第七章 瓦の町のトトルバ
第60話 とある場末の熱い夜
「……ハッ! ヴェルト。てめぇ、やるようになったじゃねぇか!」
「コーギー、お前だって!」
緊張と熱気が小さなバーの一角に立ち込めていた。
もうすぐ新しい朝を迎える。テーブルを挟んで向かい合う二人の男たちは既に満身創痍。眉間に刻まれた皺は取れず、頬を伝う汗を拭う余裕すらない。夜通しフル回転を続けた脳は、オーバーヒート寸前だ。
誰もが固唾を呑んで見守る中、私だけは欠伸を噛み殺す。
……いったいどれだけやっているつもりだ。
二人の前にはカードの束。手には五枚のカードを持って、お互いのカード読み合っている。いわゆるポーカーと呼ばれる賭け事。散々見せつけられたけれど、ルールはいまいちわかっていない。
ただこれが、クライマックスであることだけは、この場の雰囲気から感じ取っていた。
コーギーと呼ばれた男の頬がピクリと動く。
「いいぜ! 来いよ! これで終いだ! 決着、つけてやるよ!」
「そう来なくっちゃな! 言っておくが、俺は負けないぞ」
安すぎる挑発に、ヴェルトも目の色を変えて乗る。いつもの精神状態だったら、絶対にそんな挑発には乗らないのに。やっぱり疲労がたまっているんだろう。
場末のバーに、一瞬の沈黙が降りる。
「行くぜ!」
「おう!」
男と男の一夜を徹した熱い勝負が、たった今、決着する。
……男とは、どうしてこうも無益な勝負ごとに熱中してしまうんだろう。
私は眠気が支配する頭の片隅で考える。
ヴェルトの責務の為。それはわかっている。
かつてしのぎを削った友の記憶を、ヴェルトが奪おうとしたら、向こうから持ち掛けてきた勝負だ。ポーカーで買ったら、お前との記憶をくれてやる、と。
その言葉は私をときめかせるに十分だった。熱い童話に出て来る最終局面、両者死力を尽くしたクライマックスは、読んでいる者の興味を我物にする。
でもさ。こんなに長引くとは思ってなかったよ。
夕暮の時間から初めて、既に新しいお日様が登り始めている。絵になるシーンを繋ぎ合わせた童話にはない、地道で泥臭い戦いも全部見せられたら、そりゃ飽きます。私はもう飽ききってしまった。
また一つ、私が欠伸を噛み殺すと、バーには再び静寂が訪れていた。
カードがオープンされたらしい。
「……」
「……」
「お前、コーギー……」
「……負けたよ。完敗だ」
テーブルに出されたカードを見て、驚愕の表情を浮かべるヴェルト。対照的に、コーギーは力ない笑いを浮かべていた。
ヴェルトの役は、同じ数字が二組できるツーペア。対して、コーギーの前に出された札は、何も揃っていないブタだった。
「わざと、負けやがったな……」
「わざと? ハンッ! 冗談きついね。僕がヴェルトにわざと負けるなんて、あるわけないだろう?」
「だが!」
「これは、お前の実力さ。素直に言わせてくれ。おめでとう」
「……コーギーっ!」
「さぁ。持って行けよ、ヴェルト。約束だ」
ヴェルトの震えが、バーの空気をも震わせていた。盛り上がりを見せた最後の勝負の結末は、蓋を開けてみたら実に呆気ない。
ヴェルトが勝ち、コーギーが負けた。
勝負の世界に曖昧は存在しない。勝者と敗者が決まった世界に、結果は無情にももたらされた。
「僕が挑んで、そして負けた。覚悟はできてる」
「あぁ……。あぁっ!」
一滴の優しさが、ヴェルトの頬を伝い、カードの絵柄を黒く染めた。
時には友人として、時にはライバルとして、切磋琢磨し合った関係が、ヴェルトの都合で終焉を迎える。……その切なさを感じられれば良かったのだけれど、今の私は睡魔と闘うのでやっとだ。
ヴェルトの手がテーブルに置かれていた魔法具へと伸びた。
マスターには席を外してもらった。他に客もいない。
静謐な空気が、彼らへのせめてもの手向けに感じた。
「何を泣いてるんだよ、らしくもない。いいかい、僕は死ぬわけじゃない。また賭博をしようじゃないか。この国のどこかで、僕は明日もゲームをしている」
コーギーは言う。
「生きてりゃどこかで引き合うさ。賭博って言うのはそう言うもんだ。もし次出会えたら、今度は手加減なしでぶつかれる。ほら、ワクワクして堪らないね」
「……手加減なんてしてなかっただろうが。馬鹿野郎」
ヴェルトは泣き顔で笑った。その指が、ボタンへと伸びる。
「お前は、賭けに負けるなよ!」
カシャリ。
響き渡った魔法の音ともに、再び静寂が戻って来た。
ヴェルトの嗚咽だけが、しばらくの間、バーを包んでいた。
……ね? 言っていい?
ようやく寝れる……。
瓦の街と呼ばれる大きな街の一角で、とある賭博師の友情譚は静かにエンドロールを迎えた。
……の、はずだったんだけど。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます