第27話 『鐘の鳴る坂を登る』

 オチを語ってしまうと、『鐘の鳴る坂を登る』はバッドエンドだ。


 病弱だった主人公のロイが、大きな手術を乗り越えたばかりのヒロイン、メリルと出会い、互いが互いに励まし合って生き抜いていこうと決意する物語。彼らの意志は力強く、辛い治療に耐えているにもかかわらず、いつも笑顔を振りまいていた。持って生まれた不幸は覆らないけれど、今と、それから未来は、幸せでい続ける権利がある、とロイは語る。


 そんな希望にあふれた前半から一変して、後半、物語は急転直下。

 順調に回復に向かうメリルと反比例するように、ロイの容体が急変する。必死に生きようとするロイを助けようと、メリルは無我夢中で走り回った。あらゆる可能性を探し、身を粉にして献身した。けれど、その時は迫る。


 知らせを受けたのは強い雨の日だった。もう数刻も時間がない。メリルは何もかもを投げ出して、ロイのもとへと急ぐ。順調に回復していた自分の心臓が悲鳴を上げるのも構わず、メリルは走った。


 坂の下についたとき、メリルの痛みは限界を超えていた。苦痛に顔を歪ませても、その瞳に諦めは浮かんでいない。

 走る。

 走る。

 鐘の鳴る坂道を、息もつかずに走り抜ける。いつしかメリルは自分の体が軽くなっていることに気が付いた。痛みもない。彼女は空を駆けるように坂を登り切った。

 病室のドアを開けると、そこにはキラキラと輝くロイが待っていた。全部治った、奇跡が起こった! そう喜ぶロイの姿に涙が溢れる。

 二人は抱き合い感謝した。そして気づく。まだ坂道の途中だったと。


 物語の最後はこう締めくくられる。


『――ロイとメリルは歩き始めた。この鐘の鳴る坂を登る。』


 エピローグは存在しない。これでおしまい。

 私はこの話を初めて読んだとき、何とも言えない読了感を得た。そして、これはバッドエンドだったと結論付けた。

 もやもやと感情が渦巻き残る。これがきっと『鐘の鳴る坂を登る』を名作たらしめている要因なのだろう。苦しみや悲しみが満ちた場所。それゆえ、この坂は、物語の舞台でありながら、あまり人が寄り付かない。

 まぁ、病院を観光しようという発想も非常識ではあるのだけれど。


 私はキャメロンを首から揺らし、ヴェルトたちの後を追う。

 白い建物の中に入り、機能的に整備されたロビーを一望する。受付を済ませた二人は、ちょっと離れた曲がり角を曲がって狭い廊下へと入って行った。外壁と同じ白色で統一された室内。前を歩く二人の靴跡が、壁に反射して甲高く響く。


「どこ、行くのかな」

「想像もできねぇ」


 絶対にありえないデートスポット。それを疑いもせずに進むカップル。

 アリッサは長く続く廊下の、一番奥の扉の前で歩みをやめた。静寂の支配を打ち破るようにノックを二回。返事を待たずにドアを開け入って行ってしまった。

 しばし迷って、私は結局に聞き耳を立てることにした。夕日が紅蓮に染める廊下の壁に背を預けて膝を抱える。


「よく、来たねぇ。アリッサ」


 中から聞こえてきたのは年老いた老婆の声。その声にアリッサは嬉しそうに答える。


「うん! 元気だった? おばあちゃん!」

「「おばあちゃん!?」」


 私とガロンの声が被った。思わず口を押える。

 デートの最後に、祖母に引き合わせるとは、これ如何に……?


「相変わらずだよぉ。そろそろお迎えが来るんじゃないかって、いつもひやひやしているさ」

「もう、そんなこと言わないで。私が悲しくなっちゃうでしょ?」

「はっはっは。アリッサは優しいねぇ」


 アリッサは努めて明るい声で祖母と語らう。けれど、言葉の端々に震えがみえた。これでは逆に心配されてしまいそうだ。


「今日はね。おばあちゃんに、紹介したい人がいるんだ」

「ほぉ。誰かねぇ。私の知り合いはもう、みんなお迎えが来ちゃったんだけどねぇ」

「へへー、びっくりするよ」


 アリッサは小声でヴェルトを呼ぶ。カーテンの向こうに隠れていたのだろう。ヴェルトの足音が、コツコツと床に響く。


「紹介するね。こちら、ヴェルトさん。私の……」


 アリッサは一度そこで言葉を止める。けれどすぐに決意を固めたように続く言葉を口にした。


「私のっ、未来の旦那様!」


「~~~っ!」


 口に手を当てたままでよかった。もし塞いでいなければ、大絶叫していただろう。

 アリッサの声は軽い。しかし、その心の内には、私の想像もつかないような複雑に絡まった気持ちを隠しているのだろう。


「おばあちゃん、ずっと心配してたでしょ? 私に彼氏ができないって。そんなことないよ! 私、これでも結構モテるんだから!」

「そうかいっ。そうかいそうかい。よかったねぇ」


 アリッサのおばあちゃんはとても安らかに、アリッサの虚言を祝福する。その言葉は本当に暖かく、安堵の気持ちがこもっていた。おばあちゃんという人間特有の、おっとりした雰囲気。その人間性が聞いている私をも安心させる。

 だから余計に胸が痛い。

 私がそう感じていると言うことは、嘘を言うアリッサは身を切る様な思いだろう。


「ヴェルトさんや」

「は、はいっ!」

「アリッサはいい子だよ。優しいし気立てもいい。私の自慢の孫だ」

「……」

「だからといって甘やかしてもいかん。ありのままでええ。偽らないヴェルトさんを、アリッサには向けておやり。それだけだよ」

「もう、恥ずかしいからやめてよ」


 照れたようなアリッサの声。老婆は続ける。


「こんな老いぼれの言葉なんて、聞き流してくれればいいんだけどね、それでもヴェルトさん、あなたの胸に響くものがあるのなら」


 一度そこで言葉を切った。そして紡がれる言葉に、私は揺るぎないものを感じた。


「あなたの意志を貫きなさい」


 はい、と確かにヴェルトは返事をしていた。

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