第42話 依頼と提案

「さぁさ、アツアツでフルルーンなお茶が入りましたぞ。是非ご賞味下され」


 口笛なんて吹きながら私たちの前にカップを置いて行くパヨパヨ爺。

 テーブルには目が回りそうな幾何学模様が施されたテーブルクロスが敷いてあり、その上に置かれたお茶から香り立つ湯気が立ち上っている。


「おっと、ワタクシとしたことが、お茶菓子を用意してないではありませんか。リリィ殿、ヴェルト殿。少しお待ち下され」


 一方的にそれだけ告げ、キッチンの奥へと行ってしまった。

 私は緊張で溜め込んでいた胸の中の空気を一気に吐き出した。


「うーん。あれを乗り越えればすぐに擬音を渡してくれると思ったのになぁ」

「まさか、仕事場にまで招かれるとはな」


 場所は変わって、ここはパヨパヨ爺の仕事場だ。

 あの後、意気投合した私が依頼の品を受け取ろうと手を伸ばすと、彼の擬音蒐集家はその手を再び握り、仕事場へ来ないかと誘ってきたのだ。下出に出るしかない私たちは、断れるわけもなく、こうしてのこのこついて来てしまった次第である。


「ま、でも、童話作家の仕事場を見れるなんて滅多にない機会だし、これはこれで役得かも」

「このでたらめな空間を見てそれが言えるんだ。大した神経だよ、お前は」

「嬢ちゃんはどこまで行っても嬢ちゃんだぜ」


 近くに人がいてまったく喋る機会がなかったガロンも、久し振りに口を挟む。


「驚いたのは驚いたよ? でも、童話作家ってどこかこう、個性的な人が多いって言うからさ」


 私もここですと案内されたときは度肝を抜かれた。

 魑魅魍魎と形容しても差し支えないデザイナーズ通りの一等地に、ひと際異彩を放った建物が一つ。それがパヨパヨ爺の仕事場だった。

 家中至る所に擬音を書いた紙が貼りつけられていて、通り過ぎる人々の視線を奪っていたのだ。

 窓には『ピカーン』や『キラキラ』など光を連想するものが多く、ドアには『トントン』や『ドンドン』などノックの音、『キーッ』、『ゴゴゴゴ』なんていう開く動作を表したものもある。ガラスが割れる『ガシャーン』なんていう張り紙も張られていた。

 一歩踏み入れたら、また別世界。今度は擬音だけでなく、音自体も実際に存在していた。窓際で風鈴が揺れる涼しげな音、火にかけたやかんが主を呼ぶ笛の音、包丁がまな板を叩く音などなど、あげ始めたらきりがない。部屋の中央には室内庭園のような一角もあり、溜めた水が滝のように落ち、落ちた水は蛇行する川を流れていた。

 人や自然の営みがもたらすあらゆる音を、空間に閉じ込めたような部屋だった。

 賑やかという言葉だけでは追いつきそうにない。


「これだけ突き抜けてねぇと、童話作家や擬音蒐集家なんて肩書は名乗れねぇわけだ。俺様はごめんだな」


 私の首にかかりっぱなしのキャメロンから、諦めたような声が漏れた。

 今回は使う必要がなさそうだし、いい加減首も痛くなってきた。ストラップを外しヴェルトに押し付けることにする。

 しばらくして、パヨパヨ爺は戻って来た。お盆には焼き菓子が小山のように盛られていて、私の小腹を誘惑する。リーチェさんとも食べてきたはずなのに、どうしてこう、甘いものは空腹を誘うのだろう。


「さて、本題に入りましょうぞ。童話王からの依頼でしたな」

「そうそう。依頼したのは結構前って話だし、もうできてるんでしょ?」

「お嬢さん、甘く見てもらっちゃあ困りますぞ。ワタクシ天下の擬音蒐集家でありますぞ」

「おぉ!」

「であるからして、食指が動かなければ仕事ができんのです」

「え?」


 胸を張って言い切るお爺さんに、躊躇いはない。


「それって……」

「まだ一つもできておらんということですな」

「えーっ!」


 衝撃を受けた。

 仮にも童話王直々の依頼だ。勅命と呼んでもいい。この国のどんなお客の注文よりも責任が重いことはわかるだろうに……。

 普段優しいお父様だけれど、頼んだ仕事を完遂できない相手にまで寛容である道理はない。私だって、約束を破ったときは折檻されるのだ。


「た、大変じゃん! 早く作ろうよ! 普段は温厚だけれど、お父様、怒るとホント怖いよ!」


 心配する私の顔の前に、パヨ爺は遮るように片手をかざした。


「擬音、これすなわち、インスピレーション!」

「いん……?」

「お嬢さん、先ほどの擬音劇を思い出してごらんなさい」


 パヨ爺は優しい声音で諭すように言う。


「擬音は考えて口から出ていましたか?」


 首を振った。

 無我夢中だった。考えて喋る余裕なんてなく、思いを言葉に変換せずにそのまま擬音にして口に出していた。

 で、でも……。そんな悠長な事言っている場合じゃ……。


「ワタクシ、リリィ殿の中にピカリと光る原石を見いだしました。そこで提案なのですが」

「提案?」

「いかがかな? ワタクシと一緒に、新しい擬音を作ってみては?」

「作ってみるって……。わ、私が……!?」

「えぇ。もちろん、この擬音は連名で童話王へ献上いたしますぞ」


 丸眼鏡の奥の優しい瞳が、じっと私を見つめる。黒いビー玉のような瞳には、子供のような好奇心が宿っていてめらめらと揺れていた。

 私が、『あひるの王子』シリーズの一部に携われる……。

 それは、とても恐れ多いことのように感じた。ただの一読者が、国を代表する名著に口を出すなんて……。

 でも、それとは別のところで、ワクワクしている自分がいる。

 こんな機会滅多にない。ううん。もう一生来ないかもしれない。


「わかった! やろう、パヨ爺!」

「テルリン! さすがはワタクシが見込んだお嬢さんです!」

「おいおい……。たく、知らないぞ、どうなっても」


 ヴェルトが呆れたように言うけれど、一度決まってしまった覚悟は覆せない。

 見てろ、ヴェルト。私が童話の国の王女であるところを、存分に知らしめてやる!

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