第216話 身籠る奥方様は、安静にする気がない




 ヒュクロが投獄された頃、アーシェーンが100人の兵達と共に帰還した。


「申し訳ございません閣下。残念ながら件の怪しい人物を捕え損ねました」

「そうか、仕方ない。ご苦労……とりあえず後ほど、接触した際の様子や相手の特徴など、分かる範囲でいいからまとめてくれ。今はまず兵達を休ませるようにな」


「はっ、かしこまりました。……」

 頭を上げ、退室する前に執務室内を軽く見まわす彼女だが、それだけでこれといった言葉は発しなかった。

 同僚の姿がない―――つまりコチラ・・・は上手く捕えたということ。


「……では閣下、一度失礼致します」

「ああ、お前も一息入れてくれ。お疲れさん」





 執務室をあとにするとアーシェーンは苦笑する。愚かで迂闊な、今は牢獄の中にいるであろう同僚を嘲嗤あざわらった。


「愚かな男ですね、ヒュクロ。閣下の信を損なう行いは最も愚劣だという簡単な事にも気づかなかったのでしょうか……」

 アーシェーンに彼への感傷は特にない。

 むしろヒュクロは年を重ねていくにつれて危なっかしさが際立つようになっていた……そのうち何かやらかしかねないと危惧していたくらいだ。


 なので今のアーシェーンにあるのは、1つの心配だけだった。


「ふう、これからは私の仕事がさらに増えますか……まったく」

 そのうちヒュクロのポジションには別の誰かが据えられるだろうが、それが決まるまでは空席。

 グラヴァースの側近たちに、これまでヒュクロが担っていた仕事が割り振られることとなり、アーシェーンも今までより忙しくなるのが目に見えている。


 面倒なことをしでかしてくれたものだと、牢獄にいるであろう元同僚に恨み言をのたまい続けながら、宮殿の廊下を歩いていった。







――――――宮殿内、ムーの私室。



 とんだハプニングには見舞われたものの、グラヴァースとムーが結婚したことには違いない。

 エル・ゲジャレーヴァ宮殿の一角に東西護将が一人、グラヴァース将軍の妻としてムーは入居することになった。



「おぉ~、立派なもんだ。これだけの部屋を軍拠点の中に用意できるなんざ、あの男もなかなかやるじゃないのさ」

 オキューヌがムーの部屋の内装を見て素直に感心と賞賛を口にする。実際、その部屋の豪華さはグラヴァースの私室以上だと言えた。


「式までそんなに時間はなかったと思うが、ここまでのものを用意させられるのか、たまげたな……王族の住まいにも引けを取らないんじゃないか、これは?」

 リュッグとて大金持ちの部屋は幾度か見た事があるものの、この部屋はその域を越えている。


 奥方の部屋ということで可愛らしさを意識した装飾なども見えるが、全体としての品格は一級品。それでいて過ごしやすさも考えられており、すぐ脇には別の小部屋が2つとシャワー室まで完備されていた。


「本当に良いセンスですわ。あの方……ちょっと頼りなさげな感じも致しましたけれどなかなかどうして、おやりになりますわね」

 ルイファーンがキラリと目を光らせ、調度品などを見定めてはホホウとその価値を認めるような微笑みを浮かべた。


「すごーい。良かったねぇ、お姉ちゃん。この部屋めっちゃ快適そうじゃん」

「……んむ、くるしゅうない、よきに、はからへ~」

 広いベッドの上で双子の姉妹がヘンなゴッコ遊びめいたやり取りでじゃれ合い、キャッキャする様は完全に修学旅行初日の夜の中学生っぽい。





 しかしリュッグは、一つ気になることがあった。


「ムーはグラヴァース殿と夫婦になったわけだが……ナーはこれからどうする気なんだ?」

 すると二人がピタっと動きを止める。そして何故かナーではなく、ムーがリュッグの問いに対して意味深な笑みを浮かべ返した。


「かわり、なし……共に、行く。私達は、一緒……ニヤリ」

「え? いや、しかしだな、もうムーは立場ある身だし、何より―――」

「心配、無用……産むまで、何か月も、ある……その時、帰ってくる、十分」

 お嫁様になっても変わらない気満々。

 つまり傭兵業を続ける、ということだ。しかしいくらなんでもそれは無理なのではないかとリュッグは思う。


 危険の伴う仕事を妻に続けさせるほど、グラヴァースもお人好しではないだろうし、何よりムーは身籠っているのだからまず宮殿から外に出るのですら制限される。


「……大丈夫、……手配、済み……だから」

「? 手配済み??」



 コンコン


 扉がノックされる。するとナイスタイミングと言わんばかりに、ムーは口元をより大きく笑ませた。


「入る……よし」

「し、失礼致します、奥方様」

 恐縮しながら入室してきたのは小隊長格っぽい兵士。その後ろには8人ほどが並んで膝をついていた。


「あの、言われた通りに見どころありそうな8名を選抜して参りましたが……」

「ん、上々。……これから、よろしく」

「なになに、どういうことお姉ちゃん??」

 ナーもまだ聞いていないらしく、本気でわからないと表情に?マークを浮かべている。

 そんな妹の頭を軽く撫でると、ムーはピョイッと巨大ベッドから飛び降り、兵達のところへと歩みよった。





「今日から、部下……私達・・の。指導……現地、実戦主義」


 この8名の兵士は、後世において “ 火鷹八銃師 ” アルスァクルと呼ばれ、ファルマズィ=ヴァ=ハール王国にてその名を轟かせる事となる。


 だが、ムーの前に引きたてられた彼らは、まだ若い新米兵であった。




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