第99話 リリィの目標

「明日レモアを連れて、街を散策してくる」

「あ、うん。 ――……って、えぇっ!?」

「……おい! 夜だって! うるさいぞ」


 立ち上がった私の肩を、ヴェルトが掴んで再び座らせる。

 いやいやいや。それってデートじゃん! またなの? この展開またなの?

 胸元ではガロンが下品に笑っている。


「むぅー。ヴェルトはレモアを甘く見ている」

「俺の目標はあくまで村を守ること。そのために童話の原石を回収する事。そこがぶれることはない。安心しろ」

「いやぁ、そこは信用してるんだけどさ」


 何と言ったら伝わるのだろう。このもどかしい気持ちは。

 レモアの機嫌を直して、ヴェルトの責務を理解してもらって、その上で円満にその記憶を頂く。頭では理解しているし、そのための手段がレモアと二人で出掛けるというのもわかる。私にとっても童話の国にとっても最善手だ。でも、もやもやする……。


「バートが侵入しようとしていた話をするの?」


 苦し紛れに私は話題を変えた。


「いや、あの髪留めは忘れさせて、未来を見てもらうようにするよ」


 確かに、ずっと真剣に探し回っているレモアを見ていたら、それがいいと思ってしまう。固執し過ぎていると言ってもいい。ヴェルトらしい判断だ。


「マイナスからプラスへの振れ幅が大きすぎて、襲われちまったりしてな! ガッハッハ」

「お、襲われるって!? なに、ガロン!?」

「そのまましっぽりビバ目くるめく大人の世界へ、ってな!」


 私は、いつもより勢いをつけてキャメロンに拳を振り下ろした。


「ガロン、リリィを怖がらせるな」


 ヴェルトはガロンの冗談にも熱を上げない。自然体のまま少し遠くを見ているだけだった。

 疲れたと言い放って、その日の臨時会議はお開きとなった。風呂へ行くヴェルトの背中を見送って、やっぱり気持ちが晴れないでいる私がいる。


「久しぶりに出歯亀するか、嬢ちゃん?」

「うーん。保護者としてこっそりついて行こうと思ったけど」


 私は少しだけ考えて決めた。


「明日はヴェルトに任せるよ。私が行っても何もできない」

「ほほう。一端の口を利くようになったな。俺様的には、是非とも二人のアンバランスなランデブーをこのレンズで観察したいところだったんだがな! 明日はヴェルトの首にかけてもらうかな」

「絶対余計なことするからダメ!」


 私はもう一度キャメロンを叩き、自室へ戻ることにした。

 階段を登る直前、キッチンを覗くと、懲りずに髪留めを探すレモアの姿があった。私は無理しないで、と、おやすみを伝え、返事を聞かずに階段を登った。




 梢の街滞在も四日目となった今日も、生憎の空模様。窓の外に立ち込めるいつもの雲が、起き抜けの私の気分を憂鬱にさせた。一度目が覚めたけれど、今日はお休みなのだと思い出して、再びベッドに横になり意識を手放した。

 次に目が覚めたのは、窓に打ち付ける雫がだいぶ大きくなった頃だった。カテン、コテンとガラスを叩く音がうるさくなって、何とも不愉快な目覚めだった。

 曇りの多かったこの街だが、ついに雨が降り出してしまった。保っていた均衡を破られたようで、なんだか悔しい。

 寝巻のまま階下へ降りて、洗面台で歯を磨く。子供たちは活動時間に入っているらしく元気いっぱいだ。授業のない午前のアンニュイな時間に甲高い声が木霊する。


「えっと、ヴェルトはレモアと出掛けてるんだよね」


 鏡に映るだらしない顔に向かって話しかけ、私は今日を認識する。いつもは返してくれるキャメロンは、寝ぼけていて部屋に置いて来てしまっていた。

 なんだか毎日が濃い。

 顔面を冷たい水に晒してタオルを探しながら、私はふと考えた。

 これまでの旅路では大半が移動で、野宿をすることが多かった。街に滞在していても、私たちはいつも二人と一台だ。大きな変化があるわけでもなく、ゆっくりとじっくりと毎日が過ぎ、小さく確実に進んでいた。それが、この孤児院に来てからは一日の密度がギュギュっと詰まった。やはり、人と関わると人生の厚みが増えるのだろうか。


「うーむ」

「あら、おはようございます。リリィさん。悩み事ですか?」

「ん? あ、マム。おはよう」


 腕をまくりバケツを片手にもった、既にお掃除モードに入っているマムが横に並んだ。後ろには何人かの子供たちを引き連れていた。今日の掃除当番らしい。


「一日が早いなぁって、思ってたんだよ。ここに来てから特に」

「なるほど。リリィさんぐらいの歳の頃には私もよく考えたものです。早いことが怖いですか?」

「怖い? うーん、怖くはないかな」


 バケツの濁った水を流し、蛇口を捻って透き通った水を溜めながらマムが言う。


「生き急いでるんじゃないかって、少し思っただけ」

「不安、なんですね。――ねぇ、リリィさん。今のあなたに目標はありますか?」

「目標?」


 水道の蛇口をきゅっと捻って止めて、こちらを振り向いた。私の手は完全に止まってしまっていた。


「何かになりたい。何かを成し遂げたい。誰かに追いつきたい。誰かのように生きたい。何でもいいです。将来の夢、というとどこかこそばゆいですが、自分の人生の延長線上に、何か目指すものがありますか?」

「私は……」


 えっと、なんだろう……。

 頭が真っ白になった。何も浮かんでこない。やりたいこと、やらなければいけないことはいくらでもあったはずなのに、面と向かって聞かれると確固たるものが出てこなかった。

 これは、少しショックだ。

 お父様からの任務も、お母様からの遺言も、どちらも私の意思じゃない。迷っているうちに流されて、気が付いたら旅の真ん中にいる。それが決して間違った選択だったとは思えないけれど、私が選んだと言い切るには少し弱い。

 じゃあなんだ? 私の目標ってなんだ?


「ふふふ。眉間にしわが寄っています。そんなに難しかったですか?」


 顔を上げると、マムが太陽のように優しい笑みを向けていた。


「いきなり意地悪でしたね。今はなくてもいいんです。でも、そろそろ考えてみてもいい年頃だと思いますよ。リリィさん。漠然と前に進むと、いつの間にか自分の認識より周囲の時間の方が早くなってしまうものなのです」


 身の丈に合わないデッキブラシを持った女の子が、じれたようにマムのスカートを引っ張った。長話が過ぎてお冠のご様子だ。

 一礼して、マムは洗面所を後にする。残された私には、胸に大きな宿題が残った。

 漠然と進むと、周囲の時間の方が早くなってしまう。

 歳をとって、老いて、死ぬ。人類が何万、何億回と繰り返して来たサイクルの一つとして、やがて私もいなくなる。

 でも、目標と言われてもよくわからない。

 この旅の目標なら、わかりやすくていいのに……。

 ヴェルトの目標も、もうじき叶ってしまう。

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