第63話 胡散臭さがネクタイを締めて歩いている
ぽつりぽつりと灯り始める街灯に照らされて、瓦の街の様相は夜へとシフトしていく。粘土を焼いて作る瓦やレンガの町並みは、温かみのあるオレンジ色で、歩く私たちに安心感を与えてくれた。ざらざらする肌触りは、童話城の石造りにも、塩の街の石灰の壁にもなかった独特の感覚だ。
トトルバさんに渡されたメモにあった住所には、くたびれた宿が一軒あった。
時代を刻んだ、なんてオシャレな表現はできない。ここのオーナーは宿の外観にもサービスにも思い入れがないのだと伝わってくる。一目見て安宿だとわかった。
私はヴェルトを無言で見上げる。
「……失礼なこと言うなよ?」
自信がないけれど、善処はしよう。
幽霊屋敷のような宿の扉を開けると、すぐそこのロビーで件のくるくるモミアゲが私たちを待っていた。
「いやーいやいやいや! 来てくれてありがとう! 感謝感謝! 感謝が尽きない!」
事前に来ることは連絡を入れておいたので、当然の出迎えではあるけれど、私は心のどこかですっぽかされないかな、とも考えていた。格好といい発言といい、どこか胡散臭いのだ。
まるで胡散臭さがネクタイを締めて歩いているようなのである。
「ヴェルトさんに、リリィさん。名前、憶えたよ! まずは、うーん、何から話そうか。あいや、こんなところで立ち話ってのも無粋だね。わかってるって。いいお店予約してあるんだよ」
「あ、ちょっと」
「大丈夫! お代は僕が持つからさ。こう見えて、僕、この街長いんだぁ」
右手でヴェルトの手を、左手で私の手首を掴み、くるりと向きを変えて出て行こうとする。
こっちの意見を割り込ませる余地もない。
「いや、ここで構わない。そこの談話室にソファーがあるし、そこで話そう」
ヴェルトが指し示した先にはくたびれたソファーが向かい合わせで置かれていた。スプリングが見えていないのが不思議なほどの劣化具合。正直座ることにすら抵抗を覚えるけれど、ヴェルトなりに主導権を渡さないための提案なのかもしれない。
「ヴェルトさん。いや、ヴェルトさん。わかってます。警戒するのももっともです」
トトルバさんは難しい顔をした。腕組をして何度も頷き、ヴェルトの言葉を肯定する。
「でもまずは僕を信じて見てくれません? 昨日の勝負を見ていた限り、ヴェルトさんは頭が切れるようだ。そして間近で見て思いました。身体もよく鍛えられている。仮に騙されていたとしても、リリィさんを守って十分に僕を打ち負かせますよ。要するに、心配ご無用ってことです」
「……」
「それに、ここはいつ誰が通るかもわからない。危険な場所。童話の国の秘密を話し合う場としては不適切だと思うんです。――あ、もしかして試しました? 僕がその危険性に気付いているかどうかって。いやー、人が悪い。でもいいんです。寧ろ、そういう方でよかったとさえ思えます。旅をするうえで最重要項目、それすなわち危機察知能力です」
一方的に捲し立てるトトルバさんに、私もヴェルトも口を挟む隙が見つけられない。饒舌に回る口は、聞いていて心地よさすら感じるほどだ。
「さ、行きましょ」
今度は強引に、私たちを引っ張って宿を出た。
涼しい風が通る表通りに出ると、トトルバさんは手を放してくれた。
もう拒絶しないと信頼したのか、口笛を吹きながら私たちの前を歩くトトルバさん。私たちの警戒心を高まる一方だ。
案内されたのは、小高い丘に建てられた雰囲気のあるレストランだった。トトルバさんが店員さんに名前を告げると、店員さんは恭しく礼をして部屋へと案内してくれた。
「おぉ!」
一歩踏み入れて、私は警戒心を忘れてしまった。
四人掛けのテーブルがあるだけにしては随分と広い部屋。壁も床も天上も、吊り下げられた灯りから装飾品に至るまで洗練された部屋だった。童話城の食堂と比較して劣っているのはその広さだけかもしれない。
壁の一面はガラス張りになっていて、そこから見える瓦の街の姿が、また絶景なのである。オレンジから紫へと変わるグラデーションに、ポツリポツリと浮かぶ幽玄的な街の明かり。街全体が息を潜め、内緒話を交わしているかのような後ろめたさを漂わせ、見る者の心に哀愁を生む。通りを歩いていてはわからない、瓦の街のもう一つの魅力が、一枚の絵画のようになって現れていた。
久しくこういう雰囲気を味わっていなかったので、なんだか緊張する。
「いやぁ、別に大したことはね、ないんだけどね。街を探せばもっとお値段の張るお店はいくらでもあるし。でも、僕はこの景色が気に入っているんだよ。要するに、自慢って奴なんで。ははは」
「ヴェ、ヴェルト……。いったい幾らするんだろう……」
「野暮だ、リリィ。そう言うことは聞いてやるな」
貧乏旅に贅沢は厳禁。その日暮らしをモットーとする私たちは随分長いこと、こんな立派なお店の食事を味わっていない。
トトルバさんだって旅をしているのだから、資金繰りは死活問題のはずなのに、私たちなんかに贅沢を振舞ってしまっていいのかな? それとも、お父様から活動資金をいっぱいもらっているのかな?
席に着くと注文せずとも料理が運ばれてきた。どれも見たことがないほど鮮やかで、童話城のキッチンを任せても安心できる味だった。料理の味や香りだけじゃない。彩や盛り付け、提供するお皿にまでこだわりがあるようだ。
幸せな時間が過ぎていく。
「満足いただけたようで何より。僕もね、初めてきたときにはそりゃ腰を抜かしたよ。すべてに気を配っている。妥協なんて一切ない。要するに、一流! それもそのはず! ここの店主はね……」
「いや、世間話はいい。そろそろ本題に入ろう」
「……ですか」
回り続けるトトルバさんの舌を、ヴェルトが強引に止めた。
トトルバさんはやや名残惜しそうに顔をしかめたが、すぐに顔を引き締めた。フォークを置く音が、部屋に響いた。
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