない人間に、義理なんて立てるわけがないじゃないですかぁ」

「アルティ君!」

「モニたん」


 レベッカがモニカの肩を叩く。


「わかったでしょ? モニたんはきっと、人違いをしているんだよ」

「……」

「ど、どっちみち、僕に明日がないのなら、早く連れて行ってくださいぃ!」


 レベッカは、アルトゥールの要求通り後ろ手に手錠をかける。アルトウールは抵抗しなかった。崩れ落ちたモニカの方を見向きもせず、運命を受け入れたような顔をして連行されていった。

 ぽたりぽたりと落ち葉を濡らした清らかな雫が、乾いた地面に吸い込まれて消えていく。

 アルトゥールは、世話になった義理を返した。そのための茶番を提供し、レベッカ達はそれに乗った。モニカを犯罪者に仕立てるのは、アルトゥールも含め、誰の本位でもなかったから……。

 アルティ君、アルティ君。握った拳で地面を叩き、悔しさを隠そうとしないモニカはとても強い。クリフが肩を抱き、抱えられるように戻っていくモニカの後ろ姿を見て、私も胸が痛くなった。

 世界は理不尽でできている。




 白昼の大捕り物はいろいろな人たちの想いと引き換えに収束した。

 けれど、人の感情はそう簡単に整理できるわけもなく、この後起ったそれ以上の問題の勃発をここにいる誰も防ぐことはできなかった。


「おい、シューゼル!」


 童話軍に続いて現場を去ろうとしていた村の長に向けて怒号がとぶ。


「……それで、終わりなのかよ!」


 驚いて振り返るとクリフがモニカの肩を抱いてシューゼルを睨みつけている。その形相は悪鬼の如くひん曲がっていて、身の危険を感じて私は思わず一歩距離を取った。


「終わり、とは? 騒動は終息した。歴史の国との交渉を整える必要があるから執務に戻るだけだ」

「わかっちゃいねぇ……。全然わかっちゃいねぇなぁ!」

「やれやれ。気でも狂ったか? よもやあの革命家にあてられたわけではあるまいな」

「馬鹿言ってんじゃねぇよ、馬鹿兄貴っ!」


 着ていたジャケットをモニカの肩にかけ、クリフは大きく強く足を踏み鳴らした。


「モニカが、傷ついてんだぞ! 言葉の一つもねぇのかよ! 村の為に、モニカの気持ちは踏みにじられたんだ! わかってんだろう! 童話軍の奴らならいざ知らず、村を引っ張っていく立場にいる兄貴が、村人を蔑ろにしてんじゃねぇ! そう言ってんだよ!」

「……」


 責めるような言葉に、シューゼルはわずかに表情を歪めた。


「私はモニカ君を買っている。今のやり取りの重要性を理解できないわけがないし、これくらいでへこたれるような女性でもない。今はただ、感情が高ぶっているに過ぎない。俺の助言なんてなくたって、明日になれば立ち直る。そうだろう?」

「モニカだってなぁ……」

「クリフ。お前に聞いてるんじゃない」


 シューゼルは顎でしゃくった。その問いはモニカ本人に投げたというように。

 虚ろな目を向けるだけで精いっぱいのモニカは、返事をしない。


「結果として村が豊かになる。平和な未来を目指すのが俺の仕事だ。お前も村の役職の末席を穢しているのなら、マクロな視点で状況を見ろ、クリフ」

「なんだとぉ!?」

「それに、守られたのはお前も同じなんだぞ? 村の脅威を匿っていたなど、自警団の団長として一番やってはいけないことだろう。俺にならともかく、村に対して重大な隠し事をしていた。その罪の重さを噛みしめろ」

「おい、シューゼル。その辺にしておけよ。クリフも冷静になれ」


 見かねたヴェルトが仲裁に入る。


「言い争っても、何も変わらない」


 兄弟喧嘩。二人の様子から、こういうことは昔からよくあったのだろうということが想像できた。ヴェルトの対応も、手慣れていて、ほっと安堵が口からこぼれる。私なんかが間に入ったら、嵐に舞う一枚の落ち葉のようにあっという間に吹き飛ばされてしまっただろう。

 やっぱり文句はいっぱいあるけれど、ヴェルトは頼りになる。冷静になって、お互いに矛を収めてくれる。

 と、思っていたのだが……。


「隠し事をしてんのはお互い様じゃねぇか!」


 クリフがなおも吠えた。拳こそ構えていないけれど、その怒気はもはや獣のそれだ。いつ殴り掛かってもおかしくはない。

 シューゼルの眉が歪む。


「ん? 何のことだ?」

「とぼけて無駄だ。俺は聞いた」

「待て。本気で心当たりがない。言いがかりでケチをつけられたらたまったものではない」

「……っ!」


 クリフの怒りがついに怒髪天を突いた。


「ああそうかい。ああそうかい! そこまで白を切るって言うなら、ここで明かしてやるぜ!」


 大きく息を吸い込む。

 訪れた静寂の中で、モニカの小さな悲鳴が微かに聞こえた気がした。

 クリフは言い切った。


「村のためにモニカの記憶を奪い取るってぇのは、一体どういうことだ!」

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