第77話 童話王直轄の工場

 遠くからではわからなかったけれど、街に近づいて、まず初めに私は驚いた。

 街の周囲には、高い高い石壁があったのだ。

 長方形の石をいくつも積み重ねて作った立派な壁で、軽く叩いてみてもびくともせず、逆に私の掌が悲鳴を上げた。

 壁があるということは、何かを守っているということだ。童話市を含む童話城の城壁は、もちろん童話城を守っている。いくら平和な国だとしても、国の中枢を無防備に晒すほど、私のご先祖様たちは間抜けではない。交易を促すために門は常に解放されているが、例えば歴史の国や教典の国の火の粉がこちらに降りかかりそうになった時、童話城は万全の籠城作戦を取れるようになっている。

 だからこそ、この辺境の街に城壁がある理由が分からなかった。針葉樹の森から全景を眺めた限り、童話市ほどの規模はない。交通の要所という場所でもない。


「これはもしかしたら、童話の国からの独立を企てる陰謀かもしれないね」


 私が大真面目にそう言うと、ヴェルトは呆れたように笑った。


「何を言っているんだ、このポンコツ王女は。この街が何を作っているのか知らないのか?」

「作っている?」

「ヒントはいっぱいあるぞ。童話の国が資材を投じて作った石壁。針葉樹が多いこの土地の植生に、煙突から立ち上る白い煙と鼻の曲がる臭い」

「臭い……。確かに生ごみを乾燥させたような臭いが漂ってきているけれど……」


 門を守る兵士がこちらを見つめる中、鼻を摘まむのは失礼に当たるかと思って、口呼吸で何とかやり過ごしていたけれど、やっぱりこの臭いは尋常じゃないんだ。半年以上旅をしてきた私でも嗅いだことがない。海が見える塩の街で感じた生臭さとは違う。この臭いは自然に発生させた感じがしない。匂いに色が付いたなら、この町全体が黄土色の靄で囲まれていそうだ。


「ま、知識がなけりゃわかる分けねぇか」

「むー。なにそれ! ガロンは知ってるの?」

「俺様に嗅覚はねぇんだ。無茶言うな。――て、言おうかと思ったが、なるほどアレか」


 私の胸元で揺れるガロンは、ヴェルトのヒントだけで答えにたどり着いたらしい。なんだか悔しい。


「お前が、いつも大事に抱えているもんだぞ?」

「童話?」


 即答する。


「間違っちゃいない。けど、おしい」

「ほら、早く答えを言う!」


 待たされるのは屈辱だ。ヴェルトはそれを面白がっている節があるから、さらに質が悪い。

 うーん、どうしようかな、なんて勿体ぶって私を散々焦らして、私がヴェルトの脇腹を結構強めに突き始めると、ようやく観念したように答えを吐いた。


「紙だよ」

「カミ? ――紙!?」


 予想外の答えに、私は同じ単語をただ繰り返してしまった。

 私がいつも大事に抱えているもの。童話の中身じゃなくて、それを保存しているもの。

 ヴェルトが出してくれたヒントを答えと照らし合わせてみたけれど、残念ながらまったく結びつかなかった。紙ってこんな匂いがするものなのかな。

 童話と一口に言われると、その物語に目が行ってしまう。その童話がどれだけ面白いのか、そこに尽きる。だから言われるまで考えたこともなかった。その面白さを伝える媒体が、どうやって作られて、どこで作られているのかを。

 うむ。これはまた、新しい切り口だな。


「ヴェルト! 私は少し、この街に興味が湧いた!」

「それは良かった」


 門の隣にある守衛所に近づくと、頬がこけた壮年の警備兵が頭をもたげた。くぼんだ眼孔の奥から、鋭く光を放つ目玉が二つ、こちらを睨みつけて来る。

 警備兵は童話の国の軍服を着ていた。


「用件は?」

「この先の湖の村の出身の者だ。童話王の命で旅をしている。休息と物資の補給がしたい」

「……」


 骨ばった右手でつばの短い軍帽を上げ、少しだけ身を乗り出して私たちを見る。私がヴェルトの後ろに隠れると、ぎょろりと動く大きな目玉が機械的に追従してきた。


「……うむ。構わん。入ってよし」


 ほっ。思わず胸をなでおろした。


「お嬢さんや、まさか取って食われるなんて思っていたんじゃあるまいね?」

「……!」


 私の反応が面白かったのか、警備兵はとてもゆったりした調子で、ふぉっふぉっふぉっと笑う。その仕草が『ダイアのタンバリン』に出て来る、タンバリン職人のお爺さんを彷彿とさせた。意地悪だけどどこか憎めない。愛嬌があるというのかな。


「そちらのお兄さんは慣れているようだから必要ないかもしれんが」


 と、前置きして続ける。


「この街は童話王直轄の製紙工場だ。ここで作る紙は、童話を作るあらゆる人の元へと行き渡り、童話の国を潤している。くれぐれも、火には十分注意しておくれよ」


 言葉と一緒に差し出された紙を受け取る。それは街の地図だった。直角に交わった道路と、複雑に入り組んだ住宅群。幅を利かせている大きな製紙工場からは、幾筋もの排水路が飛び出していた。

 けれど、私が驚いたのはその精密さではない。手触りだ。赤ちゃんの柔肌のようにすべすべしている。古紙特有のざらつきも厚みもない。厚さも色も均一で、捲りやすく摘まみやすい。

 私がその感動を表情に表して顔を上げると、警備兵さんは再びにこりと微笑んだ。

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