第290話 権力の夢に押し潰されていた悲恋




 グラムア大臣の処分の一件があって以来、他の企みをもった大臣達は皆、慎重になった。

 しかし逆に、この時こそむしろ好機だと考える者もいる。




「今夜の陛下の “ 通い ” は我が娘であるネイトゥメ……いよいよこの時が来た。…………良いか、ケルオン。此度こたびの仕事は、確実に果たせ……成功したらば、莫大なる褒美を取らせる……」

「は、はい……ジェプルス卿」

 ケルオンはどっと冷や汗を流す。胃の奥がググッと収縮しているかのような感覚が沸き起こってくる―――強い緊張感、なれど頼まれた仕事を断りはしなかった。


「当然、緊張はしよう。だがそれくらいでなければならぬ、慎重なお前であるからこそ、この仕事を任せ―――ゲホッゴホッ!!」

「ジェプルス卿!!」

「心配はいらぬ……ハァハァ、……私が長くないのは前々より分かっていた事。我が身を案じるであらば、その気持ちは仕事の成功でもって受け取る……行けっ」




 ケルオンを送り出したジェプルスは、口を押さえたハンカチに視線を落とし、両目を細めた。


「……日に日に吐血の回数が増える、か。……フフ、裏でとはいえ、悪行の数々に手を染めてきた報いだな、コレは……」

 小さな頃から野心があった。王様になりたいという、可愛らしい野心。

 だが成長するにつれ、本来は消えるはずの、その幼い少年の他愛のない純真無垢な夢は、確かな大人の野心へと彼の中で進化した。


 頭が良かった。容姿も、人間関係も……自画自賛と言われようとも、ジェプルスは己をあらゆる方面にて優れた人間であると自信を持って言える大人に成長した。

 だが同時に、単なる個人の能力ではどうにもならない、太刀打ちできないモノをも理解してしまう。


 その結果、己の野心を叶えるべく、あらゆる非道を裏で行い、その権力を高め、そして一国の王という地位が見えるところまで上り詰めた。


 王家の血筋という絶対に持つ事ができない最後の壁がある限り、ジェプルス自身は、決して王にはなれない。

 だが、自分の血が流れる者を王に据えることはできる―――死期が近づき、ジェプルスは焦ることなく、より鮮明な未来絵図を描いた。


 それが現実になる日は近いと絶対の確信を抱いていた。



 ―――しかし、それは実現しなかった。





 数日後、ジェプルスは、病床で受け取った王宮からの通達にワナワナと身体を震わせた。


「……ネイトゥメは本日付けで側妃を辞し、後宮ハレムより退くものとする……だと、これはどういう事なのだ??」

 あれからケルオンが帰ってこない。一番考えられるのは、ケルオンが失敗してこちらの企みが露見したパターンだが、それにしては首謀者のジェプルスを罪に問うてくる様子がない。

 いくら病気に臥せっているとはいえ、罪は罪だ。しょっ引くのを恩赦してもらえる理由にはならない。


 あるいは失敗したケルオンが、ジェプルスに追求が及ばないよう、自分の考えて後宮に忍び込んだなどと言って、庇うように供述した可能性はある。


「どちらにせよ振り出し、というわけか……私にはもう時間も少ない……いや、もうタイムオーバー、か」

 欲深い大臣達が企むことは多々あれど、行きつくところはだいたい同じだ。


 ―――自分の息のかかった娘に王の子を孕ませることで権力を手にする。


 そのためには何も王の子である必要はない。王の子であると言える状況であれば良いので、父親は王である必要がないのだ。


 だからこそ、ジェプルスはケルオンに命じた―――後宮に入っている娘、ネイトゥメに子を身籠らせよ、と。


 ファルメジア王の “ お通い ” があった前後数日間の内に娘が妊娠すれば、それが陛下の子種であろうとケルオンの子種であろうと関係ない。すべて陛下待望の御子であるとしても、誰も疑う事はないだろう。




「(……ネイトゥメとケルオンは顔なじみゆえ、夜這いも問題ない人選と思っていたが、娘にも話を通しておくべきであったかもしれん。……根回しをしくじったか)」

 ジェプルスがしくじったのは、根回しではなかった。


 彼の一番のしくじり、それは娘ネイトゥメとケルオンが、相思相愛であったという事を知らなかった、その一点にある。

 かつて、娘を後宮ハレムに―――王の側妃にする際も、ジェプルスは娘の気持ちや意志、言葉をまったく聞く事なく、己の道具として後宮へと叩き込んだ。


 そこでどれだけ、ネイトゥメとケルオンの涙があったかなど露とも知らない。


 この時点でネイトゥメの父への嫌悪感は最高に達し、事実後宮に入ったネイトゥメは、内気でか弱い性格でありながらも父の野心の片棒を担ぐような事になるのだけは強い意志でもって避けた。


 そしてケルオンも、好きだったネイトゥメが他人の床を温めることに悶々とした想いを抱きつつも彼女の実家、ひいてはジェプルスに仕え続けた。



 悲恋の二人に訪れた最初の転機は、ネイトゥメが後宮に入ってから3年目。ジェプルスが不治の病に侵され、余命いくばくもないと判明したこと。


 もしジェプルスがそのまま死ねばネイトゥメはその一人娘として、実家のあれこれを継ぐ義務などが生じる。

 そうなると後宮ハレムに居続けることは一度考え直すことになるので、後宮ハレムを辞し、戻って来る可能性が出て来るので、二人からすれば再び互いに会えるかもしれない目が出てきたことになる。


 そしてもう1つの転機、それはさらに1年後に訪れた。



『でしたら、陛下に正直にご相談される事をお勧めいたします』


 ケルオンとの事を忘れられない乙女ネイトゥメは、昼間の側妃達のお茶会でシャルーアにそうアドバイスを受けた。


 しかもシャルーアの仲介によって、ファルメジア王も事情を察するところとなり、ネイトゥメを援護してくれる事になったのだ。



 しかしながら、後宮の側妃とは王の所有物であり、そこには一定の権威というものが付きまとってくる―――なのでただ、他に想い人がいるからと側妃を手放した場合、王を甘く見る大臣が出て来るなど、厄介ながら王の威信に関わってしまいかねない事情もあった。


 そこで考えだされたのが、ジェプルスの動きを待つ、という方策だった。


 病で死期が近いジェプルスは、必ずや死ぬ前にと何か行動を起こすであろう―――ファルメジア王の考えを受け、ならばそれを待って掴み、その処罰の一環として彼の娘であるネイトゥメを後宮からお役御免にする……という風にもっていってはとシャルーアが提したことで、大方の計画が決まった。



 結果、その通りに事は運んだ。


 ジェプルスの命をうけて、複雑な気持ちのままネイトゥメの部屋に忍び込んだケルオン。

 だがそこで、既に彼がジェプルスの命を受けて後宮に来る事を掴んでいた陛下の差配により歓迎を受け、あっさりと身柄を抑えられてしまった。


 その後、予定通りにネイトゥメは後宮を辞し、ケルオンは忍び込んだ件は不問としつつも、ネイトゥメが後宮を辞するに辺り、それをエスコートする迎えの従者として扱い、二人は仲良く宮を後にする。




 そして彼らが後宮を後にする前日、ジェプルス卿が亡くなった。


 この一連の流れも、彼が亡くなったことにより、ネイトゥメが家のあれこれを継がねばならぬ立場になったため、ファルメジア王がお計らいくださった……という形におさまり、波立つことなく、全ては丸くおさめられた。



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