番外編
母親の墓標の前で。
ナディア・カインズは、ジオランス大陸の大国カインズ王国の第三王女である。
美しくきらめく黄金の髪に、ルビーのように赤い瞳を持つ美しい王女様だ。
今年十歳である彼女の母親は、既に他界している。
実のところを言うと、ナディアの中に母親の記憶というものはあまりない。なんせ、第三側妃であったナディアの母親が亡くなったのは、ナディアが三歳の時の話であった。
母親との記憶はうろ覚えで、幼い頃の記憶というものは大きくなるにつれて薄れていくものであり、ナディアの記憶の中からも徐々に消えていっているというのが正直な話である。
三歳の時、母親を失ってさびしくなかったといえば嘘になる。
しかし、母親と過ごした時間よりも過ごさなかった時間の方が長く、その寂しさも数年たてば当たり前になってしまったものである。
「――ねぇ、お母様、私一生懸命頑張ろうと思いますの」
ナディアは、第三側妃であった母親のお墓へと来ていた。記憶は徐々に薄れていくけれども、ナディアにとって母親は大切な人であることは変わりなく、母親が死んでから時折お墓を訪れて、近状報告などをするようにしていた。
「お母様、私はお母様に昔言われた言葉ちゃんと覚えてます。目立たないようにした方がいいと。そんな風にお母様が言ったのが私を守るための術だということも理解しています。注目されるということは、それだけ狙われるということだってのはわかってます」
そう、目立たないようにとそういう風にナディアが過ごしてきたのは母親の言葉があったからでもあった。
元々ナディアの母親は侍女であり、平民を見下している側妃たちからしてみれば恰好の的であり、ナディアを守るためにそう言い含めていた。実際、ナディアがそういう風に目立っていたなら、今はともかく昔は自分を守る術などなかったのだから。
「でも、私を守ってくれる方がいるんです。ずっと、私を守るって必死になってくれた方が居るんです。私は、ヴァン様に相応しい存在になりたい」
ずっと守ってくれていた。二年前からずっと。年々美しさを増しているナディアの事を気に食わないとしていた側妃たちから。二年前まで大変だった。ヴァンがナディアを守り始める前は、守ってくれる召喚獣なんて存在はいなくて、神経を張りつめて、あらゆる危険を考えて、気の休まる時があまりなかったものである。
でも、いつの日か召喚獣たちが、守ってくれるようになった。何かあった時、助けてくれるようになった。安心して過ごせるようになった。心強かった。
「私、沢山ヴァン様に助けられてきました。お礼をいったぐらいじゃ足りないぐらい、私はヴァン様に感謝しています。だって、ヴァン様の召喚獣たちが私を守ってくれなければ私は今頃、誰の事でも警戒して、こんな風に笑って過ごせなかったかもしれません」
母親の墓標の前で、ナディアはそう告げる。
「私はヴァン様の隣に立ちたい。ヴァン様に相応しい守られる存在でありたい。―――そう、願うから私はお母様の言いつけを破りました。これからも、目立たずにいなさいといったお母様の言葉を私は破り続けるでしょう。危険が待ち構えていたとしても、それでも私はそういう道を選びます」
ずっと目立たずに過ごそうと思っていた。母親の言いつけもあったけれども、欲しいものなんてナディアにはなかったからというのも大きな要因だ。わざわざ危険にさらされてまで願ったことなんてなかった。願ったところで、それがかなうとも思っても居なかったし、渇望も何もなかったから。
のんびりと三の宮で過ごして、年頃になったら父親の命令のままにどこかに嫁ぐか降嫁するか、そういうありふれた未来しか考えてなかった。
ナディアはまだ十歳だけれども、その環境もあって大人びていた。未来に夢も感じていなかったし、将来的に夫となる人が悪い人ではなければだれでもいいとさえ考えていた。
でもずっと守ってくれた召喚獣たちの主が、ヴァンが姿を現してそれは変わったのだ。
ただ、願ったのだ。
相応しい主になりたいと。
父親にヴァンを結婚という形でつなぎとめるべきかもしれない。
そんな話を聞いた時に心にわいたのは、久しく感じていなかった歓喜の心で、ナディア自身も驚いたものである。
ヴァンはずっとナディアの事を守ってくれた人だった。安心して暮らすことが出来るようにしてくれる人だった。そしてとても興味深い人だった。
そんな人の傍にずっと居れるかもしれないというのは、素直に嬉しい事であったのだ。
「お母様、私は一生懸命頑張ります。ヴァン様に守られるのに相応しい存在になるために。お母様、ヴァン様は十二歳でドラゴンを退治してしまうほどの存在なのです。そんなヴァン様に相応しくなるためには私も頑張らなければなりません」
じっと墓標を見据えてそういう。
「だから、見守っててください、お母様。ようやく目標を見つけた貴方のナディアを応援してください」
続けられた言葉と共に、ナディアは笑顔を浮かべていた。
―――母親の墓標の前で
(第三王女様は自身の心の内をさらす)
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