第154話 手術室 その④
私はヴェルトに続く言葉を教え込む。案の定、デラの表情が変わっていった。
「このクズが……。お前の手術のせいで一体どれだけの人間が死んだと思っている!?」
「嫌だなぁ、デラ先生。技術の発展には犠牲が付き物でしょう。それは、あなただってわかっていたじゃないですか。レドリニクス抗生剤の開発に、いったいどれだけの命を費やしたか忘れたわけじゃないでしょう?」
「人とウサギの命を天秤にかけて話を逸らすな。あの手術のせいで始まった戦争の犠牲者が、技術の発展の為であるわけではないだろうが!」
「あっはー。さすが先生。言葉遊びじゃ主導権は取れないや」
ヴェルトの演技が白熱するほど、デラの感情があらわになっていく。人を救うことを信条に尽くして来たデラが、人に恨まれ、汚名を着せられる。その屈辱がミザリオという人間を前に、ふつふつと湧き上がってきた。
ミザリオに復讐して亡き者にしても、失った命は戻らない。それはわかっている。だからこそ、回復方法の研究を追われる身となっても続けて来た。でも今、諸悪の根源が目の前にいる。ずっと抑えて来た怒りという感情が、デラの中で形になろうとしていた。
これでいい。これでいいんだ。
私は状況を見極め、キャメロンに手を伸ばす。
「大詰め! ヴェルト、強く憐れみながら言って!」
私はデラを挑発する最後の言葉を告げた。
「――デラ先生。僕は感謝しているのですよ? 先生が人を救えば救うだけ、私の鴨が増えていくのですからね!」
「……もはやお前の存在が人類の癌だ」
来た! このセリフを待っていた!
『天を突く白塔』の最終章でデラが整形手術をして別人に成り代わっていたミザリオに向けて放つ名言。たぶん、ストーリーを知らない人でも、この名言だけを知っている人は多いと思う。
ヴェルトに向かって言われているのが釈然としないところはあるけれど、それも作戦の内。
「ヴェルト、デラが殺しに来るから避けて!」
「おい! そういうことは事前に言えよっ」
デラの手のナイフがきらりと光る。切っ先をさらりと交わして、ヴェルトが私の元へと帰って来た。混濁した二つの瞳が、私の視線とぶつかった。
握ったキャメロンを顔の前に構える。手汗が滲む。
レンズ越しに見えるデラの悲壮感が胸を締め付けた。
「あなたの物語をこれ以上進めるわけにはいかないの!」
右手の人差し指に力を籠める。
どこかで、「へぇー」という短い驚きが聞こえた気がした。次の瞬間。
カシャリ。
キャメロンの魔法が発動する。
時間と空間を切り取ったような静寂が辺りに立ち込め、血塗られた手術着を着た巨大な体躯の膝が崩れた。
私たちにとって、暴走したフェアリージャンキーへの唯一の対抗手段。キャメロン。
レモアの時同様、ヴェルトを『天を突く白塔』の登場人物に仕立て上げ、彼からその人物の記憶を抜き取った。デラにとってミザリオは物語に欠かせない存在だ。彼無しでは国王の手術も行われないし、彼の行ったロボトミー手術も発生しない。デラが狂人と侮蔑されることもなくなる。整合性が取れなくなり、物語が破綻する。
レモアの時と一緒だ。
カラテアのフェアリージャンキーにする魔法と、キャメロンに宿ったヴェルトに関する記憶を奪い取る魔法がぶつかり合って、デ、デッド……? と、とにかく、どうしようもない状態に陥ってしまうのだ。……学問の国の言葉はたまに難しくて覚えられない。
私は、倒れた巨体に近づいて、小さな声でごめんなさいと言った。
後味は決して良くない。物語が完結しないことほど切ない気持ちはない。それは、これまで何百冊と童話を読んできた私が、一番知っていることだ。
「とりあえず、落ち着いたな。助かったぞ、リリィ」
ヴェルトが近づいて来て私の肩に手を置いた。温かくて現実感が戻ってくる。温かさを感じて、私はようやく安堵の息を吐き出した。
「この人、カラテアじゃなかったね」
「あぁ。こいつも操られていた被害者だったわけだ。――もしかしたら本物は、どこかで今の切った張ったの大一番を、見物をしていたのかもしれないな。趣味が悪いぜ」
……そう言えば。私はふと、保護したナースのことを思い出した。
あの人は何のフェアリージャンキーだったんだろう? ドクター・デラと噛み合っていたようだけれど、『天を突く白塔』のナースのスーシーは、物語の重要な人物ではない。端役だ。
「ちょ、ちょっとぉ! 安心したのはわかったからぁ!」
レベッカの困惑した声が聞こえた。
慌てて振り返ると。
保護したナースが、レベッカに身体を絡みつけていた。
「……」
私の目が点になる。
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