第58話 語り継がれない英雄譚 その3

「それは駄目だ、リリィ」


 私の膨れ上がった気持ちは、ぴしゃりと否定された。


「ど、どうして!?」

「お前が言ったように、これは童話じゃない。ただ面白いと思うことを形にしていい問題じゃないんだ」

「わかってるよ! だからこそ、リストンさんのために童話を作って……」

「ヘトロさんや記念館に来ていた子供たちのことも、お前の考えの中に含まれているのか?」

「も、もちろん!」

「じゃあ、もう一度考えるんだ。自分たちが崇拝していた英雄が、実は残虐非道の殺人鬼で、村を窮地に陥れた張本人だった。これを村人に伝える覚悟が、リリィにあるのか?」

「……っ」


 心の支えにしていた人間の真実。村をあげて祀り上げていた人間の本性を知って、果たして村人はそれを受け入れられるのか? 

 目に浮かぶ拒絶。

 繰り広げられる対立。

 ヘトロさんとリストンさんが激しく言い合っていた記憶がよみがえり、この村のあちこちであれが繰り返されると思うと戦慄が走った。

 拒絶して戦えたならまだいい。受け入れてしまったら最後、自分がやってきた過ちに、どうやって決着を付ければいいのか、私にはわからない。

 村のために吐いた嘘は、村のためになって根を張り、もう取り除くことが不可能なほど絡みついてしまっているのだ。


「過去を顧みることは重要だ。同じ過ちを二度と繰り返さないように生きなければならない。でもそれは、未来を否定してまでやることじゃない」


 ヴェルトの言葉は、私を諭すように柔らかだった。


「今を、そしてこれからを生きていくのはヘトロさんや子供たちの世代だ。真実が正しいのはわかる。でも真実が必要かどうかは別問題だろ。――この村の発展を見れば」


 ヴェルトはリストンさんをすっと睨む。


「その時のあなたの行動が間違っていたとは、決して思わない」


 私に向けた声色とは違う、諫めるような声。

 もしかしたらヴェルトは自分のこれからの運命と重ねているのかもしれない。

 友人や家族から自分の記憶を奪っていかなければいけない運命。自分を殺してでも守りたいものがあるからこそ、ヴェルトはこの旅を続けている。当時のリストンさんたちだって、きっとそう思っていたに違いない。自分が罪を被り、真実を偽って、それでも救いたいものがそこにあった。ヴェルトは、それを忘れているリストンさんを諫めているのだ。


「どうしても、駄目か……。おぬしはレンテの戦友なのだろう? わしが抱えるこの重すぎる真実を、解き放ってはくれんのか」

「お断りだ。童話は楽しむためのもの。誰かの我儘を体現するための道具ではない」

「お前の戦友も飾り立てられたままなんだぞ? 悔しくないのか?」

「構わないさ。そもそも、俺は真実が知りたかっただけで、広めたかったわけじゃない」


 そして、私の膝にあるキャメロンに向かっていう。


「この選択で文句ないな、ガロン」

「あぁ。俺様は満足だ」


 リストンさんが不思議そうな顔を向けるが、ヴェルトは答える気はないようである。

 さてと、と言って、ヴェルトはおもむろに立ち上がった。リストンさんが、その足に縋りつく。


「頼む! わしに懺悔する機会をくれ! このままレンテが英雄という間違ったイメージを後世に残してしまったら……」

「リストンさん、あなたは既に、自分しか見えていない。村のことを第一に考えていたあの頃に、一度立ち戻るべきだ」


 そう言って、ヴェルトは私の膝元のキャメロンに手を伸ばして来た。

 顔の前で構えれば、童話の国の魔法具、記憶を奪い取る魔法の準備万端である。


「真実は永遠に、あなたの胸の中に収めておいてくれ」

「な、なんだそれは!? わしを殺すのか?」

「冗談。なかったことにするだけさ。あなたの懺悔を俺が聞いてやる筋合いもないんでね」


 小さな窓枠から哀れな老人を捉え、ヴェルトはボタンに指をかける。


 カシャリ。


 記憶を奪うキャメロンの魔法。単調な音ともに、リストンさんの頭から、ヴェルトの記憶が抜き出された。

 真実を語り、それを信じてくれる相手が現れたという、彼にとって救いとなるはずだった記憶が……。


 歴史の国の大罪人レンテ。知られざる彼の暴虐は、暴かれることはない。

 真実がなんであるか知りたいと思うこともある。けれど、それを後世に伝えなければいけないわけではない。

 人の原動力は希望だ。

 過去の妄念に憑りつかれた人間の後悔など、未来への航海には不要だろう。

 童話は楽しむためのもの。

 ヴェルトの言葉が、私の心に残った。


「行くぞ、リリィ。俺たちがこの村に出来ることは何もない」

「うん」


 放心するリストンさんを残し、私たちは離れを後にした。




 本館に戻ったところで、血相を変えたヘトロさんとばったり会ってしまった。どうやらヴェルトが突然いなくなって探していたようである。

 大きな溜め息を吐いて額の汗を拭うヘトロさんに、ヴェルトはキャメロンを向けた。


「探しましたよ、先生。……て、それは何ですか?」


 カシャリ。


 躊躇うことなくボタンを押した。

 これで、流れの記者にレンテを童話にしてもらうという約束も反故になったわけだ。

 不思議そうな顔をするヘトロさんに、丁寧にお礼を言って通り過ぎる。もしかしたら、消えた記憶の穴埋めとして、私が記者として認識されてしまったかもしれないが、そんなのは御免なので、気付かれないようにいそいそと記念館を後にした。


 これからこの村がどのような道をたどっていくかわからない。

 けれど、少なくとも私たちが関わることはもうないだろう。

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