第22話 一人目のターゲット

「……ひと悶着」


 どうにもヴェルトの言葉が重い。一語一語が胸の奥にずしりと来る。

 掻い摘んで要約すると、こんな感じだ。


 童話の城を目指して旅をしている途中、ヴェルトは塩の街へ立ち寄った。美しさに感化されて噴水の広場でその光景を目に焼き付けていると、一人の少女が下品な男に言い寄られているのを見つけた。明らかな不貞行為。必死に拒む少女の姿が見ていられなくて、ヴェルトは下品な男たちを追っ払ってやった。

 その時助けた少女がアリッサだった。

 アリッサは、両親が宿屋を営んでいることを告げ、助けてくれたお礼にと行く当てがなければ泊まっていってほしいと告げた。貧乏旅を続けていたヴェルトは、アリッサに押し負け、五日間、この街に身を置いていたのだそうだ。


「なんだかヴェルトっぽくない。……こともないか」


 私の脳裏には、城下町で襲われたフェアリージャンキーの騒動が蘇る。

 あの時もヴェルトは、私を庇い悪漢から守ってくれた。自分の正義に忠実な男なのだ。守る相手さえいれば、きっと誰に対しても命を張る。

 そんな人間と旅ができていることが誇らしくもあったけれど、同時に悔しくもあった。


「男らしいねぇ。で、まんまと転がり込んでよろしくやったわけだ」

「ガロン。表現が下品」


 こつんとキャメロンの上面を叩く。


「別にこれと言って何かしたわけじゃない。この街を案内してもらった。魚がおいしいお店とか、面白い雑貨を売る店とか、漁師でにぎわう港とか、海に突き出た桟橋とか……。旅人を案内するのも宿屋の生業の一つだって言ってたな」

「ふむ……」


 とはいっても、平凡なエピソードだ。これまでに数百という童話を読んできた童話の国の王女を満足させられるには程遠い。

 例えば、童話の国監修の童話、『空回りする』シリーズの第一巻『空回りする神様』。この作品も襲われている女の子が主人公に助けられるところから話が始まっている。けれど、『空回りする神様』はそこから天界と人間界の抗争に巻き込まれていく姿が面白いから受けたのであって、その後ただ街中をぶらぶらしていただけのストーリーなど面白味がない。


「と、話が何事もなく進んでいたら、俺も思い出の候補には入れなかったかもしれない」

「ほう」


 思いがけずヴェルトの話が切り返されたことに、興味が惹かれた。


「元は十日ほど泊まる予定だったんだ。もちろんただで泊まり続けるつもりはなかった。店の手伝いをするなり、短期の仕事を請け負うつもりだった――だが、嵐が来た」

「嵐?」

「ああ。海の先から巨大な雲が雨と風を連れてやってくる」


 話には聞いたことがある。猛烈な雨と風で立っていることすらままならないのだとか。童話の城は、山脈に遮られているおかげで、海の上で発生した嵐は届かない。


「嵐が来たらしばらくは街に缶詰めにされる。俺はそんなに待っていられなかった」


 今にも戦が始まってしまうかもしれない時期に、足止めを食らうのは致命的と言える。


「だから嵐がこの街に来る前に俺は去った。アリッサには別れを告げる暇もなかった……。あいつは裏切られたと思ったんじゃないかな……」

「どうして?」

「アリッサは多分。……俺のことを好いていた」

「……はい?」

「だから、好意を持たれていたんだよ」


 言葉を失っていた。


「よっ! 色男! 焼けるねぇ」

「ガロンはちょっと黙ってて。――それってつまり、すすす、好き、ってこと?」

「そうだよ。……なんだその動揺は。さては王女様、恋したことないな」

「う、うるさい! 私にはまだ早いっ!」


 何が早いのかわからないけれど。城に閉じこもる生活をしていた王女が、一体いつどこで恋をしろというのだ。恋愛話は童話の中だけで間に合っている。


「で、どうしたの」


 顔が赤くなるのを我慢して、話を促す。


「約束してたんだ。アリッサは俺をどこかに連れて行きたがっていた。案内をしている間、ずっと楽しみにしていた。だが、その約束は結局果たせなかった……」


 俯きがちなその表情を見る限り、ヴェルトにも葛藤があったのだろう。

 そこでふと気になった。


「ヴェルトは、どう思ってたの?」

「何が?」


 何がと答えるか、この状況で。


「だから、アリッサのこと。好きだってことはわかってたんでしょ? ヴェルトはどう思ってたのかなぁ、って思って」


 きょとんとするヴェルト。その顔を見て私は慌てて付け足す。


「べ、別にヴェルトの好みなんて興味ないんだけどっ!」

「俺の話はいいだろ。奪い取るのはアリッサの記憶なんだから」

「いや、そうだけども」


 気になるではないか。別に興味はないけれど。


「ともかく」

「あ、流した」

「ともかく、だ。俺はアリッサから記憶を奪い取る」


 ヴェルトは決意を固めて言う。

 アリッサとの五日間の思い出を童話王に差し出す供物にする。


 ……でもそれはずるいと思う。ヴェルトのやろうとしていることはつまるところ、逃げだ。

 記憶を奪えばアリッサの思い出は消える。思い出が消えれば約束も消える。以前交わした約束もなかったことにしてしまえる。約束を果たせなかった後悔と罪悪感をなかったことにして、リセットしようとしているんじゃないか。そんな風に思えてしまう。


「逃げだ、って思うか?」

「……まぁ」


 私の思考はヴェルトと同じ所へ行き着いていた。


「そうだよな。お前にキャメロンを遮られてそう実感したよ」


 意外にも、ヴェルトは殊勝な顔をする。


「だから、リリィ。お前には話しておこうと思った」

「私じゃなくて」


 ヴェルトの言葉に被せるように、私は告げる。


「あの子に話すべき」

「忘れるのに?」

「うん」


 だってそうだろう。ヴェルトとアリッサの話の中に私は存在しない。私はヴェルトが抱えた逃げるという行為の懺悔を聞いても、許しを与えることはできない。教典の国の司祭様ではあるまいし。私ができるのは、せいぜい童話王たるお父様への口利きぐらいだ。


「本当のことを話して、納得した上で解決すべき」

「嬢ちゃんの言う通りだ」


 ガロンも私の意見に賛成する。


「取り返しがつかねぇことってぇのは、恨みを生みやすい。例え記憶が消えちまっても、お前の中に残る感情は消えねぇ。厄介なもん背負い込んじまったら、この先辛いぞ」

「うん、たまにはいいこと言うね、ガロン」

「俺様の言葉はいつも含蓄があるんだよ」

「そうそう。ガンチクだらけだよね」

「嬢ちゃん、わかってねぇだろ……」


 おどけてみせる私。

 私は別に、ヴェルトを責めたいわけじゃないのだ。


「わかったよ」


 その笑顔に安心する。


「俺はアリッサに全て告げる。殴られても泣かれてもいい。それ以上にひどいことをしているわけだし、それで済んだら軽すぎる。納得するまで付き合ってやる。――その上で」


 ヴェルトの言葉は自分に言い聞かせているようにも聞こえる。


「その上で、俺はアリッサから、俺との思い出をすべて奪い取って、童話王に捧げる。故郷のためにアリッサを俺の人生から切り離す!」


 お父様の演説みたいだと思った。

 やっぱり、ヴェルトはいい人だ。私が言った意見は正論ではあるだろうけれど、感情的に見ればとても面倒くさい。普通に考えて、相手に泣かれるようなことを積極的にやりたがる人なんていない。私はそれを承知でヴェルトに押し付け、ヴェルトは納得してくれた。

 そう簡単にできる返事ではない。人は楽な方へと流れてしまいがちだから。ベッドの中で童話を読みふけるだけだったどこかの国の王女様のように。


「うん」


 きっとこの物語は、この町が誇る『鐘の鳴る坂を登る』のような、切ないお話になることだろう。私は小さく返事をした。

 そんな私たちの決意を一蹴するように、陶器が砕けるような甲高い破砕音が部屋中に響いた。


「へ? なにっ?」


 思わず身体がビクンと反応するが、驚いているのは私だけではない。ヴェルトも腰を浮かし、右足のナイフに手を伸ばしている。

 音は確か、部屋の入口の方から聞こえた……。

 続いて聞こえるパタパタという足音。走るように遠くなり、小さくなって聞こえなくなる。


「……」


 緊張がゆっくりとほどけていき、二人と一台の視線が自然と重なる。

 ヴェルトが立ち上がって歩いて行って、恐る恐る音のした扉を開けると、よく磨かれた床の上に真新しい紅茶の水たまりが出来上がっていた。陶器の破片がその水たまりに沈んでいて、取っ手の破片が三つほど見て取れる。


「……聞かれた、みたいだ……」


 振り返ってこちらを見たヴェルトの顔には、珍しく動揺が浮かんでいる。

 足音の大きさからして、女将さんや旦那さんではない。と言うことは、当てはまる人物は一人しかいない。


「ヴェルト、運ないね」

「やーい、この甲斐性なしー」

「はぁ……」


 ヴェルトの口からこぼれた溜め息は、今まで聞いた中で一番疲れていた。

 状況は悪い方へと転がっていく。

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