第49話 語り継がれる英雄譚

 やる気十分のヘトロさんに案内されたのは、祭壇のすぐ後ろに構える大きな建物だった。周りの建物よりも一回り大きく立派な建造物。入り口に巨木を掘って作られたのであろう渋顔の像が建っているところを見るに、ここもレンテの関連施設なのだろう。


「レンテ会館、なんて村では呼んでいるんです。要するに記念館ですよ」


 像を見上げる私とヴェルトに、心を読んだフォローを入れるヘトロさん。

 帳の下りた大空に大槍を掲げるその姿は、決戦前夜の戦士のようだ。揺らめく炎が頬を照らし、上気しているようにも見える。


「こちらへどうぞ。今お茶を淹れますので。――長い話になりますが、ヴェルトさん、でしたっけ? ぜひ聞いて行っていただきたい」


 ヘトロさんの足取りは軽い。これは長期戦の予感がする。


「うわ……」


 扉を潜って、私はその様相に面食らった。意味のない言葉が口から漏れる。

 中は天井の高いホールになっていた。博物館、とでも呼べばいいのかな。どこを見渡してもレンテ一色。もうほんと、これでもかってくらいレンテしかなかった。

 中央には大きな木彫りのレンテ像が仁王立ちしていて、その周りを囲むように様々な展示物が並んでいる。実際に使っていた刀剣であったり、着ていたとされるボロ布のような服だったり。反対側には、レンテの生い立ちから亡くなるまでの年表が飾られている。


「これは凄いですね……」

「はは。他所から来るとそう見えるかもしれませんね。けど、この村では普通なんです。みんなレンテのことが大好きですから」


 そこはかとなく自慢げなヘトロさんの顔がとても眩しい。村人のレンテに対する思いと、ちょっとすれ違っている気がするけれど、……きっと本人は気付いていない。




 私たちは展示物を見渡せるちょっとした喫茶スペースに案内された。

 ……それにしても、レンテを童話にしてほしい、なんて言われるとは。

 案内された卓に付き、ヘトロさんが下がっていった暖簾の向こうを凝視しながら考える。

 これは渡りに船という奴なのかな。ガロンのために童話にしようと思った矢先、原石の方から転がり込んでくるなんて。日頃の行いが良すぎるのも考え物だね。うん。


「……長くなりそうだな、こりゃ……」

「ヴェルトが記者だって言ったからでしょ?」

「そうなんだが……。正直、立ち話で済むと思ってた」

「あの目の輝きを見たら、今更言い出せないよ」


 長身の肩が小さく沈んだ。

 ヘトロさんはお盆にカップを三つ乗せて戻って来た。慣れた手つきで私たちの前に香りのいいお茶を置き、自分は対面に座る。


「こんな機会、なかなかありませんのでね。いやはや、どこからお話ししましょうか」


 艶のある顔に終始笑顔を浮かべ、ヘトロさんの舌は回りに回った。きっと自分の功績を話す機会があったとしても、これほど綿密に描写はできないだろう。件の魔物を倒した時の大立ち回りから、決戦前夜のレンテの想い。語られることのなかったレンテの思惑に至っては、いったいどうやって聞いたんだとツッコミたいほどだった。もちろん、私たちが話を遮れるような隙は見せなかった。

 膨大な情報量を、私なりに要約するとこんな感じだ。


 まだこの村がアバランタに怯えていた頃の話だ。一人の旅人が村を訪れた。旅人はレンテと名乗り、しばらくの間宿を借りたいと申し出て来た。聞けば歴史の国で勇名を馳せた騎士だという。

 よそ者を嫌う村人は、厄介ごとを持ち込まれたらたまらないと追い返した。

 次の日、レンテは再び村を訪れた。手には山で狩ってきた一頭の鹿。貧困に喘いでいた村人にとってはご馳走である。村長は前日の不敬を詫び、レンテを迎え入れることにした。


「で、その村長の言うのが私の父なんですよ! 凄いでしょ? 英断ですよね! 当時はまだ二十を過ぎたばかりだったそうなのに、村人の命を背負った決断をしたんです」


 ここぞとばかりにヘトロさんが強調するので、私たちは半ば呆れ気味に聞き流した。


「……まぁ、年老いてしまえばつまらないただの老人なんですけどね」


 最後に付け加えられた自虐のような評価には賛同しかねるけれども。

 それからもレンテは、定期的に山へと入り、村人のために鹿や兎などを狩ってきた。

 腹が膨れると精神的にも余裕ができ、村には活気が生まれる。男たちはレンテに狩りの仕方を教わるようになり、女たちは村を豊かにするため家事に勤しんだ。職人には木工細工の技術が伝えられ、優秀な子供たちは勉学を教わるようになった。どれもこれも、できたばかりの童話の国にはない技術であり、皮の村は急速に富んでいった。

 レンテが村に馴染んでしばらく経った頃、おもむろに言い放った。


「アバランタを討伐しよう」


 活性化の一途をたどっていた村にとって唯一の懸念点が、山に住む巨大蜘蛛アバランタだった。既に何人もの強者が犠牲になっている。村人全員が尻込みする中、レンテは勇敢にも立ち上がり、必ず討つと約束した。

 自分一人でも行くと。虫如きに怯えて生活するのは人のする事ではないと。

 村長は再び考えを改めさせられ、村の若者を集めて討伐隊を編成した。もちろんリーダーはレンテであった。

 山刈りが始まる。するとどうだろう。なすすべがなかった怪物に対して、レンテが細工をするとたちまち優勢になったのだ。

 村の宿敵だったアバランタは次第に追い詰められていく。一本一本と、足を切り飛ばし、そして、レンテがとどめを刺した。その時のアバランタの断末魔は渓谷の岩肌に反射して、遠く童話城まで響き渡ったと言う。


「それからしばらくしてレンテは亡くなりました。アバランタにやられた傷が思いのほか深く、我らの村にそれを治す医術はない。剣は振るえなくなったレンテでしたが、その生が尽きるまで、我ら村人のために尽くしてくれました。レンテ祭りは、彼の功績を忘れないよう、アバランタを討伐した記念日に、毎年こうして思い出しているんです」


 そっと語り終えたヘトロさんの顔は、とても穏やかだった。

 私の胸に残ったものは暖かな達成感。まるで童話を一冊読み終えたような気分。レンテという人の命を懸けた善意が、綺麗にまとまっていて胸を突いた。


「いいお話だね、ヴェルト」

「あぁ。文句のない英雄譚だな。童話にし甲斐がある」

「おぉ! それは良かった! この国で何かを広めるなら、やはり童話という形が一番ですから! 流通に乗って多くの人に親しまれる物語になってほしいものです」


 実に満足そうに頷くヘトロさんである。

 まるで小さな子供が童話の中のヒーローに憧れているようだ。

『完全無敗のガルダナイト』とか、『幽玄の奏楽隊』とか、男の子が憧れるヒーロー童話は世代を超えて愛されている。童話の国のヒット作に勝るとも劣らないエピソードに、幼い頃のヘトロさんも感化されたのだろう。熱い語り口と私たちの感想を聞いた時の反応が、ヘトロさんの気持ちを如実に表していた。

 憧れて、夢に見て、大人になって今度は語り継ぐ側になった。ずっと伝承として語り継がれていたものを、童話という永遠の形に出来たら……。きっと夢が叶ったような心持なのだろう。


「で、ではですね! 今後のスケジュールを――」

「ヘトロっっ!」


 机に身を乗り出してヴェルトの手をいざ握らんとしたとき、小さな喫茶スペースに怒声が飛んだ。


 空気を震わすひと声。展示されているレンテ像も思わず肩を震わせたような錯覚に陥った。


「貴様はまだそんなことを言っちょるのか! いい加減にせいっ!」

「……親父」


 溌溂と膨らんでいた風船から、急激に空気が抜けていく。

 暖簾の向こうから顔を出したしわくちゃ顔のおじいちゃんが、眉を吊り上げてこちらを睨みつけていた。私は思わずヴェルトの影に身を顰める。


「客の前なんだ。後にしてくれ」

「なーに一端の口を聞いちょる。客の前だろうが王の前だろうが、そんなもん関係あるかい。間違っているもんは間違っている! そう言わなならんだろうが」

「何も間違ってないって。……ははは。すみません、ヴェルトさん、リリィさん。お恥ずかしながら私の父です。御覧の通り、頭の方にガタが来てるもんで」


 ヘトロさんは私たちにだけ聞こえるように付け加えて、申し訳なさそうに背中を丸めた。

 そんな息子の様子も癪に障るのか、ヘトロ父の声は大きくなる。


「なんじゃ。文句があるのかっ! そんなこそこそしとらんで、わしの目ぇみてはっきり言わんか! このバカ息子が!」

「わかった。わかったよ。後で話聞くから。ちょっと向こう行っててよ。今大事な話してるんだから」


 大きなため息を吐くと、席を立って、なおも喚き続ける父親の元へと歩いて行く。


「なんだか大変そうだね」

「お前、余計な口出すなよ?」

「わかってるよ。もぅ、失礼だなぁ」

「父親と息子ってのは対立するもんなんだよ」

「ヴェルトが言うと説得力あるよね」

「言ってろ」


 でもあれは、対立って言うのとは違う気がする。随分お年を召していたし、老いなのかもしれない。


「ガロンはあんな風にならないの?」

「あぁん? なるわきゃねーだろ。俺様の思考は死んだときで固定されてんだ。つぅか嬢ちゃん。結構えぐい質問するな」

「そうかな」


 私的にはなかなか核心に迫った質問だったんだけどな。

 それから半刻ほど待たされて、疲れ果てたヘトロさんが暖簾をくぐって現れた。もはや愛想笑いが痛々しくて、私たちは見ていられなくなったので、この日はお暇することにした。


「ま、また、来てください。童話の件、なにとぞよろしくお願いします」

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