閑話 すりおろしリンゴ。


その日、リチャードは激しい苦しみに襲われてベッドから出られずにいた。

原因は呪いであった。赤子の時に呪いをかけられて以降、普段の暮らしの中ではどうって事ないのだが、こうやって時折強い苦痛が幼い身体を蝕んでいた。

その苦しみの波も漸く去った頃、ベッドに横になっていたリチャードは倦怠感からぼんやりと窓の外を見上げた。

青く澄んだ空に燦々と輝いていた太陽は既に沈み、少し欠けた月が暗い空に煌々と輝いていた。


「……約束、破ってしまったな」


ポツリと呟いた声が一人ぽっちで静まり返る部屋にやけに響いた。

今日は同じ歳の従兄妹とお忍びで城下町グルメを食べに行くのを約束していた。けれど一日中この部屋から出られず、行けないと伝える事さえ叶わなかった。


「……怒っていないといいのだが」


いつも笑顔でいる従兄妹のプンプンと頰を膨らませている姿が頭に浮かび上がっていた。

ふと急に不思議な空虚感に襲われて、リチャードは胸に手を当てる。痛みとも違う、何かが足りないようなこの違和感。この気持ちを何というのか、リチャードは知らなかった。


「次に会ったらあやまらなければ……」


リチャードは再び窓の方へと視線を向けた。

窓から差し込む月の明かりが悲しげに暗い部屋を照らしている。その光景がより胸の違和感を強くした。

痛いのでも苦しいのでもない。これは呪いとも違う気もするが、かと言ってこの感覚は何なのかは分からなかった。

どちらかと言えば騒がしいよりは静かな方が好むリチャードなのだが、人気のないこの部屋があまりにも静かぎる為に違和感がより主張してくるので気になって仕方がなかった。

リチャードの呪いとはこの国では未知の呪いの為、発症するといつもこの部屋からは人が遠ざけられていた。

病気ではないので医者でも対応出来ず、魔術で少しだけ苦しみを緩和させることが出来るアンブローズだけがこの部屋に訪れてリチャードに付き添っていた。

そのアンブローズもリチャードの呪いが落ち着いたのを確認し、夜が明けたらとまた様子を見に来ると言い残して去って行った。

そうしてまたリチャードは一人ぽっちで部屋でベッドに横になっていた。

けれどこんまま眠りにつく事も出来ず、リチャードはまだ気怠さが残る身体をゆっくりと起こした。

そして窓際まで行くと、外と部屋を隔てる透明な壁にそっと触れて額を寄せる。ひんやりと冷えた窓の冷たさが今はとても心地良く感じた。


「……?」


何かが聞こえた気がして、リチャードは窓を開けてバルコニーへと出ると下を覗き込んだ。視線の先には出かける約束をしていた黒髪の従兄妹が立っていた。

その彼女はウロウロと歩き回りながら何やら珍しく考え込んでいる。こんな時間に王宮にいる事にも驚いたが、奇怪な行動も不可思議であった。


「……サラ?」


リチャードは怪訝な顔で従兄妹の名を呼んだ。すると呼ばれた従兄妹──サラはパッと笑顔を咲かせてこちらを見上げた。


「リチャード!ちょうどよかったわ!」

「よかった……?」

「そっちに行くために何か方法がないかとずっと考えていたのだけど、思い付かなくてこまっていたの。そっちに長いロープとかあったら垂らしてくれないかしら?」

「こっちに……まさか登ってくるつもりではないだろうな?」


疑いの眼差しで見下ろせば、サラはにんまりと笑った。おまけにグッと親指まで立てている。


「その通りよ!絵本とかにもあったでしょ?高い所に登る時は、上にいるお姫さまがながーいロープを垂らして下にいる王子さまが登っていくものよ!……あら?ロープじゃなかったかしら?でもロープみたいにながーいものだったはず……うーん?」

「……私はそんな話は知らない」


お姫様扱いされた事にリチャードは少しだけムッとする。ほんの些細な事かもしれないが、男として譲れないものはあった。


「あらそう?それよりも、何かそっちにないかしら?」


サラの様子から本気で登って来ようとしているようだ。

サラが立っている地面からリチャードの部屋までは高さがある。周りにはよじ登れような木があるわけでも無いので、他の者ならば決してそんな事を思いつかないだろう。

だが相手はサラである。思いもよらない行動をする従兄妹は何でもやってのけようとするのだ。

それはあまりにも浅はかな考えでもあり無茶な行動であるので為、その度にリチャードはヒヤヒヤとさせられてきた。

けれどそのひたすらに真っ直ぐで自由な行動は、常に慎重に行動するリチャードにとっては少しだけ羨ましいとさえ思ってしまう事もあった。


「リチャードー!聞いてるのー?」


リチャードはサラの声にハッと我に返ると慌てて部屋の中に戻った。

辺りを見渡すが、残念ながら紐の類いは見つからなかった、しかし代わりになるものならばあった。

先ほどまで横になっていたベッドのシーツを思いっきり剥ぎ取るとそれを抱えた。

だが、少し考える。このままただシーツを垂らしただけではサラが登るのは不可能であった。

例えば普段から鍛えている騎士達ならば登れるのかもしれないが、何の訓練も受けていないまだ幼い子供がシーツだけで登れる筈はないのだ。

リチャードはナイトテーブルに置かれていた水差しを手を取ると、中の水を全てシーツにかけた。そして濡れたシーツをサラのいる下へと垂らした。

下から「濡れてる!?」と驚きの声が聞こえる中、リチャードはシーツへと意識を集中させた。

病み上がりの身であるのでいつもよりも身体が多少億劫なのだが、それでも今使える魔力を注げばリチャードの手元からシーツがみるみる内に凍り付いていった。さらには氷の所々に尖りが生えていく。

氷柱のように凍え、尖りを持つシーツはまるで薔薇の棘のある茎のようだ。

シーツを水で濡らしたのはこの為であった。最も普段であったならば水など使わずともシーツを凍らせるのは容易いのだが、やはり今は本調子ではないので凍らせやすいようにシーツを濡らした。


「これで登りやすくなっただろうか?」

「すごいわリチャード!」


大袈裟に感動するサラの様子に、リチャードは額に汗を滲ませながらもホッと安堵した。


「いいか、登る時は慎重に……」

「わかってるわ!……あり?」


まるでお約束のように、言ったそばからサラは氷に足を滑らせしまった。


「サラッ!!」


慌ててリチャードはシーツへと残っている魔力を注ぐと氷の棘が伸び落ちそうになったサラの身体に絡みついた。


「……た、助かったわ、リチャード」


サラが助かったのを確認すると、リチャードはへなへなと床に膝をつけて小さくため息を吐いた。

そしてサラが無事に登り終え、部屋の中へと迎え入れるとリチャードはある事に気付いた。

何故だかサラは肩から小さなカバンをぶら下げていた。

今思い返せばシーツを登っている時もぶら下げていた気もするが、それどころでは無かったので気付かなかった。


「サラ、なんだそのカバンは?」

「あぁ、忘れてたわ!」


本人もその存在を忘れていたようで、リチャードに指摘されていそいそとカバンから何かを取り出した。

サラが差し出して来た小さな手には丸く、赤い果物が載っていた。それは、真っ赤で美味しそうなリンゴであった。

どうしてリンゴを持っているのだろうかとリチャードが不思議に思っているとサラはニッと笑った。


「リチャードが熱を出したって聞いて、それでお見舞いを持ってきたの!知ってる?リンゴってすりおろして食べるととっても美味しいのよ!」


そう言ってサラはリンゴをリチャードへと手渡した。

リンゴをすりおろすというのは初めて聞いたが、リチャードが驚いたのはそこではなかった。


「……もしかして、その為にわざわざここへ来たのか?」

「ええ!でも、みんな部屋を通して来れなくて……忍び込もうにも部屋の周りは厳重に警備しているし。だから国王おじさまに『リチャードが心配だから今日は王宮に泊まりたい』ってお願いして、部屋に入れる隙を伺っていたの。でも部屋の前には夜になっても騎士たちが警護しているし、もうこれは外から行くしかないって思い付いたの!」


どうしてそこで【外から行く】と言う発想が出てくるのだろうか。

呆れた表情のリチャードは額に手を当てた。


「リンゴを渡したいのならば誰かに預ければ良かっただろう」

「それじゃダメよ!本人に直接渡さなきゃっ!」


サラにずいっと顔を近付けられて、リチャードは思わず視線を逸らした。

この猪突猛進な性格は他の令嬢たちと全く違うので時より戸惑っていた。感情をあまり表には出さないリチャードだが心の中では動揺していた。

しかしハッと己が呪いに蝕まれていた事を思い出した。

激しさは収まったのだがけれどまだ完全とは言えない。未知の呪い、それはもしかすると流行り病のようにうつるのかもしれない。

もしサラに何かあったらと、リチャードの顔から血の気が引いていく。


「わ、私に近付かない方がいい」


リチャードは後退るが、その様子にサラはキョトンとした顔をした。


「あら、大丈夫よ。わたし風邪なんてひいた事がないほどに頑丈だもの」


サラには呪いの事を教えていないと聞いていた。なのでリチャードの事はただの風邪だと勘違いしているようだ。


「そういう事ではなく──」

「それに、一人だとさびしいでしょ?」

「え……?」

「風邪をひくと心細くなるって聞いたわ──」


「だから、リチャードがさびしくならないように会いに来たの」


笑うサラの黒い髪は月の鈍い光に照らされ、バルコニーから入り込む風にゆらゆらと靡かせる。その穏やかな髪は幼心にも美しいと思ってしまった。

先程まであった空虚感はさびしいと思う気持ちであったのだのだと理解した。

ただサラが言うのとは少し違った。それは一人だからさびしいというというよりも、サラに会えなくてさびしかったからだ。

リチャードはその黒い髪に目を魅かれながら、胸の中にじわりとあたたかなものを感じた。


「そう、なのか……」


私はこのとんでもない事を思い付く従姉妹の事が……。


自覚するとどんどん胸から何かが溢れ出した。羨ましいとさえ思っていたサラに対する憧憬の念は、本当は懸想であったのだとこの時漸く気付いた。

妙な恥ずかしさが込み上げ、サラから隠すように顔を背けながら口元を手で覆った。

その直後だった。


「失礼します!」


突然部屋のドアが勢い良く開いた。ノック一つなくドアを開けたのは一人の幼い騎士であった。

それはリチャードの護衛役であり、そして二人の友人でもあるブラントだ。


「サラが珍しく王宮に泊まっていると聞いて、これは何かたくらんでいると察して外を見回りしていれば……」


ブラントはかつかつと靴を鳴らして二人へと近づいてくる。

部屋は暗く、顔を俯かせているのでブラントの表情が分からない。分かっているとすれば、隣にいるサラが真っ青な顔をしている事だけであった。


「……貴女がリチャードの部屋へとよじ登っている所を遠くの方から見つけたときは、予想をはるかに通り越した行動に声も出ませんでした」

「あ、あ、あ、あのブラント?これには事情が……」

「いったい、どんな事情があるんですか?」


ブラントは顔を上げた。怒った表情をしているのかと思えば意外にも笑っていた。いつも以上に満面の笑みであったのだが、何故かぞくりと背筋に寒気が走った。

それと同時に隣から「ヒェッ」と変な悲鳴が聞こえてきた。視線を横に立っているサラへと向ければ、両手を頰に当ててガタガタと震えていた。

リチャードがサラに気を取られている間にブラントは目の前まで来ていた。


「さてサラ、お説教の時間です」

「……はい」


いつも真っしぐらに突っ走るサラなのだが、不思議とにっこりと笑うブラントには決まってしおらしくなった。

リチャードが見つめる中サラはブラントの後に付いてトボトボと歩いていく。


あぁ、行ってしまうのか。


黒い髪を揺らして去っていった背後に再び胸の中に違和感を──さびしさを感じた。

悲しげに見つめ続けるリチャードだったが、去った筈のサラがひょっことドアから顔を覗かせた。


「また明日ね、リチャード」


そういってサラはパタパタと足音を鳴らして消えていった。


「明日……明日が来ればまた会える……」


先程感じていたさびしさが少しだけ消えていた。


「あ、あの、リチャード王子?」


部屋を警護していた騎士が気まずそうに様子を伺ってきた。

丁度いい、とリチャードは騎士を側へと呼んだ。


「一つ頼みたい。メイドに『明日の朝このリンゴをすりおろして持ってきてくれ』と伝えてくれ」


リチャードは騎士にサラが持ってきた真っ赤なリンゴを手渡した。


「すりおろして、ですか?」

「あぁ、どうやらリンゴはすりおろして食べるのが美味しいらしい」


先程そう語った従兄妹の言葉を思い出してリチャードは小さく笑った。






リチャードを乗せた馬車がゆっくりと速度を緩め、コーネリアス公爵邸の前で止まった。

短い春休みが終わり、今日から新学期が始まる。そう、リチャード達は二年生になったのだった。

そのリチャードが学園ではなく公爵邸に来たのかと言えば、それは従兄妹を迎えに来たからであった。

春休みに入る前、ひょんな事から想いを確認し合った二人は晴れて恋人同士になった。

けれど休みの間はリチャードには公務があり、中々会う事が出来なかったので今日が久々に従兄妹に会える日であった。

少しの照れ臭さと緊張感に胸の鼓動を早くしながら馬車を降りて恋人となった従兄妹を待った。

どうやら公爵家の執事の話によれば「休み気分が抜け切っていないお嬢様は案の定寝坊をしました」という事らしい。そういえば、と昔から朝は弱かったのを思い出した。

リチャードが幼き頃の事を思い返していると勢い良く建物の扉が開いた。


「リ、リチャードー!」


黒い髪を乱しながら、愛おしい従兄妹──いや、恋人がバタバタとこちらへ走ってくる。

その姿にリチャードは小さくほくそ笑んだ。

こうして慌しい朝から新しい学園生活が始まろうとしていた。


それは、ハピネスアフェクションの新たな物語の始まりでもあった──。

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ヒロインでも悪役令嬢でもなく、転生したのはチートなモブ子でした。 碧海 @aomi001

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