第146話 リハビリテーション その①
『リハビリステーション』
そう書かれた多目的スペースに出た。広さはお城の大広間ほどもあり、途中で折れた平均台や錆びて赤黒くなっている鉄棒など、様々な器具が埃を被っていた。肉体に負荷をかけるものに混じって、積み木やブロックのような知育教材が紛れているのは、ここが精神病、フェアリージャンキーの隔離病棟だからなのだろう。
割れた窓のガラスを外から吹き込む風が揺らす。更生を目指すためだったのか、ここは他のスペースよりも明るさへの配慮が行き届いている気がした。
……その一画に、怪しげな老婆が一人鎮座している。
「そこのお若いの。未来が見たくはないかね?」
遠巻きにしている私たちに向かって、老婆ははっきり聞こえる大きさで声を張る。
「ねぇ……。あれも声掛けるの……?」
私は老婆に聞こえないように、ヴェルトに囁く。
だって、見るからに怪しい。まるで怪しさが服を着て手招きしているようだ。半分廃墟のような館に住んでいるミヨ婆といい勝負かもしれない。
「あれ、王女様。今、随分と失礼なことを考えたんじゃないかい?」
「んんっ!?」
「顔に書いてあるよ。いっひっひ」
私は慌てて顔を掌で覆った。……って、そんなこと書いてあるわけないじゃん。
騙されたと思って、掌をどけると、ヴェルトが吹き出しそうなのを必死にこらえている。イラッと来たので体重をかけて爪先を踏んづけてやった。
「声掛けないわけにはいかないよねー。あれがカラテアの可能性もあるわけだしさ」
遠巻きに見つめながら、レベッカも言う。
そう言えば、と。私は思い出す。
「ねぇ、ミヨ婆。カラテアってどんな人なの? 外見的な意味で」
「さぁねぇ」
「さぁって……。そんなぁ……」
「魔法使いに外見など関係ありゃしないのよ。誰も気にしたりしない。気になるなら魔法で理想に近づければいいんだからねぇ。あたしらが気にするのは、研鑽された魔法の技術。ただそれのみなんだよ。人としての外見なんて伝え聞こえるはずもない」
「そうなんだ……」
ミヨ婆もカラテアと同じように学問の国を追放された魔法使いだ。童話市で見たミヨ婆の邸宅を思い出せば、同じ穴のムジナ、という言葉が浮かんでくる。
「で、いかにも怪しいことが分かっているわけだが……」
「そこのお若いのぉ! 未来が見たくないかねぇ!」
今度は叫ぶぐらいの声量で言い放つ。大きなフードに隠れて鼻より上は見えないけれど、老婆の焦りと苛立ちが、ひしひしと伝わって来た。
「ほ、ほら! 声掛けてほしがってるよ。ヴェルト、早く行って声掛けてあげて」
「いや、別に俺が声掛ける必要はないだろ。軍人さんに任せようぜ?」
「なぁによー。こういう時ばっかり軍人扱いして。そうだ! リリィちゃんが行ってよ。後ろであたしたちがに守っててあげるからさ! おねーさんに、颯爽と助けに入る場面を提供してよ!」
「それ、私が襲われる前提だからっ!」
「そこの若いのぉ! 未来がぁ! 見たくないかねぇ!」
言い争いの末結論が出ずにいると、老婆からまたお呼びがかかった。
「ほらほら!」
「心配すんなって」
「ちょ、ちょっと! 押さないでってば!」
薄汚い二人の大人に謀られた哀れスケープゴートは、抵抗も虚しく大口を開ける悪魔の前に突き出された。たたらを踏んだ私が顔を上げると、目の前には三日月のように広がる真っ赤な口が迫っていた。
「見たところ、悩みを抱えているようだねぇ」
「え、えぇっとぉ……」
子供のように純粋な黒い二つの宝石に見つめられて、私の目は泳ぐ。
早く、この場を切り抜けないと……! えっと、この切り口、何だっけ?
目の前に迫る得体のしれない老婆に飲み込まれないように、脳内童話検索エンジンをフル稼働させた。
「それはきっと人間関係の悩みかもしれない。人は一人では生きていけない。明日を作るには関わりが必要。けれど、世の中すべてがうまくいくことなんてないのじゃ」
「うーん……」
『連綿と受け継がれた水晶』は、占い師がお婆さんじゃなくて若い男の人だったし、『運命に抗いますか?』は占い師が絡んでくるけれど、主人公は悩める少年の方だし。えっと、えっと……。
「おぉ! より強い悩みをビンビンと感じますじゃ。あなた様は今、人生の選択を迫られていらっしゃる」
そりゃそうでしょ。あなたの正体で悩んでいるのだから。眉間にしわが寄っていれば、それぐらい私だってわかるって。
……あ、なんだっけ、この感じ。ただひたすら読者にツッコミをさせる童話があったような……。
「『カルマ』……。そうだ、『カルマ』の主人公だ!」
「なんじゃと! 何故わしの名を言い当てる! お若いの! あなたが占い師か!?」
「い、いえ。違います……」
「そうじゃ、そうに違いないですじゃ!」
まずい。まずい人にまずい絡まれ方をしちゃった。
この占い師のカルマさんは、自分の占いがインチキだって知っているけれど、占い師を続けていれば、いつか本物に会えるのではないかと信じて、この年まで占いをし続けてきたのだ。……改めて思うけれど、ツッコミどころだらけの人物像だよなぁ。
もし仮に、それが私だなんて思われてしまったら、ストーリーが進んでしまう。
「ヴェルトぉ……」
助けを求めて振り向くと、ヴェルトは親指を立てて笑っていた。おいちょっと助けろよ!
レベッカも困り顔の私を見て楽しんでいるし……。うん、私がしっかりしないとダメだこれ。
大人を頼ろうとする未熟な私との決別を胸に抱き、手を振り払おうと思った時。
「――嫌がっているだろう。その辺にしといてやりな、婆さん」
ほんのり煙草の匂いが漂ってきた。
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