第32話 言葉にできない
太陽が顔を出すよりも早く、私は目を覚ました。童話城で惰眠を貪っていた頃の生活リズムはすっかり抜けきり、今では昇る朝日と鳥のさえずりが目覚ましとなっていた。今日はそれよりも早い。
ヴェルトの寝顔を確認し、私は部屋を抜け出した。眠気覚ましに外の空気を吸おうと外に出ると、森の木々には朝霧がかかっている。白いフィルターのかかった視線の先に、動く何かを見つけた。
「……早いな。お嬢さん」
「レゾさんこそ」
「俺のは日課だ。朝一で薪を割って目を覚ますんだ」
目を凝らすと、レゾの前には切り株があり、分厚い手斧が芸術的な角度で突き刺さっていた。割られ薪は数十本を越えている。暖炉に火を入れる季節でもあるまいし、こんな大量に薪割をする必要はないはずだけど……。
「……なんか用か?」
不愛想な質問が、眠気の残る私の頬を叩いた。
「あ、えっと、別に用があったわけじゃないんだけど。空気を吸いに来ただけっていうか……」
「そうか」
鋭く尖った眼光を向けられると委縮してしまう。私はまだ、敵意という感情に慣れてはいない。鋭い視線にさらされると、頭では立ち向かおうと思っても、声が震えてしまう。これではまだまだ、王女としては半人前だ。
……そんなことを考えるようになったのも、旅をして成長したということだろうか。
「……あれは……元気か?」
黙っているとレゾが先に口を開いた。薪割は再開され、無駄な動き一つなく綺麗に斧が振り下ろされていく。
あれとは何のことか? しばし考えたが、レゾさんの示す人物がヴェルト以外いないと気付き、首を振って肯定する。
「……飯は……食わせてもらってるか?」
「う、うん。まぁ。シチューとか美味しい。……たまに焼いたカエルとか渡されるけど」
「そりゃ、ご馳走だな」
淡々と日課をこなし、淡々と私の言葉に相槌を打つ。膨らむこともなく、味気もない会話。私はレゾさんとの距離感と、その会話の真意を測りかねていた。
「あれは、強いか? ……お嬢さんに優しくしてるか?」
「レゾさん。そう言うのは、ヴェルトに直接聞いてよ。私に聞いたって、意味ないよ」
「……そうか」
ついにたまりかねて、私の口からは本音がこぼれ出てしまった。慌てて口を抑えたけれど、すでに手遅れ。レゾさんの肩は力なく垂れ下がっていた。
「えっと、その方がヴェルトも喜ぶし……」
「俺は言葉にできないんだ、お嬢さん」
どういう意味だろう。
「俺があの小僧を突き放した話は聞いただろ? 俺はあの時、罪悪感とか、プライドとか、そう言う面倒くさいものを全部抱え込んじまった。一度抱え込んだらもう手放すことはできない。あいつの顔を見て、改めて思った。俺は。俺の気持ちは。あいつに向けて言葉にならない。そう言う面倒くさい感情が邪魔するんだよ」
「口にするだけだよ。大きくなったな、とか、元気でやってるか、とか。思い出話に花を咲かせればいいんじゃないの?」
「大人をこじらせるとな、そんな些細な事すら口に出来なくなるもんさ。あいつが俺のトラウマになってるのはわかってる。だから、あいつの提案も、記憶を消すって話も、理に適っているのはわかっている」
斧はもう、振りあがらない。
「でも、知られたくないって、思うんだ。お嬢さんにはわからないかもしれんがな」
そんな遠い目をされても、わからな……。
「ああ、なるほど!」
わかった。わかってしまった。
頭髪が白くなり、体力も衰え、後悔ばかりを背負い込んでいるこの老人の、本当の気持ち。トラウマなんて、それこそ隠れ蓑でしかなかったんだ。
「レゾさん、今でもヴェルトのこと大好きなんだね!」
「ひょぇ?」
不思議な言葉がレゾから発せられた。タコ入道のような顔をしている。その表情が、私の推理の正しさを証明していた。
そうだ。レゾさんはまだ、ヴェルトのことが好きなんだ。ヴェルトが元師匠とは呼びつつも、第二の父親としてレゾさんを慕っているように、レゾさんもまたヴェルトのことをずっと気に掛けている。
大好きなんだ。
抱きしめて、頬擦りしたくなるくらい。
その関係は冷めきった師弟関係なんかじゃなくて、私とお父様との間よりも深い家族愛で溢れている。
なのに、つっけんどんな態度を取ってしまうのは、レゾさんのプライドと、トラウマのせい。自分が一度拒絶した人間を、まだ好きだとは言えない。自分の一言で罪の意識を植え付けた相手に、また父親のように慕ってくれなんて、口が裂けても言えない。
レゾさんの中のヴェルトとの思い出は、やっぱり楽しくてかけがえのないもので、無くしたくないものなんだ。
そして、それをヴェルトに知られることが、死ぬほど嫌なんだ。
「まるで恋する乙女みたいだね、レゾさん」
「冗談が過ぎると、その舌叩き切ってやるぞ」
「ふふ、敵意が籠ってないから、何にも怖くないよ」
途端にこの不愛想な老人に親近感が湧いてきた。
じゃあやっぱり、私たちはレゾさんから記憶を奪えない。ヴェルトはトラウマを消し去って救ってやると意気込んでいたけれど、それは救いじゃない。ただの逃げだ。トラウマは消えても、性格は曲がったまま。偏屈爺さんは、今度こそ解決するための鍵を失ってしまう。
「私が、話せる場を用意してあげるよ! 伝えてみて、その気持ち」
お父様はヴェルトの責務にするための原石を選んでいいと言った。だから、私たちがこの老人から記憶を奪い取ってしまう理由はない。そもそも、辛いだけの物語なんて、原石としては三流だ。磨いても輝かない。
「余計なことはするな! あいつに迷惑なのはいい気味だが、俺にとっても大迷惑だ。今更そんなことをして、なんになる!」
「昔に戻れるよ、きっと」
戻れないはずがない。二人の気持ちは一致しているんだから。
ちょっと、すれ違っているだけ。プライドという壁を、少し薄くすれば、向こうが見えるはず。いつもお世話になっているヴェルトへの恩返しだと思えば、なかなか味のある趣向ではないだろうか。
「ね、レゾさん! ……って、あれ? レゾさんが増えた?」
白い靄の向こう、気が付いたら黒い人影が二人になっていた。
「おい、話を逸らすな。俺はそんな話了承しない」
「ち、違う。もう一人、ううん、二人? 三人!?」
辺りを見回せば、ぐるっと囲むように人影があった。
昇り始めた太陽の光が、薄っすらと差し込み、その影を照らす。
手には刃物、腕には泥にまみれた青い布を巻きつけ、薄汚れた格好の男たちは、三日ぶりのエサにありついた野犬のように、ギラついた目を向けている。氷のような悪寒を背筋に感じ、私の顔からは血の気が引いて行く。
「な、なに、この人たちっ!? なんで、囲まれてるの!?」
「お前ら、教典の国の……。例の件ならこの前断っただろうが! さっさと去れ!」
静寂を守っていた森が、突然炎に呑まれたようだった。穏やかな朝のひと時が、一転して、緊張感を増す。
それより、今レゾさん、教典の国って言った!?
脳裏に浮かぶのは、ヴェルトの旅の目的。彼は教典の国と歴史の国の冷戦の間に挟まれた故郷を救うべく、思い出を回収する旅を始めた。教典の国はその発端とも言える。
野党の先頭にいた男は、ぐにゃりと顔を歪めて笑みを浮かべた。
「爺さんがうんと言わないからな。歴史や童話の奴らに靡く前に消した方がいいと判断した。そういう命令だ。――てぇのは建前でよぉ! てめぇの説教臭い話し方が、ムカついてムカついてムカついて堪らなかったんだよっ! これでやーっとすっきりするぜぇ」
つられて下品な笑い声がゴロツキたちからあがる。
そう言えば昨日、ここへ来る途中、私たちを追っている影があったって、ヴェルトが言っていた。
「ど、どういうこと?」
「くだらん連中だ。俺を戦争の火種にしようとしているらしい」
冷戦状態の教典の国。今は力を蓄えているタイミングなのかもしれない。互いに兵隊を集め、指導者を育て、来るその日に備える。平和な童話の国にいると遠いお伽噺のように感じてしまうが、すぐ隣にある現実なのだ。中立を保つ童話の国の有能な人材は、仲間に引き込めれば大きな武器になる。そんな冷戦の余波が、じりりと押し寄せて来た。
ゴロツキの頭は、一歩前に出てナイフをちらつかせる。
「さて、死にな、爺さん」
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