第十章 湖の村のモニカ

第180話 風雲急を告げる

「それでね、私がこう、これっくらいの壺を持ち上げて、えいっ! って言ってカラテアに投げつけたんだよ。ただの壺だよ。私の力だから全然スピードも出なくて、誰でも躱せる攻撃だったんだけどさ、でも、それにはちゃんと意味があったの!」


 真っ赤な五本指の葉っぱの絨毯を踏みしめながら、私たちは湖の村を目指している。

 季節は移り落ち葉が増えた分、山は丸裸になってちょっぴり寒々しい。健気な木々はそれでも堂々と地に根を生やし、力こぶを誇示するように青空に向かって胸を張っていた。

 肩には寄り添うリスの姿も見える。枝を器用に渡りながら、口いっぱいに木の実を頬張り仲間の元へ帰っていく姿を見ると、あぁもうすぐ冬なんだと実感する。去年は暖かな童話城の自室でぬくぬくしていた私にとって、試練の季節が目前に迫っていた。


「そう! 私は童話の中のガルダナイトを信じてたんだよ!」


 代り映えしない景色を彩るための冒険譚。

 私は、前を歩く二人の同行者の背中を見つめながら、ガロンにあの病棟で起こった不思議な出来事を語っていた。

 ぐっと両手を握ると、あの時の高揚感が胸の内に燃え上がってくる。口は私の意志とは関係なく回る回る。


「じょ、嬢ちゃん。ちょっと休憩しようや。聞き疲れちまったぜ」

「えー。ここからがいいとこだったのにぃ。ガロンは童話を読むとき、物語の佳境で一旦休憩を入れるの? 入れないでしょ。そういうこと」

「おい、前の二人も聞き役になってくれよ。俺様一人じゃ荷が重すぎるぜ」

「荷が重いってどういうこと!?」


 私がぷんすか言うと、ヴェルトもレベッカも振り返って苦笑いを浮かべた。全く失礼な人たちだ。


「嬢ちゃんの語り口には指示語が多いんだよ。あれとかそれとか、このくらいとかあの時とか。情景描写を聞き手に任せるようじゃ、一流の語り部とは言えねぇぜ? 嬢ちゃんの好きな童話だって、指示語に頼らず文章で説明しているだろ? そういうことだな」

「むぅー。ガロンがまともなこと言ってる。面白くなーい」


 そんな他愛ない会話をしながら峠を越え、沢を渡り、肌寒い野原で野宿をし、旅は進んだ。

 梢の街と湖の村との距離は徒歩で十日ほどらしい。

 道もそれほど険しくはなく、凶暴な野生動物に襲われることもなく、私たちは順調に旅程を消化していった。

 道中の娯楽はやはり旅の思い出話。私の語り部は先のとおりガロンに否定されてしまったけれど、無鉄砲なレベッカの武勇伝はまさに奇想天外という言葉通りで、さながら童話のように私たちを楽しませてくれた。

 飽くことのない平和な旅はあっという間に過ぎていき、旅程の丁度七割を終えた頃、その知らせは唐突にもたらされた。


「止まれ! 馬の音が聞こえる」


 ヴェルトの鋭い声を聴いて、私の身体がにわかに緊張した。

 道は東西に伸びた平原の一本道。背の高い両脇の草が風に吹かれて揺れていた。

 私たちは道の端に避け、近づいて来る何者かを待った。馬はかなりの速度で前から近づいて来て、私たちの姿を見つけると、砂埃を巻き上げながら急停止させた。


「どうどう。どうどう」


 馬に乗っていたのはまだ年若い青年で、赤と黒の軍服に、馬の尻尾のような装飾が付いたダークグレーのヘルメットをしていた。レベッカとお揃いの童話軍の正装だ。

 お兄さんは、自分の馬の他にもう一頭、鐙を積んだ軍馬を連れていた。


「レベッカ軍隊長! よかった、早くにお会いできてっ」

「あれれ! うちの隊の……。どーしたん? 血相変えて。それあたしの愛馬よね?」


 軍人さんは、馬から降りると私たちの前にかしずいた。

 額には玉のような汗が浮かび、前髪をおでこに張り付けている。上がった息もなかなか整えられないでいた。

 火急の用であることは明白で、ヴェルトもレベッカも纏う空気を一変させた。


「恐れながら進言します。軍隊長! 早急に湖の村にお戻りください!」

「何かあったの?」

「集会場に、火が……!」

「……っ!」


 レベッカよりも先に感情をあらわにしたのは、他ならぬヴェルトだった。

 さっきまで穏やかだった雰囲気が一変、髪の毛が逆立ったような錯覚を覚えた。けれどヴェルトは何も言わず、無表情のままレベッカとの会話を促した。


「恐らく、教典の国の……」

「あいつら……。被害は?」

「幸い、すぐに発見されたため、ボヤで消し止められました。机と書類、それにカーペットが少し燃えただけです」

「そう。とうとう調子に乗って来たね……。報告ありがと。すぐに戻るよ」


 物騒な単語が聞こえた。

 教典の国が、調子に乗って来た……?

 歴史の国と冷戦状態の隣国が、湖の村にちょっかいをかけてきているってこと? 

 ヴェルトの生まれ育った場所へ行く楽しみと、次の責務のターゲットを誰にするのかという不安に支配されてすっかり忘れていたけれど、湖の村は三か国が入り乱れる政治的要所だ。歴史と教典、その二国間の戦に巻き込まれないため、ヴェルトは童話の国に庇護を求めて来た。

 童話の国が介入したからそれで解決とはいかない。湖の村としては後ろ盾ができた形だが、国家間の緊張状態はさらに極まったと言っていい。

 その均衡が、崩れ始めているのかもしれない……。

 端的な事務連絡を済ませると、レベッカは自分の愛馬の鐙にすらっと伸びる足をかけてこちらを振り向く。


「そうそう、ヴェルト君。君、馬乗れる?」

「ん? あぁ。師匠に昔習ったことがあるが……」

「重畳♪」


 童話軍の軍隊長としてではなく、一人の悪戯好きな女性として、親指を立ててジェスチャーをする。


「は? これに乗れって? いくら何でも大人二人は……」

「違うってば! 君は、そっち」


 指を差したのは、今しがた急報を伝えてくれた軍服の青年の馬だ。呑気に道端の草を食んでいた馬が、器用に耳だけぶるっと震わせた。


「で、リリィちゃんはあたしの前ね。超特急で湖の村まで行くから」

「えっ? えー……、えっ? 僕は? 軍隊長、僕はどうしたら?」


 当然のように一人余る計算だ。戸惑った青年はレベッカに縋りつくが、


「歩いて来なさいな」

「そんな――」


 にべもなく断られてしまう。

 哀れ……。レベッカの部下になったのが運の尽きだよ。私は陰ながら前途有望な若者にエールを送った。


「ごめん、ヴェルト君。私の部隊が駐屯していながら……」

「謝罪はいい。代わりに聞かせてくれ」


 レベッカが両足で馬の脇腹を叩くと、従順な愛馬はヒヒンと一鳴きして、草原の一本道を走り始めた。ヴェルトも手綱を手繰り寄せてその後を追う。


「あの村でこの一年の間に何があったのかを」


 二対の馬のひづめの音が、草原をかけていく。

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