第161話 食堂 その③

「いやー。これはどうも、お二人さん。先ほどはとんだ醜態晒してしまって。お兄さん、お強いですねぇ。効きましたよ、そのパンチ。まさに一撃必殺! 痺れますよね」


 ……。


「……ん?」

「恨んでいるかって? そんなわけないじゃないですか! 命の恩人? 一宿一飯の恩? 感じますって、あなたへの恩を! むしろあなたが僕のメシアです」


 ヴェルトに見つめられ、私は大きくかぶりを振った。

 明らかにさっきと違う態度。別人と言ってもいいほどの変わり様。

 一人称も、声のトーンも、話すスピードも全く異なっていた。こんなのはもう、ルルベの真似ですらない。


「あれー? 黙っちゃいました? 静かですねぇ。僕、静かなの苦手なんですよね。ついつい口が勝手に回っちゃうって言いますか。よく言われたもんですよ、お前は口から生まれて来たんだって! そしたら決まって言い返すんです。僕は大道芸人の子供だったのか! って!」

「……」「……」


 さっきとは別の意味で茫然としてしまった。口を挟む余地が見つからない。

 一体どういうことなの……?


「あぁ、なるほど。君たちはお腹が空いていたんですね。いやー、早く言ってくださいよ。僕がイジワルしているみたいに見えるじゃないですか。もちろん食べてください。たーんと食べてください! 人間ご飯を食べている時が一番幸せだって言いますしね! はふはふ。うまっ」

「……少なくとも、毒は入っていないようだな」

「突っ込むところはそこじゃないでしょ、ヴェルト!」


 偽ルルベは捲し立てるようにしゃべりながら、器用にカレーを食べ続ける。食べ終わったら次の皿へ、そして次の皿へ。さも当たり前のようにスプーンを動かし、皿が山のように積み上がっていく。六皿目がつみあがったところで、コップに入っていた水を喉の奥まで一気に流し込む。そう言えば『幽霊食堂』の絶品カレーは激辛なのだった。


「話が見えんな。お前はルルベじゃないのか?」

「なーに言ってるんですか! 強いお兄さん。いやまぁ確かに、憧れがあったのは認めますよ。ルルベはクールで格好いいですからね。でも! ルルベは童話の中の人物ですよ? 僕がルルベな訳ないじゃないですか! あの夢のような世界から引っ張り出してくれた、お兄さんがそれを聞くんですか?」


 心底おかしそうに、偽ルルベの声は上擦っていた。

 それじゃまるでこの人フェアリージャンキーが……。


「……! ヴェルト!」

「あぁ」


 ヴェルトが頷いたことで確信する。

 この人、フェアリージャンキーが治っている! カラテアの魔法が解けている!

 希望の光が、心の奥底にあった不安を、じわりじわりと溶かしていった。


「ちょ、ちょ、ちょっと待って! どうやって? 何をしたら抜け出せたの!? フェアリージャンキーだよ!? カラテアの魔法だよ!?」

「リリィ。興奮しすぎだ。ちょっと落ち着け」

「でもっ。レモアとレベッカを助ける手掛かりが、そこに!」


 手を伸ばせば届く距離。全く太刀打ちできなかった私たちが、反撃に出れるカギが、すぐそこにある。これを興奮するなとは、土台無理な話だ。

 ヴェルトに頬をつねられてひとまず落ち着いた私は、元偽ルルベさんに私たちがここに来た理由を説明した。


「フェアリージャンキー……。なるほど理解しました……。一種の呪い、みたいなものですか」


 元偽ルルベさんは膨らんだお腹を擦りながら、優雅な仕草で口元を拭う。

 呪いとは違うような気がするけれど。魔法も呪いも得体が知れない超常現象であることに変わりはない。


「ええ、ええ。薄っすらと覚えていますよ。僕はここ最近ずっと、自分のことを『復讐のルルベ』のルルベだと思い込んでいたんです。あぁ、幸福な時間でした。自分には使命があり、それを成しえるための能力がある。周りの人間とは違うという優越感が、僕の心を満たしていたんです。それはもう、母親の胎盤にいるような居心地で……」

「覚えているんだ。フェアリージャンキーだった間のこと」

「夢を見ていた、そんな感覚に近いですかね。『先生』と名乗る魔法使いに僕の秘めたる欲望を言い当てられ、動揺したところに心地よい幻想が舞い降りたんですよ。そしたらほら、御覧の通り――でも、ここだけの話、僕のルルベ、結構イケていたでしょう?」

「え? ……うーん。そこはかとなく? 完成度が高いとは言えない……的な?」


 そんなことを聞かれたら、あいまいな笑みを浮かべるしかない。


「ははー。自分で聞いておいてなんですけど……、遠回しに気を使われると結構へこみますね、これ……」


 あー、この人意外と打たれ弱いのかも……。だらりと垂れ下がった両肩が切ない。

 私はヴェルトの方を振り向いた。

 大収穫だ。カラテアの魔法からは抜け出す方法がある。今の私たちにとって、これほど嬉しいニュースもない。キャメロンによる記憶強奪で効果がない今、『完全無敗』を冠するレベッカを相手にするには、実力差をひっくり返す秘策を手に入れなければならない。


「ね、元偽ルルベさん。元偽ルルベさんはどうやって目が覚めたの?」

「なんですか? その珍妙な呼び方は」

「あ、そう言えば名前まだ聞いてないね。本当の名前は?」


 私が問い返すと目の前の青年はこれ見よがしに視線を逸らした。


「えーっと。えっとね、か、カーレ。カーレですよ。僕の名前はカーレ」

「カーレ、さん?」


 逃げた視線の先に新しいカレーがあるのだけれど、咄嗟に思いついた名前ってわけじゃないよね?

 なんだったの、今の間?

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