第518話 その人妻、底なしにつき



――――――アイアオネの町、貸し邸。


 ここは過去、軍の駐留地だった場所だ。しかし北方隣国と友好同盟を交わした半世紀前に不要とされ、アイアオネの町に返却された。

 その時に跡地活用の一環として、前の町長が当時としては技術的にも破格の贅沢として建設したエウロパ風建築による邸宅である。


 結構な中古物件ではあるが、前町長が亡くなった後もこの辺りでは珍しい建築様式であった事も手伝って保存がなされ、建築物としての物珍しさが薄れた今でも、保持されていた。


 そんな中、今回のパルミュラ一行の来訪に際して彼らの滞在する場を提供するに最適と判断したトボラージャ町長が整えさせ、貸し出した。

 しかし一行の長たるシャイト=タムル=パルミュラは、レディファーストの精神と貴族としての師を重んじる敬念、そして自身が厳しい市井を学びたいという考えから、ローディクス夫人とその子供たちにこの豪華な宿を譲った。



 そんな邸宅の前にアンネスを乗せた馬車が帰ってきたのは、ちょうど朝食を終える頃合いであった。


「はぁい~、ただいま戻りましたよ~」

 アンネスの護衛と侍従たちがズラッと並んで出迎える態勢の中、セイリオスに手をつながれたミアプラと、その後ろにエレクトラを抱っこしているシャルーアが続いて出てきて、アンネスを迎えた。


 一方、アンネスの方はというと、彼女の後方でゲッソリした様子のザムが、まるでゾンビのようにフラつきながら馬車の御者台より降りて彼女の後に続く。

 その動きや表情は、さながら亡霊のようだった。


  ・

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「そう~、シャルーアさんにお任せしてよかったわぁ~♪」

「はい、母上の留守も大丈夫でした!」

 やたらと肌がつやっつっやになっているのはアンネスだけではない。セイリオスもだった。

 やたらと肌艶よく、元気で活力に満ちているこの母子おやこは、ともに上機嫌そのものだ。


「シャルーアさん、ありがとうございました~。ご紹介いただいただけでなく、この子たちのお世話までしていただきまして、改めて感謝いたします~」

「いいえ、こちらこそご期待にそえられましたようで、何よりです」

 アンネスとシャルーアが女性同士で穏やかな会話を交わしている間も、ザムは心ここにあらず……というよりもアンネスに対して腰が引け、怯えているかのようであった。



――――――昨晩


 シャルーアの仲介で、アンネスに紹介された時、ザムは素直に衝撃が走ったものだった。


『(な、なんつー美人さんだよッ!!?!)』

 ファーストインプレッション、パッと見の外見はまさしくザムの好みどストライクだったのだ。

 煌めくような白肌に、とても3児の母とは思えない細腰。にも関わらず女性の凹凸はボンキュッボンととんでもないバディ。

 しかし、金目当てのいやらしさが視線ににじんでいる商売女性のような下品さはなく、一流の上品さを醸している。


 普通に生きていれば、まず何のご縁もないであろう雲の上の天女。そう思わずにいられないほどの女性が、自分にどんな御用があるのかと思えばなんと、男女の仲を温めたいというではないか。


 ザムは自分に春が来たと思った。いや、今までも異性関係はそれなりに充実していたが、ここまで自分の理想的な女性とご関係を持てるチャンスは二度とない。

 もちろん二つ返事でOK。相手がどこのお偉いさんの人妻だろーが関係ない。全力で堕として自分に惚れさせ、モノにしてやろう―――そう誓った。



 しかし……


『あら~ぁ、ギブアップするには早いですよぉ? まだまだまだまだ序の口……はい、こちらを飲んでくださいませ~、コレで3人育てておりますからぁ、きっと滋養強壮のお役に立ちますよ~、ウフフフフフフフ~~~ゥ♪♪♪』


 最初、宿のザムの個室の中は間違いなくの春だった。

 ボロ宿の、軋み音のヒドイ粗末なベッドが二人の重量をよく支えていたといえよう。


 しかし、やがて夏になり、そしてザムが許しを請い始めたこの時は秋、そして何も言えなくなり、悪寒と痙攣が止まらず、自分の意志で指一本動かせなくなってもなおもザムからすべてを搾り取ろうとした冬は、翌朝までと一番長く続き……


『あら~? もう朝でしたね~ぇ。お互いに朝食は食べ損ねてしまいましたから……はい、どうぞ、ご馳走いたしますから存分に味わってくださいな~。私もいただきまぁ~すぅ♪』

 舌なめずりしながらなおも迫る人妻に完封―――否、殺されかけたといっていい。


  ・

  ・

  ・


 ザムは思った。この美人さんは人間じゃない。魔物だ。

 こんなのと関係をもった日には3日ともたずに死んでしまう。


  ―― 冗談で女性を誘ってるとそのうち痛い目みるぞ ――

  (※「第20話 危険の微香」参照)


 瘦せこけ、生気の抜けた頭の中に、ハッキリと浮かぶ中年同業者の忠告。

 まさに痛い目をみたよと、ザムは自嘲の笑みをこぼそうとしたが、それすらままならない。


 そんなザムに、ソファーに座ってシャルーアと会話をしていたアンネスが振り返り……


「昨日は良かったですよ~、ザム様♪ よろしければ今宵はぜひ、こちらにお泊まりになられてくださいませ~、歓迎いたしますわ~♪」

 そう言っていかにも意味ありげなウィンクと投げキッスを飛ばしてくる。

 サキュバスが今度こそトドメを刺しにくるとでも言わんばかりにザムの顔は恐怖で顔面蒼白になり、残された力を振り絞って全力で頭を左右に振る。


 が、それによって精根が尽きてしまったらしい。そのまま気絶して派手に倒れてしまった。




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