第201話 胸に芽生えてしまったふわふわした気持ち
「兄さん、リリィさんのこと好きだと思うよ」
「――――――――――っ!」
好きだと思うよ。思うよ。……。
童話の中でしか聞いたことがない特別な言葉が、頭の中でリフレインして渦を巻く。
少し遅れてかーっと顔が熱くなってきた。耳の先まで血液が沸騰してしまってないかな。大丈夫かな?
ていうか、ちょっと待って。ちょっと待って!
革命家を匿っている理由について、シリアスな話を聞かされると構えていた脳がストップをかける。
「い、いったい、何の話をしようとしてるの……?」
「そりゃ、女子が二人集まれば、ねぇ?」
ねぇ? って聞かれましても……。
モニカは何もない天井を見上げて、「そっかぁ、兄さんの片思いかぁ」と呟く。
「私はリリィさん大歓迎なんだけどな。――ねぇ?」
垂れた前髪に隠されて、世界のすべてが床と足だけだった私の世界に、突如モニカの顔が侵入してきた。
「リリィさんはどう思ってるの?」
「ど、どうって?」
「好きかどうかってことだよ!」
「好きぃっ!?」
私は再び頭を振って、今度はモニカから少し距離を取った。
「そ、そういうのは、もっと大人の人たちがするべき、じゃないかなぁ。私は王女だし、まだ十五歳だし。私にはまだ早いっていうか……。うん! 私は童話をもっと読みたいし、その恋とか……」
言いながらまた顔が赤くなっていくのが分かった。
何を言っているのだ。何を言わせるのだ! 恥ずかしいっ。
やっぱりこの人はヴェルトと血が繋がっている。私をからかって面白がっているに違いない。
私が、ヴェルトを好き? そんなことがあるわけないじゃん。
ヴェルトは私の旅の連れで、それ以上でもそれ以下でもないんだから。
両手を伸ばして否定すると、不思議と胸が痛んだ。
「なーんだ、残念。あわよくば玉の輿を狙えて、私も王族の仲間入りができたのに。どうしても、ダメ?」
「ダメダメ! ヴェルトってば、私をからかっていつも楽しんでるんだよ。私が困ってるのを見るのが好きなの。私の童話愛をいくら語っても受け流すし、童話が買いたいって言っても、お金がないって言って買ってくれないこと多いし。私のことをすぐにポンコツ王女って呼ぶし。私だって成長してるから、もう童話城を出たばかりのなんちゃって王女じゃないのにね。ホント失礼」
「ははは。とんだ旅の連れだ。私からも兄さんに言って聞かせておかないとね」
「そうそう! モニカからも言っといて! 私がいかに素晴らしい人間なのかを!」
ヴェルトのいいところは全然出てこなかったのに、悪口を言おうとしたらいくらでも口から出て来た。
やっぱり私はヴェルトのことが好きじゃない。いや、好きではあるけれど、そういう意味の好きとは違う。うんうん。そう言うことだよ、きっと。
気が大きくなった私は、柄にもないけれど、切り返してみることにした。
「ねぇ。モニカはどうなの? クリフといい感じなんでしょ?」
「お、それ聞いちゃう?」
「あ、えっと。ダメなら別に言わなくてもいいんだけど……」
「なんでよ、聞いてよ! こういうのはフリも大事なんだよ。引き下がらないでって」
身を乗り出すモニカの姿は随分子供らしく見えた。フリフリの寝間着を着ていることもあって、この空間にいるとモニカがお姉さんであることを忘れてしまう。
私はこっそり息を吐き出した。いい感じで矛先を変えられた。
「いい奴なんだよねー。見た目に反して、目がくりくりして可愛いんだ。身体は大きいくせに気が小さくて、小動物みたいにそわそわしてるの。頼りにならなくて、不器用でさ。ほら、兄があのシューゼルでしょ? 小さい頃からそれがコンプレックスだったみたいで、追いかけても追いかけてもたどり着けなくて、たまに自暴自棄に陥ったりするんだよ」
「……んー? いいところ、ほとんどなかったような?」
私の頭は自然と傾いていた。
少なくとも、私なら好きにならないようなエピソードしか出てこなかったぞ?
「そんなことないよ? 自分に出来ることはないかって悩んで、自警団の団長にまでなったし。十回に一回ぐらい頼りになる様な気がする言葉を言ってくれたりするしね。落ち込んでても、私がお尻叩けば、一瞬で復活するのもいいとこでしょ? 一年中汗臭くて、オシャレに気を使わないのはマイナスポイントだけど、人間欠点があった方が安心するし」
「うーん。そうかなぁ」
モニカはクリフのことが好きで付き合っているんだよね? あれ? その前提から違うの? モニカの口からは悪口ばかり出てきているような気がする。
ベッドから伸びた足をぶらぶらさせながら、モニカは言う。
「ま、思い出すと文句ばっかり出てくるってことが、好きってことなのかもね? 文句が出ても、結局それを受け入れられているわけだからさ」
「聞いてみてもいい?」
「どうぞ?」
「モニカは昔、クリフに、その虐められてたって聞いた」
私は上目遣いに、モニカの反応を伺う。
「その辺は、何もないの?」
モニカの態度は何も変わらなかった。小さく笑って、腕に抱えた枕をギュッと抱きしめる。
「ない、わけじゃない。けど、気にしないよ。――私、クリフに頬を叩かれたり髪の毛引っ張りされたんだよね。その時は痛かったし、すごく怖かった。……でも、今じゃそれも子供の悪戯だって思えるの。あっちはまだ気にしているようだけど。そうやって胸の内をぶつけ合ったことがあるから、安心できるのかもしれないね」
ふーん。そんなものなのかな……
喧嘩して仲良くなって、そして新しく前に進む。童話でよくあるシチュエーションであるけれど、現実でも、そんなドラマティックなことが起こるのかな? 十五歳の世間知らずの王女様じゃたどり着けない境地なのかもしれない。
あれ? でもさ。
その人のことを思うと、文句ばかり出て来ることが好きってことなら、私のヴェルトに対する思いは……?
私をからかって楽しんで、そのくせ私の話は聞き流して、ケチで、私の成長を認めようとしない。そんな風に、私はヴェルトのことを思っていた。
口には出さなかったけれど、それでもヴェルトといるのは楽しい。これまでの思い出がとても大切で、これから先もいっぱい楽しい時間を過ごしたいと思っている。
私は、ヴェルトのこと……。
――遅いぞ、ポンコツ王女。
呆れたように笑うヴェルトの顔が唐突に脳裏によぎり、ドクンと、心臓が大きく跳ねた。
「ん? どうかした、リリィさん?」
「な、何でもないよ!」
口をギュッと結んだ。そうしていないと、胸に芽生えてしまったふわふわした気持ちが溢れ出してしまいそうな気がした。
なんだ!? 今私は何を思った……!?
隣に座るモニカにバレないように胸を押さえた。命の鼓動がとても速くなっている。
……い、いや違う。断じて違うっ!
生まれた感情を必死になって否定する。
私がヴェルトに、なんて、絶対におかしいっ! これは何かの間違いだ!
モニカは気にした様子もなく、引き続きクリフの残念ポイントを楽しそうに語り続けた。足が臭いだの、口が臭いだの、結構散々なことを言っていた気がするけれど、残念ながらもう何も耳に入っては来なかった。
どうしよう。私、ヴェルトのことが好きなのかもしれない……。
言葉にして、実感が津波のように押し寄せて来た。心を満たす暖かい感情の洪水が、私の理性を溶かしていく……。
おのれモニカめ……。クリフを揶揄する軽妙なトークが、今は少し恨めしい。
私は複雑な思いを抱えたまま、夜が更けていくのを待った。
モニカの愚痴と、私の動揺のせいで、結局歴史の国の思想犯の話は聞けずじまいだった。
……まぁ、そんな後悔が出来てのも、次の日の朝を迎えた後だったわけだが……。
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